ご来場

 あれから一週間。来週にはGWという、飲食業には関係のない大型連休が始まるためか、お客さん達は概ね機嫌がいい気がする。


 ハムスターの一件から、怒涛の追撃ラッシュが来るかと身構えていたのだが、あれから起こったことと言えば、アパートのドアノブにハチミツが塗りたくられ、蜂やら名前も知らない虫がたかりまくっていたのと、「仕事を辞めて引っ越せブス」という意味合いの文言が、筆ペンで便箋二枚にびっしり書き込まれた呪いの手紙的なものが投函されていたのと二件だけである。悪い意味での経験豊富な私にとっては、実害がなければ屁でもない。ただ、仕事を辞めて云々とあった時点で、多分坂本さんではないか、という予測を持っていた。それ以外想像が出来ない。

 勿論、これについてはマスターへの報告はしていない。が、昔からの親友である桜とは定期的に連絡を取っているので、電話で報告しておいた。正直彼女しか話が出来るような親しい友人はいない。


「小春君、大都会に出て就職がふいになったと聞いて心配していたら、たいそう香ばしい案件に巻き込まれているじゃないか。これはこれは」


 腐女子とは言え大学を首席で卒業し、現在は地元の大手出版社の経理部で働いている秋月桜(あきづきさくら)は大のミステリー好きでもあり、最近話す時は、好きな小説の探偵口調になってしまう変わった人ではあるが、ミスコンとかに出てもおかしくないほどのメガネ美人だ。当然男性のアプローチもあるが、今のところ恋愛は二次元のみと決めているらしい。


「この程度は特に大したことはないんだけど、マスターにこれから何か仕掛けるんじゃないかと心配になるのよ」

「ふむあれか、小春君の言っていた女性恐怖症のイケメン殿か。……彼の心配が先に来るとは、君も相当惚れておるのだな」

「ほ、惚れて? いやいやいや何を言っているのよ。単にバイト先のマスターってだけで──」

「小春君は昔から恋愛に浮いた噂一つなかったが、基本はポンコツだから自分の感情も良く分からんに違いない。いいかい? 普通、ただのバイト先のマスター目当ての女の嫌がらせを自分が受けた場合、私なら即刻マスターに抗議するぞ。もしくはその女に慰謝料請求してやるな」

「いや、でもね、マスターは昔の──」

「うん分かっているよ、女性恐怖症になるような強烈なトラウマがあることは以前に聞いたからな。だが、それが自分への嫌がらせを黙って受ける理由になるか? それなら周囲のトラウマ持ちの人や精神疾患のある人起因の迷惑を全て引き受けられるのか? そんなことはないだろう? それはな、無意識に持っている好意が成せる業なのだよ」

「……そんなことは」

「あるんだ。いや、認めてしまうと多分そのマスターには敬遠されるだろうし、今の快適な仕事環境もふいになる可能性もあるからな。──ああ、それとマスターの見た目がいいから惚れたんだ、と思われるのも嫌だというのもあるかも知れない。だがな、いくら言い訳をしようと、恋人でもなんでもないマスター絡みの厄介事を、彼が傷つくからという名目で全てなかったことにしようとしてるのは、相手への好意以外の何物でもないだろう? 小春君、君は単純にマスターが好きなんだよ」

「……」


 ……いや、マスターに好意を寄せるなんて地雷でしかない。あんなメンがヘラっている女性を無作為に吸引するような魔性の美貌の男など、私の平穏を望む人生に害しか及ぼさないではないか。


「……まあ別にそこはいいさ。小春君の気持ちは結局は小春君しか分からないからな。だが、推測するとだ、メンヘラだの自己中な女というのは、己のルールで動くものだ。小春君が大したことないという件だって、私にしてみれば大したことだよ。そして、それ以上の物理的な被害、精神的な被害が小春君に行く可能性はゼロじゃない。私にはな、美形のマスター何かよりも、大切な親友の安全の方がよっぽど大事なことなんだよ」

「桜……」

「昔から小春君は常人にはない力を持っているせいで、何でも自分が我慢する方向に向かいがちだ。全然気にしてないとは言ってたが、気にしない人間なんてまずいないよ。何をされても気にしない振りをしているだけだ。鈍感な振りをしているだけだ。そうでないと自分が辛いからな。だが万が一のことがあったらどうする。誰にも話してなくて、誰にも原因が分からず、道端でいきなり刺されて死んだりしても、私には幽霊の小春君を見つけられる目も持っていないんだぞ。──それに、同人誌買うためにビッグサイト行っても帰りに泊めてくれる相手もいなくなるじゃないか」

「私の家は無料宿泊所ですかね?」

「違うぞ。ちゃんと小春君の好物のかるかん饅頭と薩摩芋タルトは持って行くから有料だろう?」


 最後は笑い話にしたものの、桜が心配しているのは痛いほど感じられた。私のような人間にこんないい友人がいるとは、本当に感謝しかない。

 身の回りには気を付けるから、と電話を切ったが、さて気を付けるとは言っても、どこをどう気を付ければいいものか。最近の私の生活は片道十分弱のぱんどらの往復と、せいぜい休みにたまーに吉祥寺まで出て本を買うかスイーツを買うかぐらいである。それもここ二週間は近所のコンビニに飲み物買いに行った位で電車すら乗っていない。

 ころん、とベッドに横たわり天井を見つめる。

 まあ坂本さん(推定)も、ほぼ動きがない私には上手い嫌がらせもしようがないんだろうなあ、と考える。とりあえず今のところは様子見だろう。



 ぱんどらに知らない男性と坂本さんが現れたのは、それからすぐ後の土曜日のことだった。




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