将を射んと欲すれば

 それからまた暫くは平穏な日々が続いていた。

 私は相変わらずぱんどらで働き、昼と夜に豪勢な賄い飯を頂きつつ、ついでにマスターの淹れる美味しいコーヒーも堪能でき、更にはお給料まで頂けるという、何だか居たたまれない気持ちになるほどリア充な生活で、貯金も増えていた。当然だ、食費などの生活費が浮いてる上に、家賃(六万円の一K・風呂トイレ別)と光熱費、公的な税金や年金の支払い以外は、たまにスイーツ買ったり、本を買ったり、くたびれた洋服をユニ●ロでリーズナブルに入手するぐらいの出費しかないのだから浪費のしようもない。ブランド品にもアクセサリーにも興味がないし、遠出をしてSNS映えするような景色を撮りに行く趣味もない。マスターのように完全な引きこもりではないが、私も基本インドア派閥の人間なのである。

 外に出ると必然的に霊関係の皆さんがいらっしゃるので、積極的に出たくはないという気持ちもある。ある程度の除霊の真似事をして、家に誰もするっと入ってこない状態でのプライベート生活は最高である。


 今日は思ったより店が忙しく、雑談するゆとりはあまりなかった。

 そして、週末ということもあるのか、初見の大学生ぐらいの女子四人が公園に遊びに来たついでにたまたま訪れた。

 マスターの顔を見て驚いて顔を赤らめたりぽーっと見つめたりしていたのだが、「あらいらっしゃいませー、そこのテーブル使ってねえ」と長年身に着いたオネエ口調で返すと、本当に邪な視線がたちまち【守備範囲外】に切り替わる瞬間を目の当たりにした。本当に一般的な女子というのは、いくら美形だろうと恋愛対象をオネエに向けることはまずないんだなあ、とマスターのご両親の慧眼に感心した。ルーマニアのご両親様。あなた達のお陰で今のところ安全に生きられてますよマスターは。


 マスターはマスターで、擬態であるオネエ道を極めるために、定期的に女性向けのファッション誌なども購入しており、話し掛けて来る女子の為にも努力は怠らない。


「あら、そのスカーフ今流行りのダークレッド系ね、似合ってるわよー」

「今ネイルはどこそこの店のデザイナーさんが人気らしいわね」

「ちょっとレディーとしては、もう少しヘアケアに気を遣わないとダメよ? そんなんじゃモテないわよお姉さん、元は可愛いんだから」

「やだ、俳優の西嶋くん? 私も大好きよ~♪ あの細マッチョな感じ、ほんと素敵よねえ」


 などと、同性的アプローチで微レ存の恋愛フラグもバキバキに砕いて行くので、それでも常連さんになる人は、本当に店のコーヒーと雰囲気が好きな人か、マスターの容姿に興味がない近所の年配者や男性、そして害のない腐女子ぐらいである。


 私はこの店で働く唯一の女子なのだが、基本的に変化に乏しい能面顔で顔もごく普通。マスターにベタベタいちゃつこうとする気配もない。「まあマスターがこんな女によろめくことはあるまい」という安心感なのか、妬みの視線を受けることはほぼない。嬉しいのか悲しいのか微妙なラインではあるが、マスターがオネエに擬態してくれているお陰で私も助かっているのである。


 そして、先日訪れた刑事の正延さんであるが、彼は彼で殺人を扱うような部署だからか大変忙しいようで、あれから仕事の合間にコーヒーを飲みに一度訪れたきりである。


「すみませんね。ちょっと捜査が忙しくて、泉谷さん達の件についてはノータッチでして。……それはそうと、円谷さんのお祖母さん、かなり著名な方みたいですねえ、ユタの業界で評判もよろしいそうで」

「ああ、そうみたいですね。長年やってますから」


 なるほど、家族の身元調査みたいなものもされるのかと思ったが、考えてみれば、二十年ちょいしか生きてない私自身にそんな調べるほどの歴史もない訳で、私が眉唾な情報を寄越す単に精神がヤバめな女性なのか、少しは信憑性があるのかの軽い裏付けをするのは仕方ないのかも知れない。精神科の通院歴も調べられただろうし、私が一応まともな一般市民であることはいずれ分かって貰えるだろう。まとも、という概念が幽霊が見える見えないかで図るのならば真っ黒ではあるが。




『なあマークさんよ、何で毎回ポーズ取らな変身出来んのやろか?』

『ですからね、このライダーの場合は、ベルトにカードを装着することによって敵と戦える強いスーツが着られますけど、ぼーっと待ってるだけじゃ間が持たないでしょ。だからポーズを取るんですよ。ほら格好いいじゃないですか。子供達はヒーローの格好いい姿に憧れます』

『でもさー、これ毎回シリーズって、どんどんイケメン含有率が増えてくよねー。むしろ変身しないで戦って欲しいんだけどなー私』

『What? このデザインがクールなんじゃないですか杏さん!』

『美形は素顔を愛でたいタイプなの私』

『でも私は武侠で刀持ってヒューって空飛んでく方がクールと思うヨ』



 夕飯のキノコの和風パスタを平らげて、ジバティーさん達に動画を見せながら、本当に間が持たないからポーズをするのだろうか、などと首を捻っていると、マスターがコーヒーを淹れてくれた。


「ありがとうございます」


 今日もマスターのコーヒーは美味しい。


「そういえば、ひろみさんから聞いた坂本さんの件、結局何にもなかったわねえ。店にも来ないし、きっとひろみさんの気のせいだったのね」


 マスターは少し安心したように笑った。相変わらず百ワット電球のように神々しささえ漂う眩い美形である。私は思わず目を細めた。


「何事もなく良かったじゃないですか」

「ええ、そうなんだけどね……」

「──何か気になることでも?」


 マスターが考え込むようなそぶりをするのでこちらまで気になる。


「……ナルシストだと思わないで欲しいんだけど、小春ちゃんも知ってるように、私、正直に言って、顔が万人受けしすぎて被害を被ってた人間じゃない? それも概ね相手が病んでしまう方向に向かうほど」


 ちょっとコーヒーがむせそうになったが、私は耐えてこくりと頷く。


「小春ちゃんが前に呪いのホープダイヤみたいって言ってたけど、的を射てるような気がするの。前の人たちも私に会う前はごく普通だったみたい。私が道を歪ませた感じよね。だからってあの人達を許す気にはならないし、二度と会いたくはないけど、あの坂本さんって人も同じですごく怖いのよ。ろくに話もしてないのに、私を見る目が恋する乙女そのものだったんだもの。簡単に諦めるようなタイプに好かれたことないからね私。このまま何事もなく、で済むのかなあ、って不安になるのよね」

「……」


 自身の血で書いたラブレターを毎日下駄箱に入れられたり、帰り道を尾行されたり、電車で痴女に尻を撫でられたり、裸で自宅の部屋に不法侵入されたり、ナイフで心中を一方的に持ち掛けて襲って来られたりという豊富な経験をしていれば、そりゃあ何も起こらないことが不安にもなるだろう。


「……ですが、実際何もない訳ですよね。あの方いかにもモテそうな美人さんですし、マスター以外にもイケメンがいくらでも寄って来てるかも知れないじゃないですか」


 マスターほどのクオリティーの魔性の美貌は、日本中探しても見つかるかどうかだが、変に不安を煽らないように言ってみる。


「そう、かしら?」

「そうですよ。ほら、マスターも言ってたじゃないですか。年を取ったから吸引力が落ちたのかも知れないって。それならそれでラッキーじゃないですか」

「……そうね。そうかも。気にしすぎかしらね、やだわーもう私ったら」


 心のもやが晴れたようなマスターにホッとする。せっかくたまに外にも出たり、近所なら変態セットで食料品の買い物も出来る位アクティブになって来たのに、変にまた悩み出して引きこもるのはよろしくない。


「先々何かあれば考えましょう。今は考えても無駄だと思います」

「そうよね。小春ちゃんて本当に落ち着いていて頼りになるわ。年上に頼られても嫌だと思うけど。すぐローになる方に考えちゃうから私」

「まあ私程度がお役に立つなら幸いです」


 売れ残りのケーキを有り難く頂き、家路を辿りながら、なかなか精神的な恐怖心は根深いなあ、とため息をついた。私が何か出来る訳でもないと思うが、話を聞く位で気持ちが切り替えられるなら、いくらでもお付き合いしようと考える。


 アパートに辿り着き、大して郵便物もないポストをいつものように覗いた私は、いきなりぬるりとした感触を感じてひっ、と手を引っ込め、凍り付いたように固まった。


 ポストの中には血まみれのハムスターの死骸が四匹、折り重なるように入っていた。


(……可哀想に……)


 坂本さんの顔を思い浮かべ、そばにいる私が邪魔なのかもなあ、と思いつつ、いや坂本さんと決めつけるのは良くない、でも東京にはユタの血筋だからと恨まれたり嫌がらせする関係の知り合いがいないし、などと思考が飛び交っていたが、結論としてすぐに出て来たのは、一つだけだった。


(これはマスターには言えないなあ……)


 マスターは自分のせいだと考え、また極度の女性不信の引きこもりに戻るだろう。他人に迷惑がかかるのをよしとする性格でないのは、数カ月の短い付き合いでも分かる。私の能力を気味悪いと思うでもなく、普通に受け入れてくれるとてもいい人だ。こんなことを話して、彼を悲しませるのは本意ではない。


 奄美にいた頃、私の中高生時代は暗黒だった。ただユタの家系で気味が悪いという理由から、下駄箱にある下履きに糞尿をつけられたり、ゴキブリの死骸を何匹も入れられたりしたし、モグラの死骸が入っていたこともあった。正直気分のいいものではないが、正直悪意を向けられるのはもう慣れている。


 私は部屋に戻り、ポストを片付ける物を探す。

 あの子達は大家さんには悪いが、亡骸はアパートの植木のそばに埋葬させて頂くことにし、彼らを包むタオルや清掃用の洗剤、土を掘り返すためのスプーンなどを掴みながら、結局、幽霊よりも人間の方がよほど恐ろしいよ……と深く息を吐いた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る