本当にすみません
田舎者である私にとって、東京の地下鉄業界は鬼門である。
何故こんなに沢山の線が交わっているのか。いやそこは百歩譲って、色んな方面から中央に出て来る社会人や学生がいるのだからいいとしても、同じ駅構内を人に流されるまま動いていたら、何故別の駅についてしまうのか。ややこしい。私にとって永田町はそういう駅である。以前、仕事の面接で赤坂見附に来ていたのに、帰りに地下道で迷っていたら永田町に着いた記憶が蘇る。
ぱんどらの休みである水曜日。私鉄と地下鉄を乗り継ぎ、私は国会図書館に向かうべく、永田町に降り立った。駅の周辺マップを見て、図書館の場所を確認。最高裁判所と国会議事堂に挟まれているのを見て、別に悪いこともしていないのに足がすくむのは不思議である。自宅周辺で時々出会う、自転車で巡回している警察官に感じる気持ちと良く似ている。これは、私が田舎者だからなのか、潜在的な犯罪者気質を持っているのか謎だ。後者でないことを信じたいが、まあ真っ当に生きているつもりでも、何か自分が知らずにやらかしたのかも知れない、という不安はつきまとうのだろう。
国会図書館に入って利用登録をし、新聞資料室なるところに向かう。とても原紙を一からチェックするには時間も手間もかかり過ぎるので、PCで縮尺版やマイクロフィルムなどのデジタル資料を当たることにした。
だが、地方紙までチェックしても、泉谷さんや李さん、杏さんのフルネームで検索がヒットしない。被害者の名前が出ていない強盗事件や轢き逃げ事件を見ても、それらしきものが見つからない。
(……泉谷さんは、足場から落ちてすぐ亡くなった訳じゃなかったら、単に仕事中の怪我、というレベルで報道まではされていないかもと思ったけど……)
轢き逃げに遭った泉さんや、強盗に襲われて亡くなった李さんまで出て来ないのは予想外だった。かなり遡って調べたのに、収穫がなくガッカリである。それだけ同様の事故や事件が多いのか、もっと大きな事件に紙面を割かれてそんな小さい事件は相手に出来なかったのか。
泉谷さん達も、何か手掛かりが見つかるかもと楽しみにしていたのに、報告するのが申し訳ない。
国会図書館を出て、すぐそばにある和式庭園のベンチに座り、ペットボトルのお茶を飲みながら、ぼんやりと周囲の景色を眺めていた。
(……泉谷さん達、残念がるだろうなあ)
などと視線を落とし考えていると、声を掛けられて顔を上げた。
『お嬢さん、アナタ落ち込んでますね。女性が悲しそうな顔するの良くないです。どうしましたかー?』
顔を上げなければ良かったと後悔した。幽霊さんである。それも金髪で青い目の明らかに外国人だ。男性で三十代ぐらいだろうか。
『……アレ? いつもなら話しかけても無視されるのに、お嬢さん私見えていますかー?』
自分の霊感どっか消えればいいのに。
そうは思ったが目も合ってしまって今さらである。自然に見えたり聞こえたりしてしまうものを無視するのも性格的にしんどい。
「──ええまあ」
そう答えるしかなく、歓喜の表情を浮かべた男性はいそいそとベンチの隣に腰掛けて、あれやこれやと話しかけてくる。昼時を少し過ぎたからか人通りが少なくなっており、ベンチに座っている人も、自分のお弁当を食べるのとスマホを見るのに集中している人ばかりで助かった。でなければ見えない空間に相槌を打ったり、頷きながら話をしているように見える私は、さぞかし危ない人と思われていただろう。いや充分ヤバい人なのだが。
「──あら小春ちゃん、何だか表情が暗いわよ。貧血でも起こしてるんじゃないの? 天気がいいから熱中症かしら? いえまだ三月だものね……ほらほら、とりあえず入りなさいよ」
マスターの家に、トークアプリで報告があるのでお邪魔したいと伝えると、いつも通りOK! とゆるいウサギのスタンプが返って来た。私は国会議事堂のそばの土産物屋に立ち寄ってから、真っ直ぐマスターの家に直行した。
本日も日本の母、というような割烹着で現れたマスターに出迎えられ、リビングに案内される。本日はブルーベリーのムースを作っているようだ。
「あ、これお土産です」
私の差し出した箱を受け取ったマスターは、ちょっと呆れた顔をした。
「……小春ちゃんあんたねえ、私が総理の顔のスタンプが押されたクッキー貰って嬉しいとか本気で思ってるの?」
「いや、ご当地ものなのでいいかと。あ、クリアファイルとかキーホルダーの方が良かったですか?」
「もっと要らないわよ。それに変に気を遣って毎回土産を持って来なくていいのよ」
「はい、すみません」
私はマスターの淹れてくれたモカコーヒーを飲みながら、収穫がなかったことを告げ詫びた。
「そう……ま、それもそうよねえ。簡単に分かるものでもないわよね。まあ気にしなさんな」
「はい……それで、もう一つご報告が」
「?」
「国会図書館のそばでお知り合いになった方がおりまして」
「うん。それで?」
「ご紹介します。浮遊霊のマーク・ボンドさんです」
私はソファーの隣に手を向けた。
「なっ……浮遊霊って」
口をあんぐりと開けたマスターを見て、すぐに私はソファーから降りて床で土下座した。
「浮遊霊というのは、実は超常現象研究の第一人者の造語なのですが、一応説明させて頂きますれば、土地や建物からほぼ移動が出来ないのが地縛霊で、まあゆるく定住せずに動き回るのが浮遊霊といった大雑把なくくりが──」
「誰が浮遊霊の解説を聞かせろって言ったのよ。せっかく久松さんが成仏したばっかりで、成仏コンボを狙っていたってのに、何でまた幽霊増やそうとしてるのよ小春ちゃん!」
「確か成仏ドミノと伺った気が」
「そんなことどっちだっていいのよ! どうりで何だか小春ちゃんが入って来る時にゾワっとした訳だわ。気のせいかと思っていたけど」
「うっかり見えていることがバレてしまいまして。それで仕方なく公園で話を聞いておりましたら、ここまで付いて来られた次第です。いえ私はですね、またその辺を徘徊して欲しいと何度もお伝えしたのですが、話を聞いて貰える人間なんて滅多にいないから、と。──あ、マークさんがマスターによろしくと言いながらニコニコと手を振っています」
「ああ、こちらこそよろ……じゃないわよ! ああ全くもうっ!」
幽霊と怖いものが苦手なマスターは、ただでさえ泉谷さん達を成仏させたいのに、更に私がマークさんを連れて来たので涙目である。私も地縛霊であればワンチャン逃げ切れたのだが、浮遊霊ではお手上げである。
「彼も泉谷さん達と同様、ドロドロ成分は欠片もない陽気な日本のアニメオタクさんですので、久松さんのように暫くぱんどらにご厄介になれれば、と。私も流石に家でお風呂に入っているところや着替えを見られたくないですし」
「そりゃそうだろうけど……はぁ」
ぱんどら行くわよ、とマスターが割烹着を外し、鍵を手に取ると私(とマークさん)を連れ、ぱんどらの裏口を開け中に入った。
電気を点けると、
『あれ? 今日休みでしょ小春さん? どしたの? わー、外国の人だー』
と奥のテーブル席から杏さんがやって来た。
私は先住者であるジバティーさん達に簡単に経緯を説明し、マークさんを紹介した。良かったら話し相手になって欲しいとお願いすると、暇を持て余し気味の三人は大喜びである。
『時間はいくらでもあるで、話はなんぼでも聞いたるでえ』
『そそ。私達は優しいヨ。ダイジョブダイジョブ』
『他の人の話を聞くの大好きだからねー。ささ、こっち座って座って』
相変わらず来るもの拒まずオールウェルカムの姿勢である。マーク・ボンド氏も幽霊とは言え、気軽に話す相手が出来て嬉しそうだ。
『初めましてー、どぞヨロシクですー』
笑顔で挨拶をすると、外国人ならではのフランクな距離感で仲良く話を始めたので、私とマスターは静かに店を後にした。
マスターの家に戻り、冷えたコーヒーを淹れ直したマスターは、私も言い過ぎたわ、ごめんなさい、と私に謝罪した。
「え?」
「考えてみたら、小春ちゃんも別に、好きで見えたり聞こえたりしてる訳じゃないんだものね。私だって店のジバティーさん達の件で、小春ちゃんに手助けして貰ってる状態だってのに。小春ちゃんの責任でもないのに文句を言う筋合いじゃなかったわ」
「……マスターは珍しいですね。地元では学生時代、ユタの家系ってだけで幼馴染みの友人一人以外は避けられてましたよ。だから東京に働きに出ようと思ったのもあるんですが。だって、正直気味悪くないですか?」
「いや、そりゃ自分が見えたら怖いだろうけど、別に小春ちゃんを気味悪いとか思ったことはないわね。お陰で久松さんもお姉さんも救われたんだし、そういう力があるってのは単純にすごいなーと思うわ」
「そう言って頂けるとありがたいです。お礼と言っては何ですが、定職探すの当分はお休みして、ぱんどらで働きます。マークさんを連れて来た責任もありますし」
「やだ嬉しい! 感謝のしるしに……総理大臣クッキー食べる?」
「いえ、それよりも出来立てのムースの方が大変嬉しいです。マスターの作るケーキみんな美味しいですから」
「……小春ちゃんは餌付け出来そうよね」
「抵抗力がないのは否定出来ませんね」
笑いながらケーキの用意をしてくれるマスターに深く感謝をしつつ、マークさんも何とか早く成仏してもらいたいと切に願う私であった。
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