青春ピストル
ケーン
あの頃、ぼくは14歳だった
暮れかけの空には、さまざまな色が水彩えのぐを溶かしたようにうずまいている。
赤、みずいろ、黄色にむらさき。東の麓には濃紺の夜が澱のように沈んで、ちいさな星たちが炭酸の泡のように浮いている。
ぼくと野田芳樹は、国道脇の歩道を自転車で走っていた。野田は最近購入したばかりだというマウンテンバイクに跨がっている。肥満体型の彼に、そのスポーティーな自転車は少々不釣り合いにみえた。
チェーンは滑らかに回り、薄暮の中を心地よく風をきる。
右側を幹線道路が走り、左側にフェンスを挟んで広大な飛行場がひろがっていた。敷地内には野球場のそれのように照明が並び、滑走路をオレンジ色に染めている。現在は航空機の姿はみえない。
ぼくが暮らす山麓の田舎町には、山林を切り拓くように軍事施設が存在していた。在日アメリカ軍の空軍基地。日本の行政権が及ばない治外法権地区だ。それはいつか映画でみた、『未知との遭遇』の秘密基地みたいな様相を呈している。その影響か、日本文化に欧米の香りが溶け込んだふしぎな町だった。
ときどき、眠れない夜などに部屋からぬけだして自転車を走らせると、国道に架かる歩道橋へのぼった。なにをするわけでもない。欄干に寄りかかり、米軍基地内のオレンジ色の照明に照らされた滑走路をぼんやりみつめたりする。夜空にまたたく星とか、管制塔のあかりとか、ときおり真下をながれるテールランプの赤い帯、深夜の歩道を歩く男の行方、そんなものたちを、来る途中セブンイレブンで購入したコーヒー牛乳を飲みながら、どこか感傷的な気分になって眺めた。意味もなくそんな気分に浸りたい年頃だったのだ。
あのころ、ぼくは十四歳だった。
目的地の商店街に到着し、ぼくらは駅前の百貨店の煩雑とした駐輪場に、押し込めるようにして自分の自転車を止めた。
ぼくたちのお決まりのコースは、まず『ファミコンショップ桃太郎』からはじまる。
プレイステーションとセガサターン。所謂、次世代ゲーム機が発売され、今テレビゲームはおおきな転換期をむかえていた。専門誌でもこの二台のゲーム機の特集で埋め尽くされている。ぼくも念願かなってプレイステーションを誕生日プレゼントとして母親に買ってもらったばかりだった。
胸を躍らせて電源を入れると、神秘的な音楽とともに真っ黒い画面にプレイステーションのロゴが浮かぶ。起動画面だ。
「なんか、新時代の幕開けって感じがするよな」
野田芳樹は感慨深げな面持ちでそう評した。そんな彼は、プレイステーションとセガサターン、両方所持している羨ましいやつである。
ゲームショップで新作ソフトや周辺機器をチェックし、体験版コーナーで遊んだあと、書店では目的のゲーム雑誌を立ち読みした。パソコン専門書のコーナーではコンピューターグラフィックの本を物色する。フォトショップやペインターといった画像編集ソフトなどを使って、どのようにイラストを描き、きれいに色を塗るかということが図解で説明されている。高尚なアートではなく、いわゆる、美少女ゲームに登場するアニメ的な女の子の絵だ。ぼくも野田も絵を描くのが好きで、どれだけ可愛い女の子を描けるか日々切磋琢磨しているのだ。とはいっても、野田と違ってぼくはパソコンを持っていないから、こんな専門書を読んだところで意味はない。だけど、こうやって眺めているだけでも結構たのしいものだ。
けっきょく当初の目的だったゲーム雑誌は立ち読みで済ませ、気になった『コミック ギガテック』というエロマンガ雑誌を買ってしまった。野田もエッチな美少女ゲーム雑誌を購入していた。
書店を出たあと、ロッテリアで休憩した。お互いおこづかいが出たばかりで、夕食前だというのにもかかわらず、チキンコンボのセットを注文した。
ぼくらは骨付きチキンを齧り、コーラを啜りながら、次世代ゲーム機のことや最近話題になっているアニメ、『新世紀エヴァンゲリオン』のことなどを語り合った。
野田芳樹とは小学三年生のときからの付き合いである。趣味や価値観が似ていて、ぼくが唯一、親友とよべる人物だ。彼とこんなふうに遊んでいるときだけ、学校での嫌のことをひととき忘れることができる。それだけに中学に入学してから一年、二年と別々のクラスになってしまっているのが残念だった。
野田はとっくに飲みほしてしまったコーラを汚らしい音を立てながらしつこく吸ったあと、さきほど買ってきたエロゲームの雑誌を紙袋から取り出した。大袈裟なためいきをつきながらそれをめくりだす。
「ちょっと、こんなとこでひろげんなよ」
「どうやったら、こんなことできるのかなあ」
「は」
「おれたち、いつ頃になったら、かわいい女の子とこういうことできんのかな」
そういって野田は雑誌のあるページを指差した。そこには全裸の赤い髪の美少女が男に跨っているCGが載っている。『放課後マニア倶楽部』の特集記事だった。
「だから、こんなとこで見るなってば」
公共の場所でエロ雑誌をひろげてこんな会話をするなんて、野田は恥ずかしいと思わないのか。ぼくはとても恥ずかしい。
「いっちゃんだって可愛い女の子のまんこ、見たいだろ?」
いっちゃんとはぼくの渾名である。
「なんだよ、いきなり」
「なんでもねえよ、可愛い子のまんこが見たいっていってんの。みたいだろ?」
そりゃ……、とぼくは口籠った。
「なんかいい方法ないかなあ、まんこ見る方法」野田芳樹は雑誌を閉じると、それをていねいに紙袋へ戻した。
「いつだったか見たじゃん。裏ビデオで」
以前、野田の自宅でモザイクなしの裏ビデオをみせてもらったことがある。野田の父親が隠していたのを彼がみつけだしたもので、ケバケバしい金髪外国人の洋物ビデオだった。
「だめだめ、あんなババアじゃ」と野田は顔を顰めた。「しかもブスだったし。もっと可愛い子のまんこが見たいんだよ。それにビデオじゃなくて、生で見たいじゃん」
それからぼくらは、学年のどの女子のまんこが見てみたいかという、しょうもない会話をした。
「いっちゃんのクラスにさあ、なんか可愛い女子いるじゃん?」
「だれ?」
すぐに合点がいったが、あえてとぼけてみる。
「あの、ほら……、なんだっけ」
そういって彼はまぶたを閉じ、眉間にしわを刻んだ。必死に名前を思い出そうとしているようだ。
ややあってから、「そう、水谷!」と目をみひらいた。
「水谷だよ、水谷」
クイズ番組の解答者のごとく、こちらを指差す。
「あの子、超かわいいよな。あの子のまんこ見てえ」
確かに、同じクラスの水谷紗希子はとても可愛らしい。ぼくもすこし気になる女子だ。
「なんかアイドルみたいだもんな」
「なに。水谷さんのこと好きなの?」
ぼくはちょっとからかい気味に訊いてみた。すると野田は、
「べつに、好きじゃねえよ。クラス違うし」と素っ気なく否定した。
なんでも話せる野田でも、気になる女の子のことだけは打ち明けられなかった。なんだかおかしなことなのだけど、エッチな話題などは気軽に話せても、真剣な恋愛の話になると途端に口が堅くなる。好きな女子のなまえを口にするなどもってのほかだ。それは自分の中の最もやわらかい部分を手放しに曝け出すようで、全裸になるよりも恥ずかしいことのようにおもえたからだ。
家に帰りついたのは夜の七時だった。
お風呂に入り、夕食を食べ、テレビを観る。やがて父親が帰宅すると、彼と適当に言葉を交わし、自室に引き上げた。
宿題を済ませると、最近はまっているプレイステーションの『キリーク・ザ・ブラッド』を攻略し、「腐れ外道」ことあかほりさとるの深夜ラジオを聴く。
そろそろ眠らなくてはいけない時刻になり、ぼくは今日買ってきたエロマンガを、隠してあった押入れの奥からトイレットペーパーといっしょにひっぱり出し、寝床に潜りこんだ。ページをめくりながら勃起したペニスをしごく。
オナニーを終えると、精液を放ったトイレットペーパーを便所に流した。こんなふうに、ゴミ箱に生臭いティッシュを溜めたあげく親に露見しないため、水洗で処理できるトイレットペーパーを部屋に常備してあるのだった。野田に教えてもらった豆知識である。
すっきりすると、ほどよい眠気がおとずれる。明かりを落とし、枕元のランプを点け、ライトノベル――最近では神坂一の『スレイヤーズ』の最新刊を読む。そうしているうちに瞼が重くなって、やがて眠りに落ちた。
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