第4話 母への手紙

 オーギュストが図書室に現れると、ヴァーギュイヨンは走り寄った。


「殿下にお怪我がなく、安堵いたしました」

「そうか」


 いつも通り淡々と話す王太子の姿に、傅育官は胸をなでおろした。


「もし怪我をしたのが王太子妃であれば」


 ぎくりと傅育官の肩が強張る。目の前の少年は、冷え切った眼で彼を見下ろしていた。

「僕はそなたを極刑にしていた。権力の使い道を間違わずに済んでなによりだ」

 背ばかりが高い、頼りない少年はどこへいったのか。傅育官は不快感をあらわに言った。


「何を根拠におっしゃるのです」

「叔母上が乗馬を唆したついでに気性の荒い馬をあてがっただろう」

「何をおっしゃいます。私は御者が選んだ馬を連れてきたにすぎません」

「オーストリアに不信感を持つ貴族たちは、僕たちの完全な結婚を望んでいない。それは承知している」


 オーギュストは窓辺に歩み寄る。庭でアントワネットとエリザベートがワルツを踊っているのが見えた。桟にのせた手のひらに力がこもる。


「今朝の議会で、国王陛下はこう宣言した。フランスの望みはオーストリアとの友好だと。ゆえに、僕からもはっきり言っておく」

 オーギュストの青い瞳には、怒りがあった。

「彼女に対するあらゆる侮辱は、すべて僕への侮辱と見做す。今後一切、僕の妻に関わるな」


 傅育官は長い沈黙のすえ「御意」と応えた。


    ※※※


 アントワネットの手紙は、ブリュッセルを経てウィーン・皇宮ホーフブルクへ届いた。

 マリア・テレジアは手紙を持ち、皇帝の間に向かった。執務机で手紙を開いてテレジアは苦笑をもらした。

 手紙の端に『今回からは私も失礼します。オーギュスト』という一文を見つけたからだ。

 随分読みやすいとおもったら、王太子が娘の文法を直してくれたようだ。

 どうやら夫婦仲については、大きく前進したらしい。テレジアは椅子からゆっくり立ち上がる。


「フランツ、私たちの可愛いトワネットと賢い婿君を、どうか見守ってあげてね」


 と、女公は亡き夫の肖像画に微笑みかけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る