どこをとってもはみ出しものの僕ですが

黒い白クマ

学校2日目ですけどもう辞めたい。

概ねの場合、あの青い封筒は色通り幸せの使者であるはずなわけ。だから……あれを郵便受けから取り出してこの世の終わりみたいな顔したヤツは、この階に揃っているであろう全1年生合わせたって僕くらいのものだと思う。


1ヶ月ほど前にポストに現れやがった招集用紙に思いを馳せながら、遠藤エリはB組と書かれた入口の表示を確認して引き戸を開けた。


入口から1番遠い窓側のブロックの1番後ろの席、右側。ここが僕の席。


おはよう、とエリが席の隣に座っている少年に声をかければ、長い髪を揺らして突っ伏したまま、少年がおはようと返す。


「マーちゃんマーちゃん、多分聞かない方が平和なこと言っていい?」

「え何その前フリ。逆に気になるやつ。」


リュックをどさりと置いたエリに、マサトシが顔を上げた。マサトシのルビー色とエリの視線がかち合う。


昨日1日「真部と呼べ、せめてマサトシかマー君」と抗議を受けたけれど、エリが全部丸無視したからか今日は何も言われない。エリはさては折れたなとニヨニヨ笑った。


彼の言葉を発言許可と捉えて、エリは椅子を引いて座りながらマサトシの耳元に顔を近づけた。そのまま小さい声でヘルプを求める。


「ここ来るまでにね、リュックでズレちゃってブラのホック取れたんだけど。これどうしよ。」

「……遠藤さん???なんでそれ俺に言った?」

「だから聞かない方が平和っていったのに。」


途端に呆れ半分驚き半分の顔になった彼はかなりのスピードで教室備え付けの時計を仰ぎ見た。1-Bの時計はA組の時計と違って狂いにくいから、その時計が間違ってることを期待することは出来ない。マサトシは頭を抱えた。


「あと3分でホームルーム始まるぞ!?直せないだろ。」

「そう。」

「ホームルーム中気が散るだろうが!」

「やぁ健全な高校生。」


彼女が笑顔でサムズアップしたら、マサトシは思いきりその頭をはたいた。


やめろ、僕の貴重な数少ない脳細胞が死んじゃうだろ。


ムッと頬をふくらませたエリを死んだ魚の目で見て、彼がため息をつく。


「マジでいい加減にしろよ遠藤、巻き込むな。」

「僕だけずっと不快感を抱えていたくないので君にもソワソワ感をお届けしておこうかと。え、ねぇ直せる?」

「その分厚いトレーナーを着てよくお願い出来たな?つぅか外したことしかないんですけど。」

「突然の不健全発言やめて貰える?」


頼むわとエリが背中を向ければ、ブチブチと文句を言いながらも作業を試みてくれるあたりマサトシは甘い。


マーちゃんとは昨日初めて会ったところなので、どこまで本当の性格でどこまで猫かぶりなのかは分からないけどね。


「そもそもどれだよ、紐の位置すら分からねぇ……」

「服の中手ぇ突っ込んでもいいよ。」

「お前が良くても絵面が良くねぇのよ。」

「うわ、何してんのあんた達。」


聞こえた声に顔を上げる。呆れ顔の幼なじみに、エリはニパリと笑いかけた。


「姉御いいところに。」

「森岡、誤解だ。」


姉御、森岡、と呼ばれた彼女の名前は正しくは森岡モエミ。手短に説明するマサトシの言葉を聴きながら、彼女はエリの前の椅子を引いた。なるほどね、と言ってから手を振る。彼女の肩にかかった銀髪が揺れて光を通した。


風がエリの服の中をするりと駆ける。


「わーい、直った!」

「これくらい2人も出来るでしょ。」

「俺がやろうとすると濡れるぞ。」


不貞腐れたようにマサトシが答えれば、モエミは肩を竦めてパイライト色の瞳を細める。


「濡れないように上手くやれないの?」

「お前らの風と違って水と物の操作は相性が悪い。んな上手くいくなら学校なんかこねーよ。」

「や、学校はこなきゃでしょ法律的に。僕は見えないところで細かく能力使うの苦手ぇ〜。」


エリとマサトシが口々に抗議すれば、モエミは苦笑いを浮かべて席に座り直した。


「分かったけど……マサはあんまりエリのこと甘やかすんじゃないわよ。」

「甘やかしてねーけど。」

「そーなの?マーちゃん結構甘いよ。」

「マジ?不本意。」

「エリがそれを言うの?」


モエミが半眼でボヤいたと同時に、チャイムが鳴った。同時にぱちぱちと電気が点滅したのは耳の聞こえない生徒のため。異能力者、という条件でぶち込まれた生徒の中には色々な生徒がいるのである。


一般的に、個々に対応しようとすれば大変だからそれぞれの特性に合わせた学校が出来るのだが、残念ながら「異能学校」はそもそもがマイノリティーのための施設。そこから更に別れたって立ち行かないので、入学時に要望を聞いて出来る限り対応する形に落ち着いている。まぁ25世紀前でもないし、それなりに技術がギャップを埋めてはいるが。


入口から入ってきた随分と小柄なスーツ姿が、なんの躊躇いもなく教卓に飛び乗る。優に1m程の高さの、助走なしの跳躍だった。やけに高い身体能力。


身体強化の能力者かな。いや、ならA組の担任だよなぁ。


頬杖をついて、エリはじっと担任を見つめた。メガネのフレームにかかった水色の髪を払うついでに、隣のマサトシにあの人知ってる?と小声で尋ねた。視界の端で彼の結んだ金色が左右に揺れる。異能力者は目立つので割合有名なことが多い。異能学校の教員ともなると、ニュースで見た事のある人がいてもおかしくはないのだ。


「えー、B組の皆さんこんにちは。この教室は入学時に能力を自然か精神で提出した方が割り振られています。ミスがあればホームルームの後教えて下さい。改めまして私立一楠異能学園にご入学おめでとうございます。私はB組担任の松下です。」


微妙に斜めった字で松下マヤと黒板に書き付けたあと、担任はくるりと体の向きを変える。今どき珍しいくらい自然な黒髪を肩で綺麗に切り揃えた担任は、実に眠そうな目でクラスを見渡した。


「とはいえ私は強化系の異能力者です。自然・精神の能力者は今期非常勤さんしかいないので、実技の授業はその方にお任せします。明日また紹介するね。学校生活で困ったことは私に言ってください。」


ぴょんと飛び上がって松下先生は黒板の上を引っ掴んだ。ぶら下がったまま斜めった字で本日の予定、と書き付けていく。確かに高い位置の方が見やすいけども、とエリは目を瞬かせた。教室が少しざわつく。


松下先生はそれを気にも止めずに書きながら言葉を続けた。


「本日はオリエンテーションと能力テストをして、で午後は休講です。昨日入学式の時に出たプリントで分かってると思いますが、授業は明日からね。入学時にテストしたのは入学最低ラインを超えてるかどうかしか見てないんだけど、今回のテストは実技授業の振り分けを行うテストですので、もうちょい細かく見ていくから。まぁ気張らずにやってください。質問無ければホームルーム終わりにして、45分からオリエンテーション始めるけど……」


入学しちゃったなぁ。


エリは松下先生の表情とは裏腹にキビキビした声を聞きながら、ズレてもいない丸メガネのブリッジを押し上げた。


1ヶ月ほど前にポストで青い入学許可証を見つけた時と、全く同じ顔。


「ほんとに来ちゃったんだけど……」


あの日、いつも通り新聞をポストに取りに行ったエリはむすくれた顔で手に持った封筒を新聞ごとダイニングテーブルに放り投げた。テレビを見ていた母親が、こちらを見もせずに聞き返す。


「何が?」

「入学許可証。」

「そりゃくるでしょ、次の4月に入学するんだから来なきゃ困るわよ。エリだって昨日自分で届くって言ってたじゃない。」


合格出来て良かったわねぇなんて呑気にのたまう母親の背中に、べぇと舌を出す。


見えやしないと思ってやったのに、ごねるんじゃないわよと母さんから即座に小言が返ってきたんだよね。あの人、僕よりよっぽど超能力者。普通の人のはずなのにさ。


慌てて自分の部屋まで撤退したエリは、そのままベッドにダイブして天井を睨んだ。


そう。そりゃ、くるのだ。だって合格したんだもの。ペーパーテストの成績だって良かったし、異能力の制御にも成功してるほうだ。進学校たるここを無事卒業すれば将来の選択肢も広い。普通は喜ぶところのはず。分かってる。それくらい、分かってる。


でも僕は、別に、ここに入りたかったわけじゃない。


出来ればごくごくふつーーーーーーーの公立高校に行きたかった。進学校でも進学校じゃなくても良かった。みんなと同じように地元の高校に恙無く進学したかったのだ。でも僕は法律上どこかしらの「異能学校」に入る必要があった。そのめちゃくちゃ狭められた選択肢の中で一番マシなところを探したってだけで。


異能学校は全国に三十校もない。その中で唯一家から通える距離だったのがこの、異能学校でありながら全国屈指の偏差値を掲げている「私立一楠異能学園」だったってわけ。


まぁしょうがない。異能力者って、百人か二百人に一人くらいしか居ないらしいし。


そこまで考えて、エリはベッドに寝転んだまま本棚に向けて腕を振った。空気が動き、漫画が一冊本棚からずるずると引きずり出される。そのまま浮いて手元に届いた漫画をとって、息を吐いた。


異能力。未だ説明はつかないんだけど、とりあえず存在している、一部の人が「持って生まれる」能力。


2020年代だか30年代だかに都市伝説とか超常現象みたいに扱われていた異能力者は、少しづつ増えていった。人類の進化なんじゃないの、というのが今の一般的な認識。


本当に千差万別だけれど、利便上、強化・操作・自然・精神・創造・消滅・直感に別れている。そこに当てはまらなければその他。一個一個説明すると長いので割愛するが、エリの能力は「自然」に分類されている。風を自在に起こせる能力で、偶然にも幼なじみの森岡モエミと全く同じ能力だった。


オリエンテーションが終わり、生徒は中庭に出るように指示された。


「テェストォ……嫌だなぁ……マーちゃんクラス別れないでね……」

「知るかよ、無茶言うな。」


呆れ顔のマサトシの腕を引っ掴んだままめそめそと歩くエリに、モエミは肩を揺らす。


「せっかく話すようになったんだもの、同じだといいわね。」

「まぁな。」

「姉御絶対僕より上のクラスだよ、ブラのホック直せたし。」

「喜びにくい判断基準ね……」


グラウンドに着けば、幾つかのテストスポットが点在していた。既に他のクラスの生徒たちは回り始めているようだ。


「どうせどこ並んでもやることは能力別だろ?空いてるところ並ぼうぜ。」

「そうね、私じゃあ向こうにするわ。」

「じゃあまた後でな。」

「うん、後でねー!」


2人と別れて列の短そうな所につけば、前に立っていた赤毛の少年がこちらを振り返った。直ぐに前を向き直したが、おそるおそる再び振り返る。エリは首を傾げた。


「なぁに?」

「えっと……君、遠藤エリさん、だよね?」


エリはどこかで会った子だったかな、と一瞬考えてからぽんと手を打った。


「もしかして、ニュース覚えてるの?」

「う、うん。僕、人の顔覚えるの得意で……ごめん、ほんと、他意はないんだけど……」


きょときょとと目線を動かす彼から敵意は感じない。それでも、やっぱり覚えてる子は覚えてるんだ、とエリは困ったように眉を下げて笑った。


エリは先例のない「後天性異能力者」だ。小学一年生の頃モエミとと遊んでいる時に、いきなりこの能力を使えるようになった。それがエリが青い封筒を嫌がった、もっとちゃんと言うなら、異能学校への入学を嫌がった理由。


当時珍しいとニュースに取り上げられて、そこそこ顔が売れてしまったのだ。小、中とあまり大きな問題なく学校生活を送ることが出来たけど、異能学校で生まれつきの異能力者に混ざったら浮いてしまうんじゃないかと不安だった。半端者、とか虐められたらどうしよう、なんて。まぁ一般学校に行ったところで、結局半端者扱いは受けるかもしれないけれど。


極論、半端者扱いしないと分かっている地元の同級生と離れたくなかったと言ってしまえばそれまでだ。種類はやや特殊だが、エリの不安も根は一般的なティーンエイジャーの悩みと同じであった。


「ううん、気にしないよ。でも凄いね、僕の顔がよく出てたのなんて十年くらい前なのに。」

「ごめんね、なんていうか僕、記憶力が人よりいいみたいなんだ。……ちょっと気持ち悪いよね……」

「そうなの?便利だと思うけどなぁ。」


エリの言葉に、少年は少し驚いたように顔を上げた。エリにとっては何気ない本心であったが、悪気なく覚えていることを言う度に顔を顰められたり引かれたりしてきた少年にしてみれば、これは珍しいリアクションだった。


エリはエリで懸念していたような見られ方をしていないことが分かったので、生来の人懐っこさで少年のタンザナイト色の瞳を覗き込んだ。


「僕の名前知ってるなら、君の名前も教えてよ。」

「あ、相生アキラ。A組だよ。」

「A組ってことは、操作?強化?」

「操作……重力操作だよ。えと、上手くいかない時の方が、多いん、だけど。」


気まずそうに目線を落として、これからのテストも不安なんだ、と言葉を続けたアキラにエリは少し考え込んだ。興味津々で見つめてくる蒼色に、アキラは少し居心地悪そうに身動ぎした。


「ね、重力操作はどんなテストするの?」

「も、物を持ち上げるの。高さとか、あと、どれくらい自由に動かせるかとか。そういうの……」

「僕にそれちょっとかけてみてよ。少しだけ浮かせてみて、きっと練習になるよ。」


アキラはエリの言葉に束の間ぽかんとした。意味を理解して、目をまぁるく見開く。


「怒られ、ないかな?」

「ちょっとならへーきだよ。」


アキラは恐る恐る周りを見渡した。生徒同士好き勝手に話していて、皆それぞれ自分の周りに夢中だ。教員達も、テストしている生徒にかかりきりだった。


「ちょっとだけ、ね。」


結局好奇心に負けて、アキラはゆっくりエリに向かって腕を上げた。数cm体が浮き上がって、エリは慌てて両腕を広げてバランスをとった。全体が軽くなっているのか、水色の髪がふわりと広がる。


「おわ、すごぉい!」

「あんまり暴れないでね、こ、怖くない?」

「うん、このくらいなら。風で飛ぶより安定感があるね。」


何度か自分の能力で浮き上がったことはあったけれど、ずっとビュービューと自分の周りに強い風を纏わせることになるからこんなに静かに浮くことは出来ない。ずっと心地がいいと笑うエリに、アキラはゆっくりと彼女を地面に下ろした。少し照れたように笑う。


「う、うん。風の能力より、重力操作の方が物を持ち上げることと相性がいいからね……ありがとう、いつも通り出来てそう。」


次の子、とバインダーを持った教師がこちらを手招いた。エリはアキラの肩をぽんと押す。


「テスト頑張ってね、アキちゃん。」

「アキちゃん……?あ、うん、君もね。」


僕アキラだよ、と小さな声で訂正しながら彼は教師の方に走り寄った。


無事にふわふわとテスト用の箱を浮かせるアキラを眺めながら、エリも試し打ちをしておこうかと足元の石に手を振った。


「あれ?」


いつも通りやっているはずなのに、いつもの感覚がない。何度かやってみるものの、風を起こすことが出来ない。


「あれれ?」


首を傾げているうちに、次の子、と声がした。慌てて教師の方に向かう。


「クラスとお名前。」

「Bの遠藤エリです。」

「遠藤さん……風を起こす能力ね。じゃあ、遠藤さんもあの箱持ち上げてみようか。」


指されたダンボールを見て、エリは不安げに目を細めた。努めていつもどおり、腕を持ち上げて意識を集中する。


「……やっぱりダメだァ。」

「今日調子悪い?」

「今までこんなこと無かったんですけど……えいっ、浮け!」


やけくそに叫びながら腕を振ったその時。カタン、とダンボールが動いた。


「あれ?今風起きました?」

「いや……でも動いたねぇ。遠藤さん、もう一回やってみて。」


手をダンボールに向けて、グッと力を込める。いつもとはちょっと違うけれど、浮け、ということに集中してみた。


ダンボールがひとりでに持ち上がった。風は、起きてない。


「あれ?」

「遠藤さん、操作系も出来る?」

「いや、そんなはずは……」


ぷかぷかと浮くダンボールを呆然と眺めながら、エリと試験監督の教師は暫し言葉を失った。

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