第4話
――――4年。
「んー……」
そろそろあどけなさが抜けるかどうか、という年齢になった少年が、眉間に軽くしわを寄せ、机に紙を広げたまま、本を横目に動きを止めていた。
彼の名はレツ。
そう、それはあの、冒険者にあこがれていたレツその人である。
「ちょいちょい出てくるんだよなあ、これ……」
だれにというわけでもなく、つぶやく。
眺めているのは手書きの本。研究書か何からしい。
机の上に広げられた資料や木片に走り書きのようなメモ、本の山。周囲の本棚にも様々な本が収まっており、とても16歳の少年一人で集めたにしては難解なものが並ぶ。本来は広いであろう部屋の中は、資料や本、羊皮紙に紙。少々の木片や長い巻物など、様々なものが所せましと積み上げられ、いつ雪崩が起きてもおかしくないほどだった。
「たぶんこれが、最終的な目的……? な気がするんだけど……確証がなあ……」
トントントン、とペン先で机を軽くたたきつつぼやくと、眉間のしわはさらに深くなる。解読の方はあまり成果は芳しくないようだ。
本来のこの部屋の主は、もう4年、帰ってきていない。
彼の研究していたものがなんなのかを知るために……彼が何のために旅を続けていたのかを知るために、この家を探し出し、書物をあさった。
その結果わかったことといえば、そこに積まれている書物はとても難解で、今の自分では解読が難しいことと、研究関連の結果をまとめてたのであろう研究書は、すべて暗号化されてしまっているということだった。
そこからはひたすら、研究書を紐解いていく作業と暗号との戦い。
そうしてなし崩しに、レツはこの家に住み着いたのである。
冒険にあこがれ……憧れだけでは冒険は出来ないと、思い知ったあの日。
それは、自分にとっては初めての冒険で……とても、苦い思い出になった。
あの日。
連れて行ってとせがまなければ。
自分がもっと冒険者としての力があれば。
後悔が強ければ強いほど……彼がやり残したであろうことが気になってしまった。
もし僕があの日、冒険したいなんて言わなかったとしたら。
ショウ君は今でもここで、この研究を続け……あるいは、実を結んでいたかもしれない。なんだかわからないけど。
せめて何を研究して、何が目的だったのかくらいわかればなあ、なんて。
思っている間にだいぶ長い時間をここで過ごしている。
まあ、勝手に住み着いた割にはだいぶ住み慣れてきたし、知らないことを知るっていうのは結構楽しいこともあるんだけども。
家を探し出すまでになんだかんだで半年近く費やしてしまったが……そこから3年半ほど、来訪者はないし、とても静かな環境と言って差支えがない。街はちょっと遠いけど、日帰りで行けない距離ではないし。
研究するにはうってつけだ。
そもそも普通にはたどり着けないし、見つけられないようにされている家だ。そのおかげで、見つけるのに半年もかかってしまったのだから。
「さ、今日はこの辺にして、ごはんの用意でもしよっかな」
レツはぱたん、と軽い音を立てて本を閉じると、気分を変えるように呟いたのだった。
†
ゴンゴンゴン。
重い音が響いたのは、レツが煮込んだシチューをかき回している時だった。
「……?」
瞬間、手を止める。
気のせいか? と一瞬怪訝そうな顔をしたところで。
ゴンゴンゴン。
もう一度、玄関から重いノッカーの音が響き。
「しょーおーくーん? おーい!」
澄んだ女の人の声が続いた。
「っ……!?」
初めての来訪者で、しかも、女性。
内心焦りながら一瞬でいろいろなことを考える。
居留守……はむりだ、シチュー煮てるし明らかに人がいるのばれてるだろうし……っていうかどういう関係の人だろう、普通には入ってこれないはずなんだけど……!
「は、はい……! いま出ます……!」
焦げ付くとまずい、と鍋を急いで火からおろし、玄関に向かって足早に向かう。
向かいながらつけていたエプロンを外し、万が一のことも考えてポケットにいくつかの魔法石を突っ込む。
幸いなことにこの3年半で、魔法道具の扱いは普通よりは長けてきた。護身用ならまあ、この程度で大丈夫だろう。
「はい……えと、どちら様でしょうか……?」
一応、チェーンロックをかけたまま、少しだけ玄関を開けて聞いてみる。
「あれ……?」
そこには、大きな瞳のとても均整の取れた……いわゆる整った顔の……レツが今まで見てきた中で類を見ないほどの、淡い茶髪の美女が、不思議そうな顔をして立っていた。
「ええと……あれ、ショウ君不在だったりする?」
美女がそう、苦笑交じりに小首をかしげた。
なんと返答を返そうか、とレツが悩み口ごもっている間に、その美女のさらに後ろから、別の声がする。
「マジかよ……せっかくたどり着いたってのに……」
悲嘆交じりのその声が、本当に残念そうでそちらに視線を向ければ、細く開いたドアの向こう、美女の背後その奥に背の高い金髪の青年も立っていた。
どうやら、来訪者は二人組だったらしい。
「え、と……あの、どちら様でしょうか……?」
レツがそう、ためらいがちに声をかける。ショウの友人か恋人か、あるいはショウのうわさを聞きつけてここを探し出した輩か……その判断をするための材料が、今のレツにはない。自分の目で判断しなければならない。
「ああ、えーと……うん。」
美女は一瞬、何かを考えるそぶりを見せたが……すぐに一つ頷くと、そうだね、とつぶやいて笑顔を見せ、
「あたしは聖。ヒジリ・ミズセ。ショウ君とは古い付き合いの……まあ、仲間……みたいなもの、かなあ。」
そういって自己紹介してくれた。君は? と問いかけられ、
「あ……僕は、レツ。レツ・フィーセルです。」
とりあえず名乗りを上げると。
「フィーセル? ってことは……なんだ、ショウ君とこの親戚かその辺のつながり?」
あっさりと美女はそう、レツの正体を言い当てた。
「あ……そうです。わかるんですか?」
少し面喰いながらも、レツが目を瞬いていると、背後から疑問の声が上がる。
「フィーセルが親戚? どういうことだ? ショウって、クオンタムじゃなかったか?」
背後の青年がそう、世間に知られた彼の名を口に出す。
そう、世間に知られる彼の名前、ギルドに登録された名前は、ショウ・クオンタム。それ以外の名前は一般にも、レツたち親戚も、もちろん知らない話だ。
名前から血筋を言い当てられる、なんて思いもよらなかった。
「あー…まあそこは、本人が秘密にしてるっぽいからあたしからは言えないんだけど……とりあえず、フィーセル家がショウ君とこと親戚ってのは知ってるってだけ」
パタパタ手を振りながら背後の青年にむかい、美女が苦笑を浮かべつつそういうと、それで……とレツの方に向き直り、ショウ君は不在かな? と聞いてくる。
「あ……と、その……何と言ったらいいか…………」
どうやら、青年の方はわからないが、美女の方……聖という彼女は、ショウ君とそれなりに付き合いがあった、と思える。
単純にショウ君を調べ上げてる、というのであればわからないのだけど。
そんな彼女に……あの時のことを、話すべきなのか、考えがまとまらない。
ただ不在ですと伝えることはもちろんできるが……じゃあいつ戻るのか、と言われると……返事をすることが、できない。
まして……
おそらく……帰っては来ないだろう、とは思う。
4年前のあの日、どうやって帰ったかは覚えてないけど、街に戻った時には日も暮れて真っ暗になってからだったっけ。
ギルドへの報告の時にも、怪訝そうな顔をされた。依頼書を提出して、少しの報酬をもらって……家族に、ショウの話を聞きだした。
そして知ったのは、両親もあまりショウのことは詳しく知らなかったという事だけだった。
どういう過去をたどってきたのかとか。
実際何歳なのかとか。
ショウの兄弟はいるのかとか。
そういった話ですら、あやふやにしかわからないという事だった。
ここからしばらく行った別の街の近く、森の奥に住んでいるから、血縁であればたぶんたどり着けるので何かあったら来てくれていい、と、過去に大まかな住居を聞いたことはあったらしい。
本当に親戚なのか、という点については間違いないと母は言った。母の姉に連なるという事だった。ただ、その母の姉は早くに亡くなり疎遠になり、ショウ以外の繋がりはわからないという。
あんなことになったことを、誰に伝えたらいいのか。
それすらも、わからない。
おそらく。
……生きては、いないだろう、ということを。
あるいは、もしかしたら。
そういった希望も、ないわけではなかったが。
死体が上がったわけでもないし、確認をしたわけでもない。
だから、あるいはと……思わないでもなかった。
でも。
頭の中で、冷静な部分が、それはないだろう、ということも、理解してしまっていた。
あの暗闇、あの水流。
洞くつを流れるあの川は、とても危険に見えた。
もちろん魔法を使えるのであれば、あるいは水のなかでも呼吸ができる方法があるのかもしれない。一般的に知られていない魔法も、もしかしたらショウは知っていたかもしれない。
けれど、魔法を使うためには、集中と呪を紡ぐ必要がある。
人は、声を発するには、空気がなければならない。
……水の中で、呪は紡げない。
そもそも、水中で呼吸する術がある、という話は……伝説の変身薬ならいざ知らず……まず聞いたことがないし。
考えたくなくても、どうしても現実というそのものがレツの希望を奪っていった。
ショウの家に行こうと思ったのは、はじめはそれを誰かに伝える手掛かりがあるかもしれない、と思ったからだ。
伝えなければならないと。無性に思った。
そして彼がやり残したことは何だったのか……自分が生まれるよりも前から旅をしていたといっていた彼の、目的はなんだったのかと。
それを少しでも知ることができないかと、思ったのだ。
そうしてレツはあの後、ショウの自宅……隠れ家ともいうべきその研究室で、彼の研究を「研究」していた。
家には様々な結界が張ってあったが、不思議なことに、そのどれもレツを阻むことはしなかった。
血縁ならば、と言っていたのは、もしかしたらそのせいだったのかと、家を見つけたときは思ったものだ。
家の中は彼の魔法技術に満ちていて、いまだに開かずの扉となっている部屋も三つほどあるし、家全体に保全魔法がかかっていたことを確認したときは、人にこんなことができるのかと驚いた。
そうこうして居つき、4年近くの歳月をかけ、彼の痕跡をゆっくりと辿って行った。
そして知ったのは、彼はかなり「偉大な」と言われる部類の魔道士だったのだろうという事。
またどういうわけか、伝説に出てくるエルフでもないというのに、かなり長い時を生きていたのだろう、という事だった。
あの時80近くと年齢を言ったことも、あながち嘘ではなかったのかもしれない、とも今ならば思う。……彼の手記は50年分以上もあったのだから。
その割にはどう見ても若かったなあ、なんてことも思い出し、少し苦い思いをすることもあったりしたが。
「とりあえずー、ちょっと話させてもらいたいんだけども……いい?」
言いよどんでいたレツに、聖が小首をかしげながら言ってきた。たぶん、中に入れてくれってことなのだろう、と理解はする。……どうしよう。
さすがに、レツ自身の家ではないところに、他人を勝手に上げてもいいものだろうか。
「あ、一応あたしはここ、たまに来てたから心配しないでも大丈夫よ。……後ろの彼はまあ、何かしでかしたらあたしが何とかするし、怒られるようならあたしが怒られるから」
思案を見透かされ、そう言われる。ちらり、と聖とその後ろの青年を見やる。美女ににこっと笑顔で言われると、ちょっと逆らい難い感じがしてしまう。
仕方ない、とレツは自分に言い聞かせた。
「……どうぞ。」
チェーンロックを外して招き入れる。ありがとう、と美女が先に、青年が後に入ってきた。そのまま美女はまっすぐ迷わず、居間の方へと向かっていく。
青年の後ろをついていきながら、美女の足取りに迷いがないところから、たまに来ていたという言葉は嘘ではなさそうだな、なんて考えた。
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