終章【2】
ネオク=ナーンキルという男の人生は、波乱万丈だった。
いや、それも正確ではないのかもしれない。人生というのは、誰のものを見ても波瀾万丈だ。ネオクだけが特別ということはない。大体の人物は、人生に波乱万丈な物語を持っている。
ネオクの人生をより詳細にまとめると、浮き沈みが激しい、ということになるのかもしれない。
ネオクの生まれは貴族である。しかも、吹けば飛ぶような弱小貴族ではない。イドナティーユ帝国の中にあって上から数えた方が早いほどの格の高い名家だ。実家には確実に恵まれていた。
ただし、ケチがないわけでもなかった。というのも、彼は四男だったのだ。母親は側室の女であり、後継者としての優先度は高くない。この世界は《スキルカード》の影響によって、個々人の能力が測りやすく、
なのだが、ここでさらなるケチがつく。ネオクという男、お世辞にも有能、とまでは評せないのだ。
いや、実際のところ無能と切って捨てるほどではない。しかし、求められる能力が備わってなかったのだ。ネオクの
「お前は絶対に剣を持つな」
「とにかく、
「腕で生きなくていいから、口で生きろ」
幼少より周囲からそんな風に育ってきたネオク。
そして、出来上がったのが、口を回すことで他人を味方につけることを得意とする男だ。簡単にまとめると、政治家いや政治屋、というのが適切だろう。武門の家にあっては異質な存在だった。そんな風にして、ネオクは口で生きることになった。
そんなネオクに、転機が訪れる。
何と、上の兄弟が全員、ほぼ同じタイミングで亡くなったのだ。流行り病が原因であった。あまりにもあんまりな出来事であり、周囲では陰謀を疑う声が絶えなかった。一応、ネオクは潔白である。
「え? これもしかして、私がナーンキル家の当主??」
兄の
運が良い。
天より降ってきた幸運に、ネオクは人生の絶頂を感じた。これより先、自分の人生はきっと上手くいく。そんな風に出来ていると、本気で思った。
そんなこんなで、ナーンキル家の
それに、有象無象の態度など気にもならなかった。自分は幸運である。自分は何かを持っている。だから恐れるものがない。大分危険な発想だが、当時のネオクは本気でそう思っていた。
もっとも、その思い上がりはすぐに潰されることになる。
「ワタリタケルの護送に失敗した上、アルトス村への対処も最悪の一手。これほどの失態で、その地位につけることは出来んな」
当時の皇帝陛下の
「そんな馬鹿なああああ!!」
こうして、ネオクは人生の絶頂から一転、どん底へ沈むことになる。尊の呪いに、ある意味で巻きこまれたと言っていもよい。ネオクが尊の呪い……呪縛スキルを知るよしもないのだが。
そこから先、ネオクは、しばらく不遇をかこつことになる。何とか家名だけは死守しようとした結果、多くのものを失った。一時期は冗談抜きで平民に落ちぶれようかとしていたレベルだった。
だが、そんなネオクに、またしても幸運が訪れる。
「おう! お前がナーンキルの当主だな! 湿気た顔してんなぁ!」
失意の底にあったネオクを、1人の男が訪ねてきた。第三皇子エーディル、後のエディク=イドナス3世である。
「お前、俺に仕えろ!」
いきなり目の前に現れては有無を言わさず自分に仕えろと命令した若造。当然のように混乱の渦へ叩きこまれたのを、ネオクは昨日のことのように思い出せる。
「俺はこの国の皇帝になる!」
「兄は優秀だが、器じゃない!」
「玉座にのぼりつめるためには、1人でも多く有能な人材が欲しい!」
「だから俺に仕えろ!」
しかも、ごく自然に後継者争いを起こすとかのたまう始末。厄ネタも大概であった。
だが。
「……よ、喜んで仕えさせていただきます」
ネオクに選択肢はなかった。ここで拒否したとしても、どうせお先は真っ暗。それならば、一か八かの賭けに出る。そんな風に考えるしかなかったのだ。
――なのだが、この選択を当時のネオクは深く後悔した。
まず後継者争い。とにかく口の上手かったネオクは、ありとあらゆる手段でエディクの支援者を獲得。彼の玉座への道のりをサポートした。それこそ、冗談抜きで身を削りに削ってでもだ。命の危機に瀕したことは一度や二度ではない。眠れない日が何日も続いた。
で、骨肉の争いを制してエディクは皇帝に即位。やっと落ち着けるかと思った矢先。
「ネオク、お前宰相やれ!」
間違いなく光栄なことであるし、栄誉なことであるにも関わらず、ネオクの心は絶望が支配した。
(あ、この人、私を死ぬまでコキ使うつもりだ)
それに気づいた時にはもう遅い。ネオクはエディクの下で馬車馬のごとく働かされることになった。あまりの過重労働っぷりに、かつては彼のことを嫌いぬいていた武官達が、ほぼ全員同情してしまう。しまいには、ネオクと武官達の関係が改善されてしまったくらいだ。
特にネオクの胃を苦しめたのが、外交。教皇アレクスの死から始まる神聖十字教会の教皇空位問題、シャルガア真国の動乱を発端としたシャルガア連邦憲章の改定、そして、シムエク帝国との冷戦……。どれもこれもが、一歩間違えば世界中に争いの火が飛んでしまうような外交上の懸念に、ネオクは真正面からぶつかっていった。そして、胃潰瘍になった。
「ネオク様に、どうか健やかな日々を……」
「あなた、ちゃんと健康には気をつかった方がいいわよ?」
上の台詞は、それぞれ、ホーリィ=イリノケンチウスと、エモディア=ウィッカからネオクに送られた言葉だ。彼女達とは接する機会が多かったからか、仕事でもプライベートでも良好な関係を築いていた。ネオクが、ホーリィも、エモディアも、強くバックアップしたのだ。
まぁ、とにかく、ネオクは働いた。働いて働きぬいた。もう働くなと医者から何度言われても働いた。
「どうせ、一度は死んだも同然の命!」
「ならば、もう、あの方のために人生すり減らしてやるぅ!!」
もはや捨て身と評していい苛烈な忠誠心。その忠誠心からくる仕事ぶりは、後世の歴史家がこぞって『イドナティーユ帝国の歴史上、5本の指に入る』と称賛を述べるほどであった。
しかしながら、そんなネオクにもついに身体を休める時が来たのである。
主君であるエディク、その宿敵とも呼べる女傑――シャーフェ=クーニッヘの死去。その死をもって、エディクとネオクは彼女に睨みを利かせるという重荷を下ろせるようになったのである。
『アルトス村復興計画』。その仕事を最後に、彼は、政界から引退することを決意したのである。
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