第1章 農夫の子(3)
5
朝食をすませ、装備、といっても、木の短剣一つだが、それを腰に差し、携帯用の干し肉と少量の傷薬をいれた
それにしても、この木の短剣だが、本当によくできている。私はこらえきれずに腰からその剣を抜き出し、ブンッと振ってみた。手にしっくり馴染む
何というバランスのよさだろう。これならば、たとえ剣の心得がなくても、小さな動物ぐらいであれば倒すことができるだろう。ただし、命中すれば、という話だが。
「なるほど。さすがはダジム。いい鍛え方をしている」
いつの間にかルシアスがそばで見ていたらしい。確かに、いい剣だと私も思う。これがあれば、助けになれるとは言わないまでも、自分の身一つぐらいはなんとか守れそうだ。
「まぁそんなに身構えなくても大丈夫だ。俺とダジムがいれば、お前一人ぐらいはなんとでもなる。今日はもっと、気楽に行け」
そうルシアスが言った。
父と母が玄関に姿を現す。母はにこやかに微笑みながら私に、気楽に行ってきなさい、とてもいい経験になるはずよと声をかけてきた。父がついていれば何の心配もいらないという信頼からなのだろうか、まるで近所の友人の家に遊びに行く子供を見送るかのような落ち着きぶりだ。
私はといえば、昨晩から気が気じゃない。はじめての冒険、初めての剣士、初めての武器、父の知られざる特技…。何から何まで、頭の中と心の整理が全くつかないでいる。あまりにも不可解なことが多すぎる。しかし、こうなった以上、ここは覚悟を決めて今日を乗り切るしかない。今日が終わるころにはいくつかの疑問は解消されていることだろう。
私たちは家を出て村を離れ、北へと進路を取った。目的地は当然、昨日の話通り「北の遺跡」だ。
「北の遺跡」というのは、ソルスの北約10キリほどにある大昔の遺跡のことだ。太古の昔から存在するものらしく、その詳細は今もって不明のままである。
とくに物珍しいものはなく、いまではただ、
リール草は薬草の一種でとても希少なものであり、このシルヴェリアにおいてここのほかには数か所にしか自生していない。ただし、その生命力はとても弱いため、国がその採集を規制しており、原則として、この植物の採集は禁じられている。必要な時必要な分だけ王国の依頼を受けた採集班がやってきて採集していくのである。
今回の「奇妙な事件」というのは、まさしくその採集班に問題が起きたのだと、道中ルシアスが語った。ルシアスの話では、採集班が採集ののち帰路の途中に「北の遺跡」で休息を取ったのだが、そのさなか採集班の一人が突如姿を消したのだというのだ。
そのあたりで用でも足しているのだろうとしばらく待っていたのだがいっこうに戻らない。さすがに心配になり、あたりを班の人員で捜索したのだが、皆目行方が分からなかった。
それにしても、この男、ルシアスとはいったい何者なのか。父母とは古くからの知り合いのようであるが、父母がこのような人物と知り合いだったということも初耳である。
「王国からの依頼で」ということは、王国の役人か? それとも、雇われの調査員か? 全く得体が知れない。そしてその得体のしれない人物と私の両親が旧知の仲だというのだから、私にはもう何が何やら見当もつかない状態である。
我々一行は北に歩み続けた。とうに日は高く昇っている。さすがに、夏の終わりの時期とはいえ、まだまだ暑い。いったん歩みを止め昼の食事をとることになった。食事とはいっても大したものはない。朝、母が持たせてくれた干し肉が人数分、背負い袋に入っているだけである。私たちはそれを一切れずつと革袋に入ったアルグレイ茶で簡単な食事をすませた。
北の遺跡まではまだあるが遅くとも日が落ちるまではかかるまい。あと数刻で到着できるはずだ。
「アル。その剣を
不意を突かれて私は思わずアルグレイ茶を気管に詰まらせてゴホゴホとむせ返った。
声の主は、ルシアスではなく父だった。
不測の事態に備えて、剣の
とはいえ、父の命に背く理由もないので、私は腰から木の短剣を抜き出し、中段に構えてみた。「構えてみた」とは言ったものの、それが構えなのかなど私には理解できていない。
右手に木の短剣を握り、胸のあたりの高さで、おもむろに前方に右腕を延ばしてみる。切っ先を自分の前方にいる
「ほう…」
ルシアスの声だ。
「やはり、よく
何だって? そういえば今朝この剣を振り回しているときにも同じことを言っていた。よく鍛えられていると。私はこの剣のことだと思い込んでいたのだが、思えば、木の剣に対して、鍛えられているという言葉はそぐわない。「鍛える」というのは本来金属製の道具や装備に対して使うものであろう。
では、なにが「鍛えられている」のか?
「ふん。俺が育てているんだから、農夫だろうがこのぐらいはできるようになっていてあたりまえだろう」
と父がルシアスに返す。
なんということだ。
「鍛えられている」のは私のことだったのか。私はずっと農夫だったし、父も私の知る限りずっと農夫だった。しかし、ただの農夫にしては昨日今日の言動が不可解すぎる。つまり私の知らない過去の父はただの農夫ではないということだろう。そのぐらいのことはもう想像できる。
「アルバート、だったな。今度は俺の打ち込みをさばいて見せろ」
次はルシアスが私に言う。
なんだと? 私に打ち込みをかけるというのか? とんでもない! これまで一度たりとも剣を持つ相手と対峙したことなどないうえに、剣を持つのも今日が初めてという私に、打ち込みをさばけだなんて、できるわけがないだろう?
しかし、ルシアスはこちらの動揺にかまわず背中の剣を抜き放って構えだす。父は? 父は
私もそれならば、とルシアスに
次の瞬間、ルシアスは大きく振りかぶるなりブンッとその大剣を私の頭上から振り下ろしてきた!
ちょっとまて! これをこの木の短剣で受けきれるわけがないだろう! 受けた瞬間私の体はその短剣ともども真っ二つになってしまう!
慌てて前に出していた右足に力を籠めて、地面をける。私は後方に大きく飛び退った。ルシアスの剣は先ほどまで私がいた空間を真っ二つに切り裂く。――本気だ。
さすがに冷汗が背中を伝う。しかし、さらにそこからが驚愕だった――。ルシアスは振り切った大剣を手首を返すなり、その切っ先を私の胸元へ突き込むようにさらに大きく一歩こちらへとびこんできた。
私の態勢は先ほどとびすさった直後で右足はまだ
私は剣を左方向へスライドさせながら、先についていた左足を力強く蹴りこむ。体を左向きへ90度ひねりながら、ルシアスの剣に木の短剣の腹を合わせて受け流しながら右前方に前に出る。
シャリ――――――ン!
剣と剣がこすれる音が鳴り響く中、そのまま私は左回転で体を回す。ルシアスは打ち込みの姿勢のまま、私の前を通り過ぎ、こちらに背を向けるような形になる。不思議なことに自然に右手の短剣がくるりとまわり、いつの間にか私の頭上にある。右手が自然と振り下ろされる――。
「そこまでだ!!」
ハッとして私はあわてて自分の右手を止めた。声の主は父だった。
「ルシアス! 茶番もそこまでにしとけ。俺が止めなければお前の背中は切りつけられてるところだぞ」
「はは。悪い悪い。しかし、ここまでとはさすがの俺もたまげたぞ」
そして私に向かってこう言った。
「アルバート、いい父親を持ったな」
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