それが恋です
むーこ
出会い
バラエティ番組の収録が終わったのは午後の10時近くだった。
自分よりも幾分か若い女性マネージャーを先に帰らせ、モデル仲間やPDの人達に挨拶を済ませた後、星の疎らな夜空の下を新宿駅から自宅に向け歩いていると、中央公園の付近に差し掛かったところで見知らぬ男性から声をかけられた。
「お姉さん、幾らでやってるの?」
禿げ上がった頭に脂を浮かせた男性が酒臭い息を吐きながら放った言葉に、私は彼が何か勘違いをしていることを悟り「違いますよ」とやんわり伝えた。
「違うこと無いよ〜。お姉さん歌舞伎町で働いてる人でしょ?ホラそこ公衆トイレあるから」
この人は歌舞伎町という場所すら何か勘違いしている気がする。
どこから間違いを訂正すれば良いのか、困りつつ男性が万札を突きつけてくるのを断っていると、男性の隣にヌッと大きな影が現れた。その正体は右目から鼻筋にかけて大きな痣のあるガッシリした青年で、服の汚れ具合や漂う汗臭さから察するに浮浪者らしかった。
青年は男性の脂ぎった頭を見下ろしながら、彼の肩を掴みこう言い放った。
「情けねえことすんな」
男性はあからさまに狼狽えており、喉の奥から変な声を出して青年を見上げた。
青年は私に目を向けると「行って良いですよ」と声をかけてきた。私は一度頭を下げて、青年が男性の肩を掴んだまま何か言葉をかけているのを見ながら後退り気味にその場を去った。
私は自宅に向けて歩を進めながら、青年が助けてくれた瞬間の記憶を反芻した。
モデルとして人気を得出してから、沢山の男性が自分に優しくしてくれた。ただ皆どこか媚びへつらうような態度だったり、言葉の端々に下心が見え隠れしていたり、純粋に受け取ることに抵抗を感じる優しさだった。
純粋に優しくされたのは何年ぶりだろうか。青年の顔を脳裏に浮かべながらそんなことを考えていたら胸の底から何か温かいものが溢れ出してきた。
そしていてもたってもいられなくなり、私は来た道を引き返した。
中央公園のそばまで駆け戻ると、すぐにあの青年が見つかった。
あれからすぐに禿頭の男性を解放したのか、入口付近のベンチに腰掛けてコンビニのおにぎりを食べていた。
私が青年のそばに駆け寄ると、青年はツリ目を大きく見開いて「なんで?」と言った。
「なんでまだいるんですか…?」
「助けてもらったんで、お礼をさせて下さい!」
「はい?」
青年は眉根を寄せてイヤイヤイヤイヤと大きく手を振った。戻って来られたら助けた意味が無い、そもそも見返りなんか求めていないとも主張した。
しかし私は折れなかった。お礼をしないと気が済まないんだと青年の腕にしがみついた。「汚れてるから触らないで」と引き気味に拒まれたが、それでも折れなかった。
そうして散々押し問答を繰り広げた後、私はハッと思い立ちこう言い放った。
「1人で帰ったらまた変な人に絡まれるかもしれない!ので、ついて来て下さい!」
青年はあからさまに引いていたが、それでも「わかりました」と頷いた。
「家の前までは送ります」
「お願いします!」
私は頭を下げて、青年の手を掴んだ。
「だから汚れてんだって」と振り払われた。
この後、私は家の前まで送ってもらったところで「公園まで戻るの大変だから泊まって下さい」と青年を家に引っ張り込んだ。
「初対面の男を家に上げたら駄目です」と諭されたが、彼の身体から漂う汗臭さを指摘し、風呂に入ったら帰るという条件のもとで家に上げさせた。そうして青年が風呂に入っている間に、私は彼が着ていた服を全て洗濯機に放り込み『標準コース』のボタンを押した。
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