026:ごはんをたべたら宿屋に行こう
「お互い無事に森から帰ってこられたことを祝して、カンパイね」
俺とサンは小さな酒場の片隅で、ささやくようにグラスを合わせた。
俺たちは未成年なのでグラスの中身はそれっぽいジュースだ。
ミノル・エールというこの飲み物はこの世界でのノンアルコール・ビールみたいなものらしい。
意外と苦い。
「今日はおたがい大変だったな」
「本当よ。クエストが達成できたのはクモルのおかげなのに、説明しようとしてもぜんぜん話も聞いてくれないし……本人はすぐどこかに消えてるし」
ジトっとした目で見てくる。
自由にして良いとは言ったものの、本当に一人で置いて行かれるとは思っていなかったらしい。
「みんなで楽しそうにしてたからな。部外者が割って入るのも良くないかと思って」
「もう、女の子が大勢に囲まれていたら助けるモノなの!」
「そうなのか?」
「そうなの! それに、私とクモルの仲でしょ~? 部外者なんて言わないでよぉ」
「……サン、もしかして酔ってるのか?」
ほんのりと赤く染まった頬にゆるんだ口元、いつもよりトロンとした話し方。
アルコールは入ってないはずなのに、しかも一杯だけですっかり出来上がった様子である。
「酔ってな~い! もう……次からはちゃんと私のこと、助けにきてよね?」
言葉とは裏腹に、怒っているというよりは楽しんでいるような表情だ。
上目遣いとトロトロに溶けだしそうな笑顔の同時攻撃はもはや扇情的ですらある。
こうして見てもたしかにサンは魅力的だ。
こんな可愛い女の子、男どもが放って置くはずもない。
狼の群れに迷い込んだ子羊を想像する。
たしかに良くないな。
「わかった。次からはそうしよう」
「うん。期待してるわね!」
ここは最初に予定していたサンお気に入りのお店ではなく、別の小さな店だ。
サンはギルドで冒険者たちに囲まれ続けていたのがうんざりだったようで、夜は騒がしくない場所を希望した。
俺もモロウとの騒ぎがあったので目立たない場所が良かったのでこの提案はありがたかった。
「それにしても、ひさしぶりにまともなごはんね~。おいしい……」
目の前にはミートボアのステーキに、ブルースネークの卵スープ。
良く分からない野菜のグリーンサラダ。
どれも虹色に発光したりしていない普通の食事だ。
美味い。
普通に美味い。
なんだか普通である事の大切さを語りかけてくるような味である。
そして飲み物はクォーラ。
乾杯の後に色々飲んでみた結果、俺はこのコカトリス・クォーラと言う黒っぽい炭酸が気に入ったのでそれを飲んでいる。
なんか元の世界の飲料を思い出してホッとする。
炭酸が五臓六腑に染み渡る。
「あの……ごめんね。私、料理とかあんまりした事なくて……無理して付き合ってくれてたんでしょ?」
「いや、無理なんてしてないぞ? 好きで食べてたからな」
たしかに味は個性的だったし衝撃は受けたが、それでもサンとの食事は好きだった。
「で、でも……あきらかに見た目がおかしかったし……うぅ」
それは多分、お気に入りのバハムート草のせいだと思う。
「そんなことはない。確かに美味いが、他の料理ではモノ足りないくらいさ」
実際、本当になんか物足りない気がする。
あの鼻から抜ける電流のような、舌を焼く炎のような、そんな刺激が今となっては恋しいような……これ中毒とかじゃないよな?
「ほ、ほんと? じゃあ、また作るわね!」
「あぁ、期待してるよ」
キラキラしたサンの笑顔は裏切れない。
「そういえば、サンは宿どうしてるんだ?」
「私は宿を借りてる~。あ、カトレアから聞いてない? ギルドの前にある親指亭って所だよ」
「そういえばオススメされたな」
「クモルも親指亭にすると良いわよ! あそこは冒険者専用の宿屋になってて~、安いけど広くてシャワーまでついてるの! オヤジさんは無口だけど良い人だし。あっ、クエストに出てる間の家賃も留守の分はまけてくれたのよ?」
それにここは外国どころか異世界だ。
知り合いがそばにいるというのは何かと安心する。
日本からも出たことがなかった俺にとって、旅行にしてはあまりにもハイレベル過ぎる。
「たしかに宿も見てきたけど、悪くなさそうだったな」
オヤジさんは無口どころか目線すら合わせてくれなかったのだが……。
「今晩の分の家賃は私が出すから心配しないでね。クモルの実力ならSランクだって夢じゃないし、すぐに私より稼いじゃうと思うけど」
「たしかに魔物を狩るには向いてるスキルかもしれないが、それだけでSランクは大げさだろう」
「も~、何いってるのよ? クモルの力は攻守ともにスキがないすごいスキルだわ! 私の事だって守ってくれたじゃない!」
結果的に守る事はできたが、やったのはただ「素早く敵を倒した」だけだ。
やっている事は攻撃しただけ。
それが万能だとは思えないんだがな。
「それに魔物だけじゃないでしょ~? カトレアから聞いてるわよ、Bランクのモロウを返り討ちにしたって!」
「うっ、やっぱりか……目立たないようにしたつもりだったんだが」
さっそくギルドでも噂になっていたらしい。
「大丈夫大丈夫。モロウの悪癖はみんな知ってるから心配しないで良いわよ。クモルが悪者扱いされたりしないから~」
それから小さな声で「指名手配の事なんて誰も話してなかったし~」とも付け加える。
だったら良かった。
「サンがSランク級の魔物を素手で仕留めたらしいぞ!?」
「Aランク級のブラックベアを狩って森の拠点を作っていたらしいぜ。もちろん素手で」
「それより聞いたか? あのモロウが新入りにやられたんだとよ。しかも小指一本でノックアウトされたらしい」
「なんでもカトレアちゃんのカードを手に入れた男がいるとか」
「あのカトレアちゃんがカードを渡すなんてな……何者なんだ?」
「しかも森に呪いをかけていたヤツらしいな。呪術師なんて今時めずらしいぞ」
ここまでの道中、ギルドや酒場でなんか色々と尾ひれがつきまくっている噂話が聞こえた気がするが、気のせいだろう。
誰が呪術師だ。
「さすがよね。力だけは強いからみんな手を焼いてたのに、簡単に返り討ちにするなんて。モロウは納得してないって顔だったらしいけど~」
「俺のスキルが目に見えないからわかりにくいんだろう」
実際はただの衝撃波だからな。
文字通り吹っ飛ばしただけ。
「それにしても登録しただけでレセプトカードもらったんでしょ? まったく、カトレアったら油断も隙も無いわね……」
「ん? なんか言ったか?」
「えっ? いや、こっちの話よ! 気にしないで!」
それから、ひとしきり食べてから宿屋に行く事になった。
たくさんしゃべっているうちにサンの酔いも冷めたらしく、並んで歩く。
「悪いな、ごちそうになってしまって」
なにせ俺は手持ちが0だ。
今日の夜飯代と宿泊代金はサンのクエスト報酬金から出してもらっている。
「何言ってるのよ。クモルのおかげで達成できたんだから、お礼を言うのはこっちの方……でも良いの? 本当ならクモルの討伐実績なのに」
「良いんだよ。サンの依頼だし、俺は目立ちたくないんだ」
宿に入る前に、アンジュからあずかっていた
宿泊する宿の名前と、サンと一緒に冒険者として生活費を稼ぎながらしばらくここに泊まる事を伝言として込めた。
空に放った氷の蝶はヒラヒラと舞い上がり、夜空に消えていった。
アンジュの所へ向かったのだろう。
「これで良し」
そして、親指亭は満室だった。
「まじか。人気なんだな、ここ」
設備も良くて価格も安い。
なによりギルドの目の前と冒険者にとっては場所も良い。
冷静に考えたら人気に決まっている。
「しかたない。俺は他の宿を探すしか……」
「じゃ、じゃあ……私の部屋、来る?」
サンは俺の言葉をさえぎって、そんな事を言い出したのだ。
「か、カンチガイしないでよね!? 別にクモルともっと一緒にいたいとか! クモルと一緒に寝たいからとか! そんなんじゃないんだからね! カンチガイしないでよね!?」
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