【短編集】恋に踊らされて
木種
【第一陣】喧騒のなかで
僕にとって初めての出来事。
地元の夏祭りに幼なじみで1つ年下の
彼女の家まで迎えに行ってちっぽけな祭りには不釣り合いの浴衣を着てきたその姿勢に嬉しくなって頬を赤らめる。それを悟られないよう手を繋いで背を向け、足早に会場へ向かう。
道中カランコロンと音が鳴っていたけれど、それよりも自分の鼓動がうるさくて気に掛けられなかった。
ハァハァと肩で息をしながらようやく着いたそこでは既に町内会の催し物に夢中な子供たちが走り回っている。ちらほらと僕たちと同年代の人もいた。そのとき、やっと彼女のことに気が回る。
ハッと後ろを見れば、普段から部活で運動をしている僕と違って慣れない距離を走った玖瑠美はまだ苦しそうに息を整えていた。何も始まっていないというのに既に額は雫ばかり、頬はりんご飴のように赤い。最悪だ。
僕もまた冷や汗を背中に感じた。
「ご、ごめん。びっくりしたよね、急に走っちゃって」
膝に手をついた玖瑠美は乾いた喉で言葉が発しにくいのか、頭を横に振って返事をくれた。それだけでなんとか救われたような気分になってほっと一息つく。
「とにかくなにか飲み物買ってくるね。飲みやすいものの方がいいかな?」
「はぁ、お茶で、大丈夫……だよ」
擦れ声でそう言った彼女のために早く露店に向かわなきゃ。
「わかった。ここで待ってて」
去年までここには中学の男友達と来ていたから大体の場所は把握している。無駄のない道のりで目的のものを1つ買って同じ道を帰っていく。人はそれなりに多いけれど、ごった返すほどでもない。
玖瑠美の元に着いた頃には赤みこそひいてはないけれど、顔をあげて立てるぐらいには戻っていた。
お茶のペットボトルを渡すとすぐにキャップを取って口をつける。余程乾いていたんだろう。喉仏が動いてばかりだ。
「ぷはぁ、生き返ったー」
満足気に半分近くまで飲み干した彼女を見ているとその視線に気付いたようで、僕も飲み物を欲していると勘違いしたのか、手に持っていたそれをぐいと差し出してきた。
その口は濡れている。
「飲まないの?」
これはわざとやっているのか。いや、僕を揺さぶるようなことをしてくるタイプの子じゃないのは長年の付き合いで知っている、はず。天然でこれをしているという事実もそれはそれで心配になるけど。
ここで受け取らないのも拒否しているようでなんだか申し訳ないし、僕からすればこの先に待つ展開はご褒美でしかないし、ここは意を決して受け取ろう。
「ありがとう。もらうよ」
高校生にもなってこんなことを一々意識しているなんて気持ち悪いと思われたくなくて、なんとも思ってないような素振りでパッと口につけた。
「あっ」
その瞬間を狙っていたかのように玖瑠美の口から出たその音に反応してその顔を見たら目が合う。そうして、彼女は小さな口でニッと笑ってみせた。
「えっ、あっ、いや、やっぱいいや。自分のは後でまた買うから、いやでも今口付けちゃったし、ああ、えっと……」
焦って言葉がまともに話せない僕はなんとも情けないだろう。でも、仕方ないんだ。これまで見せてきたことなんてない、悪戯心満載のその笑みがとても可愛らしくて元々芽生えていた恋心がパッと花開いたんだから。
「別に気にしないよ。
「本当?」
「うん。それよりさ、ちょっと落ち着いたら走らされたせいでお腹すいちゃったなって」
なるほどなるほど。ぜひとも奢らせてもらいますけども、それより、それよりよ! 僕には聞き逃せなかった言葉がある。力くんならって、さっき言ったよね? 僕なんて小さい存在なら気にすることもないという意味なのか、それとも僕との長い付き合いがあるから特別気にしなくてもよいという意味なのか。
いや、気持ち悪いな、こんなこと考えるの。中学の頃から好きだったからつい溜まっていたものが顔を覗かせてきた。このままいってしまえば自制心すら危ういかも。
とにかく今はこのイベントを完遂させることを意識して乗り越えよう。
「何食べたいって、言っても玖瑠美も毎年友達と来てるだろうから目新しさとかはないよね」
僕が玖瑠美と最後にここに来たのはもう10年も前の話だ。それ以降二人とも同級生とばかり来ていたから、今回誘って快く受けてくれた時点で正直舞い上がっていた。
「たしかに露店も殆ど変わってないかもしれないけど、隣に誰がいるのかが大事だから。今日は、いつもより景色が華やいでいるような気がするな」
今度は花がパッと開いたように綺麗な笑顔を見せる玖瑠美に、僕は一歩近付いて手を取った。
そこに好意が含まれていてほしいと願いながら、昔のように彼女がはぐれないよう、僕が玖瑠美を離したくないという思いも込めて、今度はゆっくりと歩き始める。
先程とは違い、一方的に引っ張っているということはなく、彼女もそれを受け入れて隣に並んでくれた。
今、どんな表情でなにを思っているのかを見たいし、知りたい。そんな欲望を抑えながら前を向く。屋台につけられた提灯が1つ、2つと視界の隅を通り過ぎていく度にどこまでこのまま居続けようかと不安も押し寄せてきた。
何を話したらいいのか、イマイチわからない。
そういえば、お腹が空いていたなと思い出しても何をいつも好んでいたのか見当もつかない。ただ、この雰囲気に踊らされるように気が付けば一周していた。
「えっと……力くん?」
さすがに気まずいと思ったのか遠慮がちに玖瑠美から声をかけてきた。
「あー、ごめん。さらに歩かせてお腹すかせちゃったよね」
目を合わせづらくて、身体は彼女に向いていてもわざと周囲にどんな店があるのか探すふりをして頭をうろちょろさせる。
「なんだか、今日の力くんはいつもと違って頼りないね」
……言われてしまった。
「どうしてそんな焦ったように周りが見えなくなっているの?」
「い、いや、そんなことは……」
「じゃあ、私の顔見てよ」
「っ!」
左右から頬を小さな手で挟まれ、必然的に目の前にいる玖瑠美の顔を見るしかない状況をつくられてしまう。
「今、私がどんな表情しているのか分かる?」
そんなの一目瞭然だ。
「怒ってる……」
隠そうともしないプクッと膨らませた頬が可愛らしい。
「そう、怒ってるの。どうしてか分かる?」
「それは…………」
見えてこない。顔に出ている感情と違って心情なんて。
「力くんがどうして今更私のこと誘ってくれたのか、私は分かるよ。どんな淡い希望を抱いていて、それが叶うことを願っていたはずなのに、初めから熱くなった心に動かされるように暴走しちゃっていることも」
「ど、どうして?」
真っ直ぐに見つめられたまま、瞳から何を読み取ったんだというほどに僕のなかまで見透かしている玖瑠美に動揺を隠しきれず、また思いのまま問いをぶつけた。
「それは多分力くんが今日したいことと私が期待していたことが同じだからかな」
そこで急に柔らかい笑みを浮かべるなんてズルい。
もう次に僕が発すべき言葉を決められたようなものじゃないか。
そりゃ、そうだよね。そもそもこれまで一緒に過ごしてきた仲で、急にあからさまなイベントに誘ったら誰でも勘付けるよね。それに期待していてくれたってことは……いや、これ以上考えるのは無粋か。
「玖瑠美、良かったら、僕と付き合ってくれないかな?」
言った。言ったけど、なぜか、彼女はまた不満そうに口を尖らせた。
「まだ自信なさげだなー。私の知ってる力くんはもっともっと大きく見えて、頼れる人だったんだけどなー」
ああ、もうなんだよ、それ。僕だって恥ずかしいんだよ! 玖瑠美だって自分の手でそれを感じているはずだろ、僕の頬が熱くなっていることぐらい!
……覚悟を決めるしかないのか。もっと芯のある言葉で。
「綺麗な浴衣を見て思考が乱れたり、いろんな表情に操られちゃうぐらいに、ずっと、ずっと玖瑠美のことが好きなんだ!」
通行人を呼び止める屋台のおじさんぐらい大きな声で恋情を口にした。
先程まで余裕を見せていた玖瑠美もさすがに目を丸くして手を離し、周囲からの視線を気にしている。けれど、通り過ぎていく人たちは、射的や金魚すくい、綿菓子なんかに夢中で僕達に目もくれていない。
ホッとしたように息を吐いてから、彼女は顔をあげ、また唇を尖らせた。目を瞑って。
だから今度は、僕がその頬に手を当て、静かにキスをした。
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