第十四章 水底の安寧
夏も盛りが過ぎ、そろそろ秋の気配がする9月も後半に入る頃。
あれから二か月と少し経ち、俺たちの怪我も治り後処理も済み、ある程度落ち着いてから暫くたった。幸い、誰一人後遺症が残ることもなく、平穏な日常へと戻っていっている。
聖の意識は戻らないままだ、ということを除いては。
「ショウ君! これ父さんから」
「ん? ああ」
昼にはまだだいぶ早い時間。レツから紙袋を受け取りつつ、いつでもよかったんだが、と苦笑を漏らす。仕事の参考になりそうだと、いくつか俺の蔵書を貸していたものだ。病院の一室ではあるが手を入れさせてもらい、ここに泊まりこませてもらっているため、レツはこまめにこうして色々、俺の使いもしてくれている。
―――結局、日本に戻ってきてひと月ほど。渋りつつも彼女のことを考えると、頷かざるを得ず、俺の小さなわがままなどは飲み込んだまま蓋をした。ただし戻るときにいくつか条件をつけ、親父とコルトさんに調整を付けてもらい、こちらも条件を出されつつ帰ってきたのだが。
マスコミや世間には絶対に聖のことを漏らさないこと。まずこれは絶対に譲れない条件だった。聖を移動させる時も、転院先の病院も、ありとあらゆるすべてを厳選し、慎重に移動した。そして俺は、療養という名目で同じ病院に居ついたのだ。親父の息のかかった病院は色々な訳ありの奴もやってくるため、まるで応接室や普通よりだいぶ広めの病室も存在する。そんな一室を調整して、聖と一緒に居られるようにもした。
親父との諸々は平行線のままだが、聖の治療に関して協力してもらう件はしぶしぶ了承し、現在は瑠璃さんが様子を見ながら治療を進めており、かなり良くなってきている。さすがにまだ火傷の痕までなくなりはしないが、頭の怪我は無事に完治していた。
俺の仕事はというと、療養という名目もあり、芸能活動に関してはずっと休業状態を続けている。それ以外の仕事についても、基本的にはどうしても外せないところ以外は休ませてもらっていた。俺個人としてはこのまま諸々引退しても別に構わないと思っているが、それは各所が了承してくれないため、そのままだ。追々考えていくことになるだろう。
親しい友人たちに対しても、聖の転院を知らせることにはだいぶ渋った。特にうっかり口を滑らせそうな望相手などには知らせたくなかったのだが、アキがさっさと日本に戻った際に、聖が見つかったことを望に漏らしていたらしい。俺自身が日本へ帰ることは周囲に特に口止めもしていなかったので、俺が戻ったことでアキが察し芋づる式に望にもバレた。そしてわざわざ病院へ乗り込んできて詰め寄られ、会わせざるを得なかった。なんだかんだと望が聖に再会した時も大騒ぎしたのだが、そこは割愛する。
ともかく今はそういったことも落ち着いて、変わらず俺は聖のそばに入り浸っていた。胸の奥や頭の片隅の、よくない思想は消えず、彼女への飢えも渇きも今のままで満たされることはないだろう。それは自身が一番よくわかっていたが、こればかりはどうしようもなかった。今のところ、彼女のそばにいるだけでそれはだいぶなりを潜めているし、ロンドンにいたときよりもそばにいる時間が長いせいか、少し心持は安定してきてもいる。
「―――で、少しは食べれてるの?」
レツが器用に梨を剥き、皿にのせてはい、と渡してくる。俺は一切れそれをかじり、まあぼちぼちかな、と薄く笑った。
レツはやや複雑そうな顔でため息をつくと、皿を机へ置きながら、自分も一切れかじりつく。
元々保養所やホテルの一室を模しているのではないかという部屋は、簡易ながらある程度の設備も整っている。そこまで手を入れなくても、聖の治療はもちろんのこと、俺がここで生活するのに不便するようなことはなかった。さすがに親父が口を出しているだけあって、PCを持ち込んでも問題ない程度には。
俺自身、名目上は療養となっているが、あながち嘘というわけでもない。コルトさんがどうせ休むんだったらと、食事事情があまり改善されないことや、だいぶ落ちてしまった体力や諸々をこの機に取り戻せと言ってきたのもある。
そのため、病院側や親父やレツなどごくごく一部の身内には、俺がどのくらい無理をおしてきたのか、というのがすべてさらされることになってしまったが。
「元々ショウ君よく食べる方だったんだし、その体に見合うだけの分はなるべく食べれるようにならなきゃね」
次の梨の一切れをつまみつつ、レツが言う。これでも多少改善されてんだけどなぁ、と思いつつも口には出さなかった。聖のそばにいることで、前よりは眠ることができるようになったおかげか、食事もここ二年で考えれば、だいぶ受け付けるようにもなってきた。何より、食事に多少なり味がする。少し前までは味もろくに感じられなかったし、固形物を胃に入れるとどうしても受け付けなかったことを考えれば、少しばかりとはいえ食えるようになったのは改善されたと言えると思う。おそらくメンタル的な部分と睡眠不足の両方の理由で、受け付けなくなってたんだな、なんて今更ながらに自覚していた。
食べたいかどうかといわれると別の話で、まだそう思えるほどに腹が減らない問題もあるが。
「あとそうだ、学園から手紙預かったんだ、袋に一緒に入ってるから見といてね」
「ん、学園から?」
言われ、先ほど適当にその辺へと置いた紙袋を開くと、A4サイズの遊学園の封筒といくらか書類が一緒に入っていた。
「あとで見とく、ありがとな」
おっけー、とレツが言いながら、聖の様子を少し伺った後に、自分が今日持って帰るものをまとめ始める。ここに居る間の洗濯物などは、叔母さんが好意で引き受けてくれており、数日ごとにレツが交換にきていた。しばらく休むのだしそのくらいはさすがに自分でと言ったのだが、周囲の判断で俺はしばらく、極力病院から出ない方がいい、という話になり、叔母さんがかって出てくれたのだ。
下手に外に出てマスコミにでも見つかったらまずい、というところと……一応、件の事件の事後処理漏れを警戒してだった。ミハエルが手を尽くしてくれたのと、聖が使った手段がだいぶ強力だったため、件のマフィアはほぼ壊滅、散り散り状態で立て直しにはだいぶ時間がかかりそうだという話なので、心配はなさそうだと思ってはいるのだが……抑止力が無くなったことで、他から狙われる可能性は増えている。二年はそういうことをしてこなかったので、裏から見て今の俺の重要度がそこまで高いとも思わないが。
件のマフィアにしても、一緒にぶっ飛ばされそれなりに重傷を負った俺たちを疑ってかかるとしたら、そこそこ先の話になるだろう。そのころにはもしかすると、時の流れに押し流されて話は風化しているかもしれない。
もう色々と手を引いていたのもあり、俺自身が急いでどうこうする案件もない。そういった理由でこれ幸いと病院に引きこもり生活を始めたため、日本に帰ってきてから初日に少しくらいしか、自宅にも帰っていなかった。概ね必要なものは、レツやコルトさんや叔母さんに持ってきてもらっている。叔母さんにはここ二年の間にも、家の維持やあれこれと大変世話になっているため、近々お礼をさせてもらわねばバチの一つも当たるかもしれない。
「あっ! ショウ君まぁた朝プロテインで済ませたなぁ!?」
レツがその辺に置きっぱなしにしてあったシェーカーを見つけ、口をとがらせる。
「胃をならすためにも朝昼はなるべく普通に食べて、ダメなら、プロテインは夜にするって話したばっかりでしょ!」
「うっ……悪かったって」
ジト目でにらまれ、まったく、とあきれた口調で呟かれ、食べたいものとかないの? と聞かれた。
しばし考え……ちらりと眠る聖を見て、軽くかぶりを振る。思いつくものがほとんどないし、あってもそれは、今手に入るものではない。何が変わるものでもないのだろうが、気の持ちようというか、メンタル的な部分というか。
「あんま美味いと思わないんだよ。そういうの食いたい気にならないのはわかるだろ?」
「そりゃあまあ……でもだからって食べないのはダメだからね」
「わかってるって」
苦笑しつつ答えると、ほんとかなぁ、とぼやかれた。
「まーショウ君前はちょっと濃い味の方が好きだったし、ジャンクフードも大好きだったし、その食生活に戻すのもどうかとも思うよ? けどさすがに極端すぎ」
レツがため息交じりにそういうと、お昼は食べなよね、と釘を刺してこられた。俺としては苦笑するほかない。
そうしていくらか雑談していたら、病室のドアが静かにノックされ、コルトさんと夏樹さん、アキがやってきた。
「やぁショウ、調子はどう?」
とてもさわやかないい笑顔でアキに言われ、何とも言えぬ気色の悪さを感じてしまう。
「ホワイトか……」
少しげんなりした口調で呟くと、そりゃあね、とにこやかに返された。
「外ではこっちが俺ってことになってるからね」
それで体調は? と聞かれ、ぼちぼちだなぁ、と答える。
元々俺とアキは――世間でいう幼馴染というほどの付き合いではなかったかもしれないが――幼馴染からの悪友だ。もっというなら、両親が友人だった関係でお互いの初対面は物心つく前だったらしい。そんな相手が羊の皮を20枚くらい着こんでいる様など、鳥肌も立とうというものだ。最もこいつの本性が、ブラックと言われる性格の、下手をすると俺より性格ゆがんでいる奴だということを知るやつはそれほど多くないんだが。
「で、どうしたんだ? お前が来るのは珍しくないか?」
「ひどいなぁ、俺だって友人の見舞いくらい来るよ」
アキはニコニコしたままそういうと、応接用に用意してあるソファへと腰かける。続いてコルトさんと夏樹さんも同じように、口々に挨拶をしながらソファへとかけた。心得たレツが小さな冷蔵庫から、麦茶を取り出し四人分用意して、ソファ前の低いテーブルへ出してくれる。
しかたなく、俺も三人が待つテーブルの、一人掛けソファへと腰を下ろした。
「アキは俺たちについてきてくれたのもある。お前の考え少しでも読める貴重な人材だからな」
コルトさんがそう言いつつ、どんなもんだ、と聞いてくる。そんなに悪くないですよ、と答えつつも、けどまだ復帰はしないです。とそこだけはしっかり言い切っておく。
「わかってる。言っても聞かんだろうし、この際だから元の調子まで戻ってもらった方がこっちも助かる」
少し眉間にしわを寄せ、コルトさんが俺を見た。だいたいこの辺のやり取りは、毎回に近くなっている。
「それで、飯は食えてるのか? 顔色は……前よりはいいか?」
「多少は。少しは食えるようになりましたし、ゆっくり寝れてますから」
嘘は言っていない。
軽く笑顔を浮かべつつそう答えたところで、ニコニコしたままアキが、
「少しって?」
わざわざ掘り下げにかかってきた。
「そりゃ……さすがに元の通りとはまだいかないが、マジで少しは受け付けるようになったぞ?」
苦笑し答えると、まあそれもそうか、と続け、
「とりあえず毎食、普通の一人前くらいは食えるように戻ってくれないとね」
ラインをきっちり指示してきやがった。
本当に、こういうところが抜け目がない。ホワイトは特にそういう気質で、いつも以上にやりにくい。
「まあでも確かに、顔色は多少良くなってそうだね。寝てる?」
「ああ、そっちは普通に」
答えると、アキはふうん、と呟き、どのくらい? と聞いてきた。
「どのくらい、って……普通、だと思うが?」
布団に入っている毎日の時間で考えるなら、ここ二年どころか、その前も含めた数年で考えても、かなり休んでいる方だと思う。
「普通に病院だから就寝時間もあるしな。休んでるぞ?」
特に変なことはないよな、と思いつつそういうと、アキは少しだけ考え、顎に手を当てて、そうじゃなくて……と伺うような視線を向けてくる。
「俺は、ちゃんと眠れてるか、って意味で聞いたんだよね」
「……寝てるぞ?」
怪訝そうな顔で聞き返すと、アキは一瞬口を開き、言葉を選び損ねたように口を閉じて。
ふう、と息をつくと、表情が変わった。軽く頭をかくと、聞き方が悪かった、とさっきとは違うざっくばらんな口調でいい、少し鋭い視線でこちらを見やる。
どうやら、ホワイトのままだとらちが明かない、とブラックに切り替わったらしい。
「寝てる、ってのに嘘はねーとは思うが。……ここでちゃんと眠れてんのか?」
す、と半眼でアキがいい、俺は軽く目を見張った。
言い当てられたことというより、アキがそれを知っていたことの方の驚きが強い。
別に隠していたわけではないが、気づかれていたとも思わなかった。
「ああ、ショウ君元々ちょっと、眠り浅いもんね」
レツが少し離れたところで、持ってきた服を棚にしまいつつ、納得の声を上げる。それに少し驚いた声を上げたのはコルトさんだった。
「そうだったか?」
「そっすよ。こいつ、相当疲れて寝落ちてる時以外は、軽い人の気配でも起きるくらい眠り浅いんすから」
アキがそう言って、俺の方を見ながら少しだけ、心配をにじませた目をして。
「病院だと結構人の気配あるだろ? 大丈夫なのか?」
「……知ってたのか」
レツや星馬家はともかく、アキにまで知られていたとは。
苦笑をしつつそういうと、さすがに気づくわ、と呆れられる
「お前が俺のこと知ってる程度には、俺もお前のこと知ってんだよ」
当たり前と言われれば当たり前のことを言われ、それもそうか、と笑ってしまう。なんだかんだつるんできて長いんだよなぁと実感した。
「つっても、ここ数年は人前でも、多少眠り深い時もあっただろ? だから今どんなもんなのかなって思ってよ」
「あー……まあ、多少は目ぇ覚めることもあるけど、前と同じ程度には寝てると思う」
少し考えながら答えを返す。聖と居るようになる前は、だいたいこんなもんだった気もする。
俺が熟睡できるようになったのは、聖と居るようになって……彼女の気配に安心するようになってからだったから。
さすがにそこまでは知られていないだろうが。
「ならいいんだけどよ。今休業中だろ? 動いてない分寝れてねぇこともあるかと思ってな」
どうせ聞かねぇといわねーしお前、と続けられたが、返答は避けた。
「前に倒れたときにほら……食ってねえ上寝てねーんじゃねーかって言われてただろ。病院いんのにあんときみたいにぶっ倒れられても困るしな」
やや眉間にしわを寄せ、麦茶を飲みつつアキがいう。言われてみれば確かに、倒れてからまだ三、四か月程度しかたっていない。
あの時は、病院に長居する気もなかったのに。
たった数か月でかわるもんだなあ、なんて関係ないことを思ってしまった。
俺にとっては聖がいるのなら、どこだってかまわないのだから。
「まあ、少しは良くなってるってのは分かった」
コルトさんが少し渋い顔で言い、俺の方を見たあとに、ちらりとアキを見、それでな……と複雑そうな声で続ける。
「実は仕事の話が―――」
「嫌です」
コルトさんが言い終わる前に俺は笑顔で拒絶する。コルトさんの隣でアキが、はぁぁぁと大きくため息をつきつつ頭を抱えた。
冗談ではない。この流れで仕事の話なんて、絶対いい話のはずがない。
「どうせろくな話じゃないんでしょう? 絶対嫌です」
笑顔でもう一度断りを入れ、ちらりとアキを見る。多分こいつも関わってる内容なのだろう。
コルトさんが困ったように夏樹さんを見ると、夏樹さんが軽く肩をすくめてみせた。そういえばそもそも、なんで夏樹さんがここに居るのか聞いていない気がする。コルトさんは俺のマネージャーだからまあわかるとしても、夏樹さんはたまにセカンドを受け持ってくれることはあるが、基本的に俺やアキの担当ではない。昔は聖のマネージャーをしていたが、今は担当についてる相手はいないはずだ。例外的に、モデル案件やシェリル絡みの時は夏樹さんが担当してくれることが多いが。
「もしかして、夏樹さんが来たのはその件ですか?」
ちらりと見れば、いや……と困ったような顔を見せ、僕は聖ちゃんのお見舞い、と苦笑して見せる。
「あとまあ……コルト一人じゃ説得が厳しそうだったからかな」
言って俺を見、まずは内容聞いてもらえるかな? と微笑む。
「去年、アキと夏の企画ドラマ出たの覚えてるか?」
コルトさんの言葉に、少しげんなりしながら、覚えてますよ、と答える。
「忘れるわけないです。あの時のCD収録くっそ大変だったんですから」
ドラマ自体はまあ問題なかったが、その時の主題歌のためにアキとユニットを組んで収録した歌の方に大問題があった。元々は俺が一人で歌う予定だったため、それを想定して作った歌だったのもあり、アキが歌うにはちょっと……いやだいぶ、難易度が高かったのである。
こいつの音痴度合いがあそこまでだとは、俺もその時まで思ってもみなかった。
結局あの時は、丸三日ほどかけ収録をしたが最終的に納得がいく出来にはならず、裏方スタッフの涙ぐましい努力と必死のピッチ変更や加工技術を総動員して何とか形になったのだ。
無論そのあと何度か出演した歌番組で、アキが生歌を披露することはなく、基本口パクですませてもらった裏話もある。
「歌が難しすぎたんだよ……」
アキがややばつの悪そうな顔でそういうが、多分それを差っ引いても、こいつが音痴という事実は変わらないと思う。
「で、あのドラマがどうしたんすか」
内容的には、ある漫画をもとにした現代アクションドラマで、そこそこ視聴率もよかった覚えがある。去年の話なので身体的に俺にはだいぶキツかったが、撮影的には影響も出さずに、特に問題もなかったはずだ。
「あれ、結構視聴率よかっただろ? 原作自体の人気高いのもあって、単発じゃなくて連ドラにって話がきててな」
コルトさんがやや険しい顔をして、お前の体調的にはあれは少しきつかったと思うが、と前置きをしたうえで、キャストの続投が望まれてる、と告げてきた。
「あと、あの時の歌も評判良くて、お前とアキでまたユニット組んで出してほしいって声が相当多くてな……可能なら主題歌をまた作って欲しいそうだ」
コルトさんがちらり、とアキを見て、複雑そうな顔で目を閉じる。あの時大変だったのは、コルトさんも一緒だ。あの当時のスケジュールは分刻みというほどギリギリだったのに、あれのせいでスケジュールが数日分、かなり派手にずれ込んだわけだし。
「えええ……だいぶ嫌なんすけど。笠井さんはなんて言ってるんです?」
あの時、おそらくもっとも大変な思いをしたであろうアキのマネージャーの名前をだすと、ああねえ。と夏樹さんが苦笑する。
「だいぶ頭抱えてたけど……可能なら受けてほしいみたいだよ」
事務所的にもおいしい話だし、と続けると、コルトも受けたい話ではあるんだろ? と夏樹さんが俺たちに対するよりは、少しだけ砕けた調子でコルトさんに聞いた。コルトさんはちらりと俺を見ると、はぁ、とため息をついて一つ頷く。
「ショウの体調のこともあるからな……内容が内容だし、今は無理強いはしたくない。が……できれば受けた方が、今後のためにも、事務所的にも、いいと思っている」
暗に、事務所に恩を売っておけ、ということだろうと理解した。何かと融通を考えるなら、それはおそらく正しいと思う。
―――が。
「……受けられません」
俺のその言葉を予測していたのだろう。コルトさんはあきらめに似た表情で、再び小さくため息をついた。
聖が目覚めるまでは。
あるいは……このまま引退しても、俺としては別に、かまわない。
「……いつまで引きこもる気だ?」
アキが、おそらく気づいたうえで、少し険しい声できいてくる。
わかってるだろ、と思いつつアキを見やり、聖が目覚めるまでは、と首を振る。
「――目覚めるのかよ?」
アキの厳しい声が続く。
俺は答えられない。
―――それは、脳裏に過りつつも目を瞑っている言葉だった。
「あれから二か月以上経つんだぞ、わかってんのか? お前だって……このままでいいわけないだろう?」
ぐっ、とこぶしを握り、アキが、言いたくないことを、それでも必死に吐き出すような、辛そうな顔で続けた。
「お前が受け入れたくない気持ちもわかる……わかる、つもりだ。けど、こんな状況を聖だって望んでるはずないのは、お前だってわかってんだろ?」
「っ……それは………」
言葉にならなかった。
わかってる。頭では、わかっていた。
もちろん体調のこともある。しかし、その体調不良の理由も、結局のところ俺が……彼女がいなくなったことを受け入れられなかった、俺の弱さが原因で。
単純なことだ。
俺は、聖が居ないというその事実が、どうあっても受け入れられない。
それだけの事なのだ。
それでも。
そうだとしても。
「お前の……いうこともわかる。たぶんそれが……正しい選択だってのも、理解はしてる」
ゆっくり、なるべく感情を滲ませずに言葉を紡いだ。
聖の昏睡状態が回復する見込みは……正直に言うなら、確かに、薄い。
昏睡から20年以上たって目覚めたという例もあるが、そんなものは少数で……何年もこのままの可能性の方が高く……そのまま、旅立ってしまうかもしれないのも、事実だ。
アキを見る。自然と、苦笑が漏れた。
「でも、悪い。―――無理だ」
「………っとに、頑固者が」
今度は、アキが苦笑する番だった。
「わかってるけどよ。お前がそういうやつだってのも。……けど、誰かがいわねーとダメなことだろ。一応、これでもダチ心配してんだからな」
「悪いな……」
「どうせお前のことだから、引退してもいい―――くらいのつもりでいるんだろ?」
アキが肩をすくめて俺を見て、口の端ににやりと笑みを乗せる。
「ああ……まあな」
「させないからな?」
コルトさんがじろり、と俺を睨んだあと、自分の隣のアキの方もひと睨みし、
「アキもあんまり、そういう事言うんじゃない。本気で引退しかねん」
まったく、と少しばかり不貞腐れた口調で言った。
「ドラマの件は……まあ、わかった。正式にうちに話が来るのもまだ先だし、多分来年の話になるだろう。それまでは俺の方で保留ってことにしておく。だめならまあ……仕方ねえだろう」
「……すみません」
「やる気がない奴にやれと言っていいものも出来んしな。―――まあ、お前はなんだかんだ言ってもやり始めたらしっかりやるから、それまで待つさ」
コルトさんは苦笑すると、歌は一応作っとけ、と言ってアキを見る。
「お前が歌うかどうかはともかく……アキは確定だからな。曲自体はどのみちお前のを使うことになると思う」
「アキに歌える歌って……結構難題だと思うんすけど」
苦い笑いを浮かべつつぼやいて、アキを見ると、アキの方もすがるような目でこちらを見てきた。
「……出来たら、一人にしないで貰えると助かるんだが……」
とても情けない声で言ってくる。
「お前とユニット組んだの、マジで大変だったからなぁ……」
ちょっと遠い目をして当時を思い、ついそう口に出す。コルトさんも夏樹さんも、うんうん同意し腕を組む。
「クライアントがアキの音痴を知らないままだったのがまずかったよな……一回やっちまったから、今更もう歌えませんなんていえねえだろうし」
アキ自身も頭を抱える。
そもそも別にリズム感がないわけでもないし、音がわからないわけでもないようなのだが……なぜ歌として声に出すとああも破滅的になるのか。世の不思議は尽きない。
「誰もかれもがショウみてぇになんでもこなせるわけじゃねーんだよ……!」
とても情けない声で喚かれた。
そんなアキを横目に……興味深そうな目で見つつも、レツが麦茶のおかわりをつぎ足してくれる。
仕事の話だから口を出してこないが……そういえばレツも、アキの音痴を知らなかったのではなかろうか。ちらり、とこちらを見てくる目が、そんなにひどいの? と聞いてくる。声に出さないのはレツの優しさだろう。俺は小さく頷いた。
「さて。それじゃあ話も済んだことだし……僕は聖ちゃんのお見舞いに来たわけだからね。少し会わせてもらっていい?」
夏樹さんがそう言って、俺の方を伺いみる。ちら、と夏樹さんの表情を見、一瞬だけ押し黙り……ええ、と笑顔を見せた。
―――本音は、胸の奥に押し殺して。
席を立ち、夏樹さんと連れ立って聖のベッドの枕元へ寄る。応接部分とは間仕切りで軽く仕切られているため、こちらへ来るとレツやコルトさん、アキの方は見えなかった。ベッド横の、俺がいつも座っている椅子も、間仕切りで仕切られる位置にある。
ここに座って聖のそばにいると、外界の喧騒もすべて一時、忘れられる気がするのだ。
「―――聖ちゃん、久しぶり。なかなか会いに来られなくてごめんね」
夏樹さんが静かに。優しく穏やかな声で、眠り続ける彼女に声をかける。
「また美人さんになったね。きっともっと、人気も出るんじゃないかな」
夏樹さんは穏やかな笑顔でそういって、少しだけ寂しそうな目をした。
そっと屈み、優しい手つきで聖の手を取る。
「ねえ、聖ちゃん、覚えてる? 浅霧さんから僕が引き継いで、メインに上がったときにさ。僕たち、約束したよね」
夏樹さんと聖の関係は、聖が芸能界に入る頃からだと聞いている。俺と聖が出会うより、だいぶ前の話だ。
俺の知らない聖のことも、彼は知っているのだろう。
そう思うと少しだけ……悔しくもある。
「僕、まだ忘れてないよ? まだ……期待してるからね」
ちらり、と夏樹さんはなぜか一度、俺のことを見て。
すぐに聖に視線を戻すと、彼女の手を自分の額に少しだけ当てる。
「きっと、大丈夫だから。―――早く、帰っておいで」
そのまま目を瞑る。まるで、祈りを捧げるように。
しばらくたつと、夏樹さんはそっと聖の手を放し、立ち上がって俺を見ると、ふっと微笑み、任せたよ、と言われた。
何故だか、とても大事なことな気がして。
俺は真面目な顔で一つ、頷いたのだった。
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