第十一章 紅い嘘


 オークションが始まり少し。希少な絵画や宝石、骨とう品。しかし、潤沢な財力があれば手に入らなくはないだろうという程度のものだ。今のところは、見るからにやばそうなものは出されておらず、こんな場じゃなければ、望に土産の一つでも買って帰りたいななどと思う程度のところで。……商品の入手経路自体は、目を瞑る必要がありそうだが。

 いやまあ、本当にこんなところで宝石の一つでも買ったって、多分受け取ってはくれないだろうけども。

「それでは次はこちら! 眩く輝く光を称える、美しく色彩豊かな神秘の宝石、アレキサンドライト! この度はなんと、10カラットをこえる大物を入手することができました!」

 大きな台座の上にディスプレイされたまま、緑にも赤にも色の変わる宝石が、三人がかりで台座ごとステージへ運び込まれてくる。ステージ近くの豪奢な椅子に座った、三人の初老の男のうちの一人が、鷹揚に頷いて何事か、そばに控える者に告げていた。おそらく、あの三人が聖のターゲットなのではないか、と思いそれとなく注意しているが、聖本人の姿は今のところ、おそらく、ない。

 かといって何かを理由に近づこうにも、ガタイのいい男数人に、巧妙にガードされている。ぱっと見はそれほど厳重に見えない。こういう輩が、一番厄介だ。位置取りも悪い。こちらはステージにやや遠い、会場の少しばかり右奥。彼らはステージにほど近い、左前方だ。監視する分には絶好の位置だが、あいにく近寄ることは難しい。

 そういやミハエルが、マフィアじゃなさそうな連中もきてるっていってたな、などと思い出し、さすがにドラッグや武器や人間なんかは売買に出ないかもしれないなと考える。あるいはこの後、そのあたりの人間を排した後に行われるか、だ。そちらのオークションへ金を出そうとする奴を把握できたら、今後の動きは楽になるかもしれない。

「そろそろ大物が出始めてもいいころだな」

 隣のシュミットに声をかける。そうだな、と一つ頷くと、ちらり、と視線を走らせ。

「今のところは……まだ、か」

 少しだけ失望が混じった声色で言った。

「こっちに出てこない可能性もあるからな。それは想定範囲内だ……が……」

 俺は素早く周囲を見渡し、再び正面に視線を戻した後に、気づかれぬよう態度も視線も変えぬまま、シャンパングラスを傾けながら。

「――何かあったな。」

 小さな違和感を感じていた。

「何か? ……そうか?」

 シュミットも同様に態度を変えぬまま、少しだけ伺うようにこちらを見て言う。

確かに、周りの態度やオークションの進行などに、別段変わったところはない。……が。

「さっき件のところに声かけられてたやつな、出てったと思ったんだが……戻ってきたとき、少し先より足が速い。ついでに、ドア付近の何人か、位置と人数が変わっている。そこまで慌てた様子がないところを見ると……よく行き届いているのか、さして大きな問題ではない、か」

「……よく、気づいたな」

 シュミットが少しだけ目を見開いて言ってくるが、それには苦笑で返すだけにとどめる。

 まだいくらか残るシャンパンを置き、さてどうするかと思案した。

 それほどたいしたことではないのであれば、今探りを入れてしまうと後々探りが入れづらくなる。かといって、現状の変化を知らないままでこちらの動きに支障がないかはわからない。

「――もう少しだけ様子見で、大物が出始めたタイミングで一度引いた方がいいかもな」

「そうだな」

 視線を交わし頷きあい、オークションの続きを見守りついでに、もう一度件のターゲットと思われる、三人の初老の男の方へと視線を向けた。

 その時。


 ゴォン!!


「っ!?」

 ほど近い、上の方でものすごい轟音と振動。

 と、ほぼ同時に。

 かっ! と視界を覆う真っ白な閃光!

 それはもうほぼ、反射だった。

 光を認識するのとほぼ同時に、椅子と机を前方へ蹴倒しシュミットと二人、ギュッと目を瞑り姿勢を低くし衝撃に備える!

 どぉん! と心臓に響くほどの低い轟音と激しい高い破裂音が同時に響き、さらに衝撃が来た!

 平衡感覚がぶっ飛び……というかおそらく自分もぶっ飛ばされて、どこかに勢いよくたたきつけられ、背中がきしみ肺が圧迫され、息が止まる。受け身を取ろうとはしたが、そういうレベルの衝撃ではなかったらしい。爆音で耳がやられ、薄目を開けるが辺りは暗く、よく見えなかった。頭上から降る瓦礫と横に飛ばされた瓦礫の、たまたまうまいこと作られた隙間に運よくたたきつけられたらしい。

 爆発直後の轟音で耳が聞こえず、鼓膜が無事かはわからなかったが、とりあえず体は動く。全身痛みはあるが、骨や内臓はおそらく無事だろう。……数時間後にどうなるかはわからないが。

「くっそ……おい、無事か!」

 状況が状況だ。今更正体がばれようが知ったことではない。

 俺は頭を振りつつ、悪態をつきながらも何とか平衡感覚を取り戻して立ち上がり、暗闇の中必死に目を凝らして叫ぶ。少しずつ少しずつ、耳が音を拾うようになってきたので、鼓膜もまあ、無事だったようだ。

「っ……なんとか、生きてるようだな……」

 がら、と瓦礫が崩れる音がして、暗闇の中の人影が動く。シュミットもとりあえずは無事らしい。何とか立っているようだが、いかんせん暗闇が濃くほとんど何も見えない。どこかの瓦礫の裏から微かに漏れる、何かの小さな光程度の光源だ。

 少し近寄ろうとして、左腕あたりと左太ももあたりに特に鋭い痛みがあり、よく見ればおそらくスーツが引き裂かれている。スーツの下に念のためと、ぴったりとした防護スーツを着ていたおかげで、衝撃はすごかったがかろうじて助かっている気がする。いやまあ、見えないんだが。

 頭もとりあえず、流血などはしていなそうだ。

 他に動く気配はない。

『――……じ…………こえ…………』

 仮面の通信機から、ひどいノイズと声がする。あるいはこの仮面のおかげで、頭が無事だったのかもしれない。

「おい、聞こえるか!? おい!」

 通信機に何度か声をかけていると。

『――っ、全員無事!? こちらミハエル、聞こえる!? 応答しろぉ!!』

 普段の温厚な彼とは打って変わった、鋭いミハエルの声が飛んできた。

「こちらアキ、一応生きてる。over」

「こちらシュミット、同じく無事、アキと一緒だ。kommen」

 それぞれ答え、反応を待つ。明らかに安堵した声でミハエルが、よかった通じた……と呟く声が聞こえる。

『二人は今どこ? そっちの状況どうなってる? 外から見た限りだけど、ホテルは完全崩壊してるし、一部火も上がってる。周りの地盤も一部沈下してるくらいやばいことになってるんだけど、どこにいるの!?』

 ミハエルの言葉に、俺とシュミットは暗闇の中で顔を見合わせた。思ったよりかなり、やばい状況かもしれない。

「地下2階のパーティーホールにいたが、爆発で吹っ飛ばされた。どこまで飛んだかはわからないが、怪我の状況的にそこまでぶっ飛んでないと思う。今は上手いこと瓦礫で支えられた空間にいるが……その状況だと、いつ崩落してもおかしくないな」

 オーバー、と言いながら最悪の現状を把握した。予想より爆発のタイミングがだいぶ早かったが……つまり俺たちは、逃げ損ねてしまったわけだ。

 下手をすると、空気が尽きる、という可能性もありそうだ。

『怪我? 動ける?』

「なんとか動ける。さすがに、あの状況で無傷とはいかないだろう」

 シュミットが自分の体を確認しながらミハエルに答える。左肩を抑えているように見えるが、表情を含め傷の程度はわからなかった。

 持ってきた装備に確か、とベルト周りを探る。すぐにベルト横につけていた円柱状の、少し細い懐中電灯を見つけて外した。いわゆる災害用に使えるような懐中電灯に近い。性能はちょっと、特殊かもしれないが。

 どちらかといえば本来は、武器目的で持ち込んでいたものだったりする。

 カチ、とライトと反対についているスイッチを二つ入れ、少し回して光を広げる。白い光があたりを照らし、見事に瓦礫の真ん中だな、というありがたくない事実を確認する羽目になった。

 シュミットを見れば、スーツの各所が千切れてはいるが、とりあえず五体満足ではあるらしい。まあおそらく、見た目に関しては俺も大差ないことになっているだろう。こちらも、ぱっと見流血はなさそうだ。

「発信機のスイッチを入れた。場所特定出来たら教えてくれ」

 ミハエルが、了解、と言いつつ、ショウは? 聞こえてる? と続ける。

 少しだけ、通信機が沈黙しノイズだけが響く。

 ……反応が、ない。

「……ミハエル、あいつの通信機オンラインか?」

 一応確認するが。

『通信機はグリーン、壊れてないと思う。多分こっちの声も届いてるとは思う、けど……向こうからの回線が開かない』

「ったくあいつ……! おいショウ! お前なにやってやがる! 聞こえてんだったら返事しろ! そっちなんかあったんだろ、おい!」

 通信機が生きてるということで、おそらく聞こえてると踏み怒鳴った。

 あいつが反応しないということは、意識がないか……あるいは。

 そんなことはないと嫌な想像は振り払い、通信機に向かい何度か怒鳴る。

 すると、ほどなく。

『っ……アキ……』

 ノイズと共に、小さく、ショウの声が響いた。



「っつ……!」

 背後から物凄い轟音と衝撃がきて……背後に、彼女が覆いかぶさる気配がして。

 爆風でぶっ飛びながら、必死で体を半分捻り無我夢中で彼女を抱えた。

 そのまま背中に、強い衝撃。頭から落ちなかっただけまだマシだろうが、あばらくらいはいったかもしれない。

 痛む体を叱咤してそっと腕を開くと、俺よりも小さな、彼女の体。まとめていた髪は解け、記憶よりも長いそれは、絡み合い彼女の体に落ちる。

 ……そして。

「ひじり……?」

 自分の声が。震えた、頼りない声が。

 意識のない、彼女に落ちる。

 抱き上げようとして……ぬるり、と生暖かい感触。

 ぞわり、と背筋を悪寒が走り抜け息をのんだ。

『――っ、全員無事!? こちらミハエル、聞こえる!? 応答しろぉ!!』

 通信機から、ミハエルの声が聞こえていたが。

 反応できない。

 体が、動かなかった。

 信じられなかった。

 嘘だ。

 こんな世界は、嘘だ。

 うそだ!!

「っ、ひじり……! おい、聖!」

 必死に呼びかけ、自身と彼女の肢体を確認した。―――欠損はない。五体満足だ。ただし、聖のドレスの背中は破け、白く美しかった肌に生々しい火傷が見える。煤や埃で所々汚れた体と、手足や肩には、小さな擦り傷や切り傷がいくつも見えた。俺はというと、スーツの下に着こんだ防護スーツのおかげか、特にこれといった外傷はみえない。

 意識のない彼女の脈と、口元を確認する。

 弱い、不規則な吐息。

 ……まだ、息はある!

「っ……!」

 血は頭からだ。頭部の流血は、小さな傷でも驚くほど流れる。大丈夫、大丈夫だ。

 必死に自らに言い聞かせ、シャツを割いて止血をする。側頭部に裂傷、おそらく吹き飛ばされるときに、瓦礫の何かがあたったのだろう。意識がないということは、衝撃も強かったかもしれない。

 急いで脱出しようと、そこで初めて、俺は辺りを確認した。

 瓦礫の山。木材、石材、鉄筋。シャンデリアの残骸に調度品の慣れの果て、床だったもの。天井は崩れ、いまだどこかで崩落を続けているらしい。遠くで重い音が響く。どうやら俺たちは、ウォルフと対峙していたエレベーターホール前の広間と廊下をぶっ飛んで、入り口ロビー付近があったあたりまで爆風で飛ばされたようだ。つくづく、よく自分は無事だったと思う。一部雨が降り注いでいるから、外は近いはずだ。

 きょろ、と生存者を探すが、動く気配はない。同じように飛ばされたと思われたウォルフは……少し遠くで、あまり直視したくない状況になっていた。おそらくあれでは、息はなかろう。ほかに人がいない、ということに少し疑問を覚えたが……瓦礫の下から覗く腕などを見つけ、心を殺す。――――般人は、いなかったはずだ。

 急がねば、聖も、危ない。

 大体全方位を瓦礫に塞がれている状況。おそらく正面出入口だったと思われるところが、瓦礫が少し薄そうだったが……そのままではどうやっても、通れそうにはない。

 どう、するか。

 多少破れたスーツの上着を彼女にかけ、ぎゅっと抱きしめ。

 ―――吐息が、さらに弱くなっている気がした。

 止血で巻いた布には、真っ赤な血が滲む。

 ……体温が。彼女が。

 このまま、消えていくような気がして。

 体が震える。

 ここまで来て、置いて行かれるなんて、考えたくなかった。

 思考がまとまらない。

 ただ、また置いて行かれるかもしれないという恐怖で、俺はその場から動けなかった。

 ――……色々なものが、フラッシュバックする。

 ―――と。

『おいショウ! お前なにやってやがる! 聞こえてんだったら返事しろ! そっちなんかあったんだろ、おい!』

 アキの、切羽詰まった怒鳴り声がして。

 我に返った。

 震える手で、通信機のスイッチを入れる。

「っ……アキ……」

 呟くように、友の名を呼んだ。

『っ……やっと反応したか……何があった、吐け! 一人で抱えんな!』

 怒鳴るように、アキが通信の向こうで言う。

「っ……ひじり、が……」

 言葉に、ならなかった。

 息が詰まる。

 震える体を必死で押さえつけ、彼女を抱き上げた。

 くたり、と力の入らぬ体を落とさぬように、そっと。

『聖!? 見つけたの!? 無事!?』

 ミハエルに矢継ぎ早にそう言われ。

 頼りなく喚きだしそうな心と喉を押さえつけ、

「生きてる。けど、意識がない。頭部裂傷と重度の熱傷は確認した。急がないと……たぶん、やばい」

 必死で現状を説明する。

 彼女を抱き上げたとき、ぎし、と痛みと共に自身の体が軋んだ気がするが、気にしていられなかった。

「正面入り口辺りの瓦礫ぶっ飛ばせば多分脱出できると思うが……」

『おいちょっと待て! それされると多分、俺たちがマジで死ぬ』

 アキが少しだけ余裕を取り戻した声色で、それでも焦った声で言う。

「お前らどこにいるんだ」

『さっきの聞いてなかったのかよ……地下だよ地下。地下のパーティーホールにいる間にそのままドカンだ』

 アキの呆れ声は、まだ少し焦りが滲む。おそらく、いつ崩落してもおかしくないところに居るのだろう。

「……こっちも待てない。聖が……まずい」

 ぐっ、と聖を抱く手に力がこもる。

『わかってる。なんかないか、思いつくことなんでもいい。お前が出来なきゃきちぃんだよ』

 焦った声色が、どちらにしろ時間のなさを告げていた。

 しばしの沈黙。

 考えろ。何か手はある。

 巻き込まれても死ななかった程度に悪運が強いんだったら、そのあとの手段だってきっとある。

 ――――はじめ、考えたことは。

 脱出口を用意するか……指向性爆弾………

「おい、アキ、シュミット。お前ら二人とも緊急用の指向性爆弾持って行ったか?」

『ちょっと待て……ある』

『こちらもある』

「なら……ミハエル、二人の正確な位置を割り出してくれ」

『おっけー、任せてすぐに割り出す』

 ミハエルが少しだけ、ほんの少しだけ楽しそうな弾んだ声で返事をした。

「エーリッヒ、ヤードと外の状況は?」

『一般人、ヤード共に被害は出ていません。ただ、外がだいぶ騒がしいと思います、マスコミも駆けつけてますね。まだヤードが抑えていますが、いつまでもつかわからない状況です。それと、元々外にいた方々や運よく飛び出してきた方など、数名の脱出者を確認しました』

 それは、まずい。

「逃げた連中はいい、マスコミは何とかしてくれ。下手につかまって時間とられてる暇はない。

 俺は正面突破になる、車回してくれ」

『わかりました』

 腕の中の温もりを、もう二度と失わないために。


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