第2話 新たな約束

この日も、ふっと目が覚め、準備を整えたら図書館へと向かう。

今日は昨日と違って、雨なんてことを考えさせないくらいに太陽が照りつけていた。


図書館に着くと、冷房の風が体を冷やし、リラックスさせてくれる。

ハンカチですこし額の汗を拭いながら昨日の席に向かうと、海の写真集を広げるくうがいた。


「あ、かいくんっ」


くうのぼくを呼ぶ声にぎこちない会釈で返した。


「昨日は、ここにいなかったですね」

「あ、そうだねぇ、昨日は来てないかなっ」


そういいながら、くうはこっちにおいでと言わんばかりに手招きしてる。


「よこ、座りなっ」

「あ、はい」


断る理由もなかったため。くうの座るよこの椅子に荷物をおき、腰をかける。


「そうだ、かいくんさっ」


くうが広げていた写真集をぼくに見せるようにずらしてからいった。


「この写真、前に気になるっていってたよね?」


指を指す先には、ぼくが不思議と意識を引かれた海の写真がある。


「あ、はい。気になるというか、なんというか…」

「そかそかっ、なんかそれ気になるよねっ」

「え、気になるって?」


いまいち、くうの言ってることが理解できてなかった。


「いや、だってここの海がどこかわからないんでしょ?」


ぼくは、海の写真に不思議と惹かれたが、それがどこの海なのかさっぱり検討はついておらず、行ったことあるかすらも分からないのだ。


「はい…」

「それで、もはや行ったことがあるかすら分からないんだよね?」

「そう…ですね」

「それなのに、意識を引かれるって、なんか不思議だよっ、ここの海になにかあるんじゃない?」

「そう…なんですかね…」

「絶対にそうだと思うねっ」


くうはそう言うが、ぼくにはそんな心当たりなど全くないのだ。

もし行ったことがあるとしても、忘れてしまっている。


「すいません、なんか海が気になるって変ですよね」


今更になって、ただの写真に惹かれてる自分が恥ずかしくなってきた。

しかし、くうはずっと真剣な顔をしている。

最近であったばかりの女子にぼくの悩みのようなものを聞いてもらっている状況に違和感を覚え、今日は家に帰ることにした。


「あ、くうさんすいません」

「くうでいいよっ」

「あ、すみません…、この後自分予定あるので今日は帰ることにします。」


そういいながら、ぼくは荷物をまとめる。


「お、そっかっ、今日もちょっとしか話せなかったねっ」


くうは少しも嫌な顔をしていなかった。


「すみません、じゃあぼくはこれで」

「うんっ、またねっ」


軽く頭を下げ出口へと向かった。

急に帰ったりして、今更申し訳ない気がしたが、また明日行けば会えるだろうと思い、家へと向かった。


家についてからは、図書館でのことしか考えていなかった。

明日も、図書館に行こうと決めた。

くうに会いたいというのも少しはあったかもしれない。


くうに出会ってから、気持ちの面ではいつもとは違う。

でもやはり、ぼくの生活はいつもとは変わらない。


ご飯だって味は感じないし、大学は入学して一カ月ほどで通うのをやめたため、友達からメールがくるなんてことはまずない。


本を読んでいるとき以外のぼくは、ロボットのように決まったことを繰り返しているだけの人間なんだ。


この日だって、いつもとほとんど同じ時間にベットに潜り込んだ。

眠りにつくまで、頭の中ではずっとあの写真の海のことを考えていた。


「明日、くうにもう一度相談してみよう」


そう決めて眠りについた。






「もう学校来るなって言ったよね?」


ぼんやりとした景色の中、制服を着た数人に囲まれている。視界は胸元までで、顔は見えない。


「ほらほら、死ねよぉ」

「ねぇ、なんで生きてるのぉ?」

「ほらほらぁ」


目の前の女子が腕を振り上げ、自分の顔面めがけて振り下ろす。





目の前にはいつも通りの天井が広がる。


「夢…か…。誰だあれ…」


自分は学校に通ってはいないが、いじめられたわけではなく、いじめられていたという経験もない。

そのため、夢で見た場面は自分の思い出ではない。

しかしただの夢だと考え、すぐにリビングに降りてゆき、歯を磨いた後に着替えを済ませる。

歯磨きをする際洗面台の鏡を見たときに、自分の髪がだいぶ伸びていることに気づいた。


家を出ると、照り付けるような暑さに嫌気がさした。

海は好きだが、夏は嫌いだ。

Tシャツをパタパタと扇ぎながら、図書館へと歩いていく。

コンビニを横切ろうとしたときに、誰かに声をかけられた。


「おっ!かいじゃんっ!」


声のほうへ顔を向けると、高校の同級生である、中井くんがぼくに手を振っていた。


「あ、久しぶり」


学校にも行かず、図書館に通っている身としてはあまり高校の同級生とは関わりたくなかったが、どうにか自然にふるまう。


「今日は、大学はないの?」


極力自分のことは聞かれないように、先に相手に質問をした。


「あぁ、今日は休みなんだよな」

「あ、そうなんだ」

「かいは?最近大学生活はどうよ?」


自分の聞かれたくなかったことはあっさりと聞かれてしまった。


「あ、ま、まぁ、ぼちぼちかなぁ」


深掘りはされないよう、曖昧に返答をする。


「あ、引き留めてわりぃな、これからどこか行くとこだった?」


その質問もしてくるのか、と心の中で勝手に不機嫌になりながらも


「あぁ、ちょっと知り合いの家に用があって。」


と何となくこたえた。

友人は納得したような様子だった。


「あ、そかそか、じゃあおれも帰るわ。じゃあな」

「うん、じゃあね」


中井くんは、ぼくとは反対の方向へと歩いて行った。



図書館についてから入る前に、窓のほうへ目を向ける。

窓越しには、大きな本を広げる黒髪のくうの姿が見えた。

図書館に入ると、冷房の効いた涼しい空間がぼくを迎える。

迷うことなく、くうの待つ席へ向かう。


「あ、かいくんっ」


くうは、すぐぼくに気づいた。

彼女は昨日と同じ本の、同じページを開いていた。


「またその本みてるんだね」

「まぁ、この本のためにここに来てるようなものですからっ」


彼女の笑顔から、本当に海が好きなのだと伝わった。

ぼくは、くうの隣の席に荷物を置き、後ろの本棚からくうと同じ本を取り出した。

昨日と同じページを開く。

そしてふと思い出し、くうに声をかける。


「くう…さん」

「だからぁ、さん付けなんてしないでよぉ」


くうは笑いながら言ってくる。


「ごめん、くう、でいいかな」

「もちろんっ」


くうは大きく頷いた。


「この写真なんだけど。」


気になっている写真を指さす。


「この写真。あぁ、前に気になってるって言ってた写真ねっ」


くうは、うんうんと頷いている。


「そう。変かもしれないけど、やっぱりなんかすっごく気になって。」

「でも、これが、どこの海か分からないんだよねぇ」


くうは少し怪訝そうな顔をした。


「うん…でもなんか既視感というか。」

「なるほどぉぉ…」


くうはあごを撫でる仕草をしながら何かを考えていた。


「そうだ!」


くうが、なにかを思いついたのか手を叩いた。


「じゃあ、かいくんさ!私と色んな海に行って、この写真の海探そうよ!」


あまりの突然の提案にぼくは反応が遅れてしまった。


「え、それはどーゆー…」

「だから!私と明日からでも海に行って、その写真の海が見つかるまで色んなとこに行くの!」


くうの言ってることは、理解はできたが納得ができない。

そもそも最近知り合ったばかりの女子と二人で海に行くなんて考えられない。


「いや、海に行くって…。ぼくたち前に知り合ったばかりだよ…?」

「そんなの関係ない!もう私は決めた!」


くうは迷うことなく即答してきた。


「えぇ…」


さすがに断ろうかと思ったが、くうの勢いに押されてしまった。


「明日行く海は私が決める!だから準備してね!明日、この図書館に九時に集合ね!じゃあ私は準備のために帰る!」

「え、ちょ、ちょっと!」

「なに!」


くうが出口に向かう足を止め、顔を向けたと同時に、司書の女性が近づいてきた。

女性は僕に対して言った。


「申し訳ありません、すこし声のボリュームをさげてもらえますか?」


自分が大きな声を出していたことに初めて気づいた。


「す…すいません…」


女性はにっこりとした笑顔で頭を下げ、戻っていった。

ぼくは、くうの方へ向き直した。


「いや、そんなに急に言われても、明日って…」

「明日なにか予定でもあった?」

「いや…別にないけど…」


このとき、予定があると断っておけばと後悔した。


「じゃあ、大丈夫だねっ」


彼女はニッと口角を上げた。


「それに、その海に行ったとしても、感じ取れるか分からないし…」


ぼくはすこしでも考え直して欲しいから、とっさの言い訳をした。

しかし、くうにはそんなことは気にならないようだった。


「そんなの行ってみないと分からないでしょっ」


ぼくはこれ以上はあがいても無駄なのだと悟った。


「ふっ、もうあきらめはついたかね」


くうは悪い顔をしている。


なにか他に言い訳を考えたが、なにも思い浮かばなかった。


「じゃあ、明日、待ってるからねっ」


くうは、ぼくの事など気にもとめずさっさと行ってしまった。


困ったことになった。ぼくは図書館に行く時以外、外に出ることなんてほとんど無いのだ。それ以外では外に出たくはないし。


だからと言って、何も言わずに約束を破るのは気が引けてしまう。


「はぁ…」


人気のない図書館で、ぼくはひとりため息をついていた。








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