第42話 襲来、獣人、銀翼の隼
ブワリと全身の毛穴が開くような感覚を覚えると、反射的にしゃがみ込む。
一瞬マリーを突き飛ばすか迷ったが……この感じ、マリーは大丈夫だろう。
次の瞬間、ドン、と床をハンマーで叩いたような重低音が響くとほぼ同時、俺の頭上を丸太のような腕が轟音を上げ通り過ぎていく。
完全に俺を狙った容赦のない一撃。
頭上では、ヒッ、と引きつった悲鳴が上がった。
おそらくはミルティアか。
カウンター越しとはいえ俺の正面に立っていたからなぁ。
トラウマにならなきゃいいが。
俺はしゃがんだまま反転しつつ、拳を放った相手の足を払うべく蹴りを放つ。
が、空振り。
相手が小さく跳躍したのを確認。
だがそれが俺の狙いでもある。
そのままくるりと1回転すると、状態を屈めたまま立ち上がりつつ、浮いているであろう相手に向け鋭い角度での後ろ蹴り。
手応えあり。
だがその手応えはまるで岩でも蹴っているかのような硬さで、おそらくはガードされたかと判断。
流れに任せ立ち上がると、視線の先には俺の蹴りで後方に押し出された場所で両腕をクロスにしたガード体制の男が立ちすくんでいた。
その腕は……いや、全身は体毛に覆われ、ゆっくりと降ろされるガードの下から覗く顔はまさに狼そのもの。
純血の獣人。
「よぉやく見つけたぞぉ、クラウスゥ」
鋭い牙を見せつける様な笑みといい、その粗野な物言いといい、もはや何度見たか覚えてすらいない。
俺と奴とを中心として、緊迫した空気が蔓延っているのを肌で感じる。
この場にいた冒険者は恐らく高くてスチール級。
こいつ相手に手は出せまい。
ブロンズ級以下に至ってはおそらくは最初の殺気だけで怖気づいている事だろう。
ジリッ、と互いに半歩近づくと、一気に距離を詰める!
「やっぱりお前かギル!久しぶりだな!元気そうじゃないか!」
「ガーッハッッハッハ!クラウス、てめぇも元気そうじゃねぇか!」
距離を詰めた俺達は、互いの右腕をクロスさせた。
冒険者同士の挨拶の一種。
「しかし相変わらずだな。もう少し場所をわきまえろ」
「細かい事気にすんなよ。誰も怪我してねぇんだからいいだろうが」
「当たってたら俺死んでたぞ」
「ハッ!てめぇに当たるとは思ってねぇよ」
それは結果論というやつだ。
ギルとタイマンで勝負して勝ったことなど一度も無い上に、引退してからもう半年以上経つんだ、もう少し手加減してくれてもいいだろう。
……いや、そういう問題じゃないか。
ともかく、俺の眼の前でガハガハ笑っている獣人、ギルガルトは俺の元パーティーメンバーだ。
粗野で乱雑なところはあるが、それ以上に頼りになる男。
まさかカーネリアで再会することになるとは思っていなかったな。
そんなギルなりの乱暴な挨拶に何が起きたのか理解していない者が多いのだろう。
この場に存在する音は俺とギルの話し声だけだ。
とりあえずこの場を収めないとだな、と声をあげようとした時、カウンターの向こうで真っ青な顔をしていたミルティアが何かに気づいたようにギルを指さしていた。
「そ、そそ、その、その背中のバトルアクス……爆炎斧グロウフラム……?まま、ま、まさか、剛腕のギルガルト……?銀翼の隼の……?」
「あんだねーちゃん、ギルガルト【さん】だろうが?」
「ひぃぃ、すみませんすみません!」
あぁ、完全にトラウマになってるな。
かわいそうに。
「無駄に睨みつけるなギル。ミルティアさんだったか?バカがすまなかったな」
「いいいいいいえいえ、だだだ、大丈夫です」
全然大丈夫そうじゃない。
カウンター越しでよく見えないが、足ガックガクになってそうだな。
ミルティアの一言から漸く回りの時間が動き出したのか、ざわざわとした喧騒が膨れ上がってくる。
「お、おい、本当にギルガルトさんなのか?」
「間違いない、俺遠くから見たことあるぞ」
「銀翼の隼のギルガルトさん……本物?」
俺とギルとの軽い挨拶の影響で皆遠巻きに見ているだけだったのが、徐々にその円を狭めてきた。
その様子にギルは満足そうに俺の肩を抱いてガハハと笑い声を上げる。
「俺らもすっかり有名になっちまったなぁ?」
「そこに俺を加えるな」
「おいおい、謙遜するなよ。あー、なんだっけ、しょんべんばっか?のクラウスさんよぉ」
「そんな二つ名付けられてたまるか」
銀翼の隼。
俺が引退前に所属していた冒険者パーティーだが、確かに銀翼の隼その物の知名度はかなり高くなったと思う。
一騎当千のバカ共が集まった常識外れのパーティー。
それぞれが皆飛び抜けた才能の持ち主で、それ故に個人としての知名度も高い。
ギルも、剛腕のギルガルトと呼ばれ、冒険者以外にですらその名を知られる程だ。
が、俺はそんな事はない。
パーティーの中じゃ俺が一番弱いし、他の面々の様に特筆すべき才能があるわけでもない。
銀翼の隼の一人、というだけで仰々しい二つ名付きで呼ばれる事もあったが、正直勘弁して欲しいとずっと思っていたもんだ。
実際謙遜でもなんでも無く、ミルティアには笑われちまったしなぁ。
そのミルティアが俺とギルとを交互に見直すと、ハッとした様子で慌ててカウンターの下から帳簿を取り出しものすごい勢いでページをめくり始めた。
「違う…これじゃない…もっと前……あった!クイーンバジリスク討伐依頼!受注者……銀翼の隼……メンバーは……」
ゆっくりと帳簿から顔を上げたミルティアが引きつった笑みを浮かべながらおずおずと口を開く。
「えっと……その……お名前を……伺っても……?」
「あー、うん、クラウス・ハーマンだ」
「ややや、やっぱり!? 千変万化のクラウス!……さん!」
「「「「「「「「「 え!? 」」」」」」」」」
この場に居るほぼ全員が申し合わせたかのように一斉に同じ声を上げた。
その驚き様は、ギルの正体に気づいた時以上の驚き様だ。
そんなに驚かなくてもいいじゃないか。
マリーは……自慢げに腰に手を当てて胸を張っている。
何故マリーが自慢げなんだ……?
「えっ…千変万化のクラウス……?本当に……?」
「全然気づかなかった……」
ほらな、ギルと俺とじゃこんな感じで差があるわけだよ。
ギルの時は憧憬の念が込められた視線を向けられていたものだが、俺に対してはどちらかというと困惑?かな。
名前ばっかり売れて本人の実力が追いついて無いんだから仕方ないわな。
「まるでただの街人じゃないか。あれくらいなら俺だって――」
「おいやめろ」
奥のテーブルに座っている少々血の気の多そうな奴がそんなことを口にし、おそらくは同じパーティーの仲間だろう、隣に座る男がそれを窘めようと口にした瞬間、窓もドアも空いていないはずの室内に、突風が吹き荒れた。
「おいおい、こいつは何の冗談だ?相手の力量も測れねぇような奴がシルバー級だと?ここの冒険者ってのは随分と質がわりぃんだなぁ?」
その突風が止んだ時には、ギルが軽口を言っていた男の首に掛けられたランクタグを掴んでいた。
「え?あっ?」
気づけば自分の懐に潜り込まれていた……に留まらず、自分のランクタグを服の下から引き出されていたのだ。
男はただ混乱するばかり。
「なっ?えっ?」
「おい、俺が殺す気なら、お前は今10回は死んだが、クラウスなら掠りもしなかっただろうな」
「ひっ」
ギルがランクタグを掴んだままグイと引っ張ると、呆気なく立たされる男。
その、人間など余裕で噛み殺せると思わせる鋭い牙をギラつかせながらそう告げると、男は真っ青になったまま硬直してしまった。
全く……相変わらずの喧嘩っ早さだけはどうにかして欲しい。
まぁ俺がバカにされたと思っての行動なんだろうが、あまり騒ぎにしてほしくないなぁ。
「ギルやめろって。俺は気にしちゃいないし、それにもう冒険者じゃないんだから」
「てめぇのそういう所は本当に気に食わねぇよ、クラウス」
「俺はお前のそういうところが気に食わないぞ、ギル」
「チッ、わーった、わーったよ。悪かった」
ランクタグを離すと同時に男の胸をトン、と軽く押し出すギル。
男はそのままストンと椅子に座ると、何も言わずにうつむいてしまう。
ギルドの中を沈黙が包む。
いかん、空気が重い。
それもこれもギルの奴が現れなければ……ん?
鼻息荒くノッシノシとこちらへ歩くギルへと視線を向けると、ギルはまだ何かあるのか?と言わんばかりに渋い顔をする。
大丈夫、そういう事じゃない……が、ギルだけ……なのか?
「そういえばギル、他の連中はどうしたんだ?」
銀翼の隼は俺を含め全部で5人だった。
俺が抜けた後は4人で行動していると思っていたのだが、残りの3人はどうしたんだろうか。
「あぁそれか。銀翼の隼は解散したから、俺だけだぞ」
「「「「「「「「「「「「 えぇぇぇぇぇぇ!?!?! 」」」」」」」」」」」」
俺も含め、ギル以外の全員の声が重なった奇跡の瞬間だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます