第58話 封印へ
死体、肉、黒、血――。混濁した色の腕が私の体をさらう。だけど即座に割って入った大剣に、巨大な肉塊は真っ二つにされた。
「遅くなってすまない、ロマーナ姫!」
「オルグ様!」
現れた筋骨隆々の男性は、未練がましく蠢いていた肉を床に叩きつける。あわや落下するかと思われた私だったけど、下に張られてあった蜘蛛の糸のような網にキャッチされた。
「アタクシもいるわよ、ロマーナちゃん!」
「リンドウさん……ありがとうございます!」
「お礼なんてあとあと! 先にこのヤバいのを何とかしなきゃ!」
頼もしい言葉と共に取り出されたのは、青白く光る鎖。ゾンビ達の体に埋め込まれていた命の石の欠片から作られた、封印の鎖である。
「それは……間に合ったんですね!」
「もちろんよ! これをあのバケモノ――ムンストンに巻きつければ、力を封じられるわ!」
「ええ。感謝します、オルグ公、リンドウ」
ヴィンが私を降ろしてくれながら言う。でもなぜかその横顔には、ムンストン封印への決意とは別のものが滲んでいるように見えた。
「ではいきますよ、ロマーナ様!」
「! うん!」
けれど、他のことを考えている余裕は無い。私はヴィンの号令に合わせて茶色の鍵を回すと、『引き合わせる力』を解放した。力を使って床に落ちた肉塊と封印の鎖をくっつけ、更にそれを本体のムンストンへと接着させる。
「ゴ……がァッ! ァアッ!!」
ムンストンの体に鎖が食い込み、潰れた膿から散った体液が私達を汚す。だがそれをものともせずにオルグ様が飛び出し、その怪力をもって鎖を肉塊の全身に巻き付け始めた。
「ガ……ガガガッ! グァァアッッ!」
苦痛に呻くムンストンは、鎖の隙間から腕や足や異様な大きさの指を生やしオルグ様を擦り潰そうとする。だけどヴィンとリンドウさんが黙って見ているはずがなかった。
「リンドウ、左は頼みましたよ!」
「アンタもヘボな真似するんじゃないわよ、ヴィン!」
素早く的確な動きが、オルグ様と私を害そうとする全てを落とし、燃やし、跳ね除けていく。その間にもオルグ様は走る。着実に封印を完成されていく。
私はというと、神経と魔力を集中させてムンストンの体から飛び散った肉を元の体に返していた。――これらは全て、先生自身のものなのである。国を滅ぼしたことも、人を殺したことも、私と出会ったことも。欠片だって失うことは許さない。飲み込み、取り込み、抱えてもらう。
きっとそれが、私が彼に求める決着と贖罪だったのだ。
「ふざ……ケルな!!」
膿と血を撒き散らし、ムンストンの理性の残骸が叫ぶ。
「まダ……まだ何も手に入レていナイ!! まだ、何モ……!」
「往生際が悪いわね! 人から散々奪っといて何バカ言ってんのよ!」
容赦なくリンドウさんが言い返す。背負った炎が、部屋と彼女の美しさを浮かび上がらせた。
「残りは地獄で反省なさい! 時間はたっぷりとあるんだから!」
「……!」
「さあ……これで最後の一巻きよ! オルグ様、お願いします!」
「おう!」
鎖の端に作られた杭を、オルグ様が渾身の力で肉の塊に突き刺す。青白く光っていた鎖が大きく脈動した。『脈動した』のだ。生きているかのようにドクドクとグロテスクに鼓動する鎖には、うっすらと赤みが差してきた。
息を呑む。その場にいた全員が動きを止め、目の前の光景に見入っていた。――封印が成功したなら、ルフさんが現れ地獄の門が開かれる。その瞬間を待ち望んでいた。
だけど。
「……変化が……止まった?」
唐突に、鎖は止まった。いや、よく見ればまだうっすらと動いているのだ。だけどさっきまでみたいな顕著な変化は無くなり、今にも止まりそうなほど弱々しいものに変わってしまっている。
オルグ様は固く拳を握った。リンドウさんはじっと睨みつけている。二人の顔には、焦燥が滲んでいた。
――もしかして、失敗したの?
「……やはり、足りませんでしたか」
ヴィンが確信めいた呟きを漏らす。エメラルドの瞳は、鎖を軋ませ引きちぎらんとするムンストンに静かに向けられていた。
「こうなる可能性は考慮していました。命の石の欠片“だけ”では、悪魔を封印するに足りないと」
「……ヴィン?」
「考えてみれば当然のことです。……結局の所、核が無いのでは」
ハッとする。――ムンストンを封印できない事実に気付いたのではない。ついさっき見たヴィンの張り詰めた横顔の理由に、ようやく私は思い至ったのだ。
ヴィンが目覚めてムンストンに向かっていく直前、私を振り返って微笑みかけてくれた時。苦しいのをごまかすかのような笑みを見た時。……同じだ。今の彼が纏う雰囲気は、それとまったく同じだったのである。
「……だめよ」
思わず口にしていた。言葉がこぼれていた。
「だめよ、ヴィン! 行っちゃだめ! きっと他に方法があるわ! みんなで考えれば……!」
「いいえ、ロマーナ様。もはや我々に手段を選べるほどの時間は残されていないのです」
膨張する肉に、鎖はミシミシと音を立てている。早急に何らかの手を打たなければ、引きちぎれてしまうだろう。
「――僕が核になります」
そしてヴィンは、私が最も恐れる一言を放った。
「命の石の核によって生きる僕であれば、鎖の一部としてムンストンを封じることができるでしょう。……たとえ奴と共に、地獄へ落ちたとしても」
その落ち着いた声を、私は震えながら聞いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます