第11話 公爵からのプロポーズ

 綴られていた文字に、手が震える。――ボスス・サンジュエル。それは確かに私の父の名で、父の筆跡だった。そして、このワッツ・ガラジューという人は……。

『私のひいひいお祖父さんにあたる方です』

 紙コップの向こうから、野太い声が聞こえる。

『かつ、百年前のノットリー国ガラジュー領当主でもあります。そんな彼とサンジュエル国王の繋がりは、彼が我が領土をお通りになった時のこと。突然の雨に崩れた崖から落ちるサンジュエル国王を、我が高祖父が命を張ってお助けしたのがきっかけです』

「まあ、ありがとうございます」

『これにいたく心を打たれたサンジュエル国王。なんとその場でこの書面を作成なさりました』

「何やってんの、お父様!」

『あ、もちろん高祖父は断ろうとしたそうなのですが! いかんせん、お相手は隣国の王。返事によっては国際問題に発展しかねず、強く出ることもできませなんだ』

「はい、ガラジュー公爵に何一つ非はありません……。本当にすいません、うちの父が……」

『謝ることはありませんよ! 王は後ほど、それはもうこってりとお妃様に絞られ尽くしたと聞きましたので!』

 でしょうね。お母様が黙って見ているはずがないもの。けれど、それだと尚更不思議だ。あの母ならば、その場の勢いで締結された紙切れなど、一瞬で粉々にしてしまうだろうに。

『……サンジュエル王妃は、ご寛大なお方でした』そんな私の疑問を察したのか、オルグ様は続けてくれた。

『それから数年かけて、我が高祖父とサンジュエル家は交流を重ね、そうして互いの人柄や家柄を理解した上で、この書状を正式なものとしたのです。いつか遠い未来、もしもガラジュー領の嫡男とサンジュエル国の姫が想い合う仲になるのならば。その時は、身分や国境を越えて結ばれることを許そうと』

「まあ……そうだったのですか。すいません、ガラジュー領とのご交流は把握しておりましたが、私何も知らなくて」

『無理からぬことです。当時のガラジュー領時期当主は、まだほんの五歳の少年。対するロマーナ姫は花も恥じらう十七歳だったのです。この約束事は、それこそ戯れに終わるはずでした』

 だけど、そうならなかった。だって私は、あの日を境に百年の眠りについてしまったのだから。

『高祖父は嘆き、怒りました。サンジュエル国が襲撃されたこともそうですが、公爵たる自分にノットリー国からの伝達が何も無かったことも。これを我が家に対する裏切りと取った高祖父は、すぐにサンジュエル国側につくことを決め兵を派遣しましたが……』

「……間に合わなかったんですね」

『……。高祖父は、手記の中で当時の違和感について綴っております。何故、サンジュエル家と懇意にしていた自分が“除け者”にされていたのか。反対されると見越したからだとしても、我が領はノットリーにあります。ロマーナ姫には申し訳ありませんが、ノットリーからの打診さえあれば最終的にサンジュエルとの繋がりを絶っていたでしょう。

 それだけではありません。ただでさえ無謀な国盗りは、国外に敵を作るゆえ慎重にならざるを得ないはず。だというのに、ノットリー王は国内で襲撃に反対するだろう者達への根回しすらせず、ありあわせの軍で戦争を強行したのです』

「……そうせざるを得ないほど、サンジュエル国を手に入れなければならない理由がノットリー国にあったのでしょうか」

『真相は分かりません。しかし少なくとも、我が高祖父はそういった印象を受けたと残しています』

 ――やはり、百年前の戦争はノットリー国内にいた人ですら首を傾げるようなものだったのだ。私の予想は間違っていなかった。

『こうして美しきサンジュエル国は、亡び。我がガラジュー家には、彼の国との親交を表すこの文書だけが残されました』

「ええ。父が勢い任せに書いた怪文書が……」

『そう無下に言わないでやってください。この書は、何度も私を救ってくださったのです』

 救われてきた? どういうことだろうか。

 見下ろしたオルグ様は、顔の左半分に走る大きな裂傷跡を撫でて引き攣った笑みを浮かべる。傷のせいで、うまく笑えないのだろう。

『この傷は、幼少の頃とある事故に巻き込まれてできたものです。加えて生まれつきの醜い容姿。身分はあれど、私の元へ嫁ぎたいという女性は皆無でした。それどころか、“ガラジュー領へ行けば怪物にとって食われる”、“子供の骨をしゃぶるのが一番好きだそうだ”などという、ケッタイな噂が出回る始末』

「そんな」

『無論、私とて嫌がる女性を権力を使って無理に結婚させたくもありません。……恥ずかしながら、結婚とは互いが慈しみ合い、手を取り合って日々を紡いでいくものだと考えていたからです』

 寂しそうな声だった。だけど、芯のある声でもあった。

『そんな私の心の支えだったのが、この文書でした。あのサンジュエル国の姫ならば、澄んだ水のごとく心が美しいに違いない。もしかすると私を怖がることなく、心を見て言葉を交わしてくれるかもしれない。……そのような勝手な夢を見て、私は貴方に会う日を心待ちにしていたのです』

「オルグ様……」

『そうしてお会いしたロマーナ姫は、大層美しく、また私を恐れることもありませんでした。私を一人の人間として会話し、扱ってくださった。やはりあなたは、私の思った通りの方です』

 オルグ様は片膝をついて、私に向かって頭を垂れる。

『……ロマーナ姫。私はこれまでずっと、高祖父の高潔さに恥じない生き方をしてきたつもりです。サンジュエル王並びに王妃が認めてくださった人としての在り方を、一分たりとて違えぬよう心に刻んで。

 ――だから、どうか考えてくださいませんか』

 顔が持ち上がる。真摯な瞳が、あまりにもまっすぐ私を射抜く。

『このオルグ・ガラジューを、ロマーナ姫の正式な婚約者として認めることを』

「……!」

 ドストレートな告白に、私の頭は真っ白になった。

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