第47話それでも(1)


 蝉の鳴き声も聞こえなくなって、肌を焼くような熱さも少し和らいで。理歩と行った祭りの日が少し遠のいた頃、二学期が始まった。色んな音が混じって聞こえてくる教室の手前で立ち止まって、深呼吸を数回。


 今日は、告白してから初めて理歩に会う日だった。


 普段は理歩の方が私よりも登校時間が早くて、つまり教室に入れば高確率で理歩に会うということになる。前髪を手で整えて、制服に変なところがないかを再確認する。スカートを手で数度撫でて、気合を入れなおして。


「おはよー」


 教室に入って挨拶をする。夏休み前よりも焼けている子、髪色が少し明るくなった子、変わらない子、視線を更に奥へと進めていくと、彼女と目が合った。


「お、おはよー」

「おはよう」


 言葉が少し詰まった。理歩の方もほんの少しだけ表情を硬くさせている気がする。理歩の一つ前の席はまだ空席で、絵里ちゃんは来ていない。リュックを机の横にかけて、理歩の後ろ姿を見つめる。どうにも形容し難い、わずかなしこりを抱えた空気は、教室の雑音ではごまかせそうにもない。少し伸びた髪を、手持無沙汰に指に絡める。


「……」


 久しぶり、と楽しげに響く声。元気だった、とか、彼氏ができた、とか、旅行に行ってきた、とか、そんなクラスメイトの声が聞こえてくる中で、不意に理歩が振り返って、思い切り目が合ってしまった。ずっと見つめていたのだと自分でもようやく自覚して、きっとそれが理歩にもばれてしまっているだろうことが、気恥ずかしかった。


「優」

「う、はい」


 うん、とはい、が混ざった。


「後でその、話があるんだけど」

「えぇっと……二人、の方がいい?」

「そう、だね」

「じゃぁ放課後一緒に帰るときとか、どうかな」

「大丈夫。 ありがとう」


 椅子の背もたれをぎゅっと握る理歩の手が、安心したかのように緩まって、硬くなった背中が丸みを帯びる。頑張って私に声をかけてくれたのだということと同時に、それだけ話したい事の内容に重い意味があるのだろうことを察して、心臓がざわつく。私と理歩の間にあるそんな重みをもつ話題は、私には一つしか浮かばない。


 あぁ本当に、なんであの時溢れてしまったんだろう。


 再び前を向いてしまった理歩の後ろ姿を見つめながら、静かに息を吐き出す。返事はいらないし、この関係から変わりたいとも思っていないことはあの時伝えたけれど、それがどれだけ困難なことか、時を経るにつれ実感する。


 目を合わせて会話をする、ただそれだけのことすら、こんなにも難しい。


「おはよー」

「わっ」

「え、ごめん」


 突然の背後からの声に心臓が跳ねる。朝から心臓を酷使しすぎている気がする。私を驚かせた絵里ちゃんは、私の反応にびっくりしたように目を丸めている。


「いや、私こそごめん、おはよ」

「何、考え事?」

「あーー、嫌、全然」


 今それを理歩に聞こえる音量でいうのは、できればご遠慮願いたい。絵里ちゃんの袖を引っ張って、人差し指を立てて口元に置く。怪訝な表情をしながらも、同じポーズを返してくれた絵里ちゃんに一つ頷く。

 袖を離すと、大げさに首を傾げた後に、絵里ちゃんは自分の席へと向かう。おはよ、という絵里ちゃんの声に、少し上ずった理歩の声が返る。私と似たリアクションを返す理歩を見て、絵里ちゃんは私へと視線をよこす。相変わらず、察しがいいというべきか。


 少しして、ポケットの中のスマホが振動する。通知の相手は予想通り絵里ちゃんからで、後で詳しく聞かせて、という内容に、しょぼくれた犬のスタンプを返した。

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