毒殺無用の異世界ソムリエ ~異世界転生先は王宮の毒見役を行う下級貴族の放蕩息子でした。毒を飲むことで強くなる<変毒為薬>スキルとワインの知識で、気付けば騎士に認定され王女に寵愛される~

虎戸リア

第1話:ソムリエ、異世界に転生す

 東京――某所。


 とある繁華街の片隅にある雑居ビルの二階に、その小さなワインバー――<黒猫シャノワール>はあった。


 そのオーナー兼ソムリエバーテンダーである御堂みどう桐也きりやは、いつものように閉店後に店の奥にあるワインセラーに籠もっていた。


「ふむ。明日は山田さん夫妻がいらっしゃるから……どれを出そうかな。安易なフランスワインなんて出したら怒られるしな。オレゴン辺りでもいくか? いやニューワールドという手もあるか」


 悩みながら、自分のコレクションをうっとりした目で桐也が眺める。


 ワインは素晴らしい。ワインこそ世界一の飲料である。

 それが彼の持論であり、その人生を全てワインに捧げてきたと言っても過言ではない。


 だからこそソムリエの資格を取って小さいながらも店を持ち、二十年が経った。

 日々、ワインとワイン好きの客に囲まれた生活は幸せだった。


「よし、これにしよう」


 悩んだ末に桐也がとあるワインへと手を伸ばした。


「――白ワインの里、チンクエテッレの<ヴェレーノ>だ」


 そのチョイスに、桐也は満足していた。


 ヴェレーノとは、イタリア語でという意味を持つ単語だ。その皮肉なネーミングを気に入って買ったのを思い出したのだ。


 毒とソムリエの間には、切っても切れない関係性があることを知っている者は少ない。


「元々、ソムリエとは王侯貴族に使える毒見役だったからな」


 何より、真に美味いワインには――人を狂わせる魔力を持つ。


「それこそまさに……毒だろうさ」


 明日の試飲が楽しみだ。桐也は早くも浮かれながらそのワインを慎重にワインセラーの上部から取り出すと、下部の温度の低い方へと移した。


「よし、あとは数本見繕って……って?」


 その時――微かな振動が足から伝わってくる。


 桐也が嫌な予感をした、その直後。立っていられないほどの揺れがワインセラーを襲った。


「マ、マズイ、逃げな――」


 その大きな揺れはいとも簡単にワインセラーを倒壊させ――結果として、御堂桐也はワインが満載の棚の下敷きとなったのだった。


 享年四十六歳であった。


 だが――彼の本当の物語はここから始まる。



***




 目が覚めた時、俺はそれが夢だと思った。


「キリヤ……早く起きなさい! 今日は何の日だと思っているの!?」


 俺は叩き起こしたのは、栗毛の女性だった。どう見ても初対面であり、そもそも日本人でもなさそうなのだが――なぜか俺は、それが自分の母親のセラであると分かってしまった。


 母が手を振るとカーテンがひとりでに開き、陽光が部屋へと差し込む。窓の向こうには、いつかドイツで見たような立派なお城が建っていた。


「あれ、俺……ワインセラーで地震に。でも……今日は成人の儀で……」


 二つの記憶が俺の中で混じり合っていく。


 俺は御堂桐也のはずだ。なのに、それと同時に俺はキリヤ・サンタディという下級貴族の息子であるという記憶がある。


 どういうことだ。ここはどこだ――そんな俺の問いに、キリヤが答える。


 馬鹿を言うな。ここはくそったれな実家で、一秒でも早く出て行きたい場所だろ?


 俺の記憶の中に、キリヤの感情が流れ込む。


 ああ、そうだ。

 キリヤはこの家が、貴族という肩書きが嫌で嫌で仕方なかった。だから親には反抗し、勝手に下町に出ては平民達と共に、酒に女と遊びほうけていた。いわゆる放蕩息子ってやつだな。


 この国では十六歳になると、必ず成人の儀を受け、生まれ持ったスキルと職業適性を見てもらうことが習わしだった。それにより、当面の仕事が決まるという。大体は望み通りの職に就けるが、騎士のような人気の仕事は倍率が高く、戦闘用のスキルや適性がないと試験があるそうだ。


 だが、キリヤのように素行の悪い奴には、ろくな職業は回ってこない。それを知った俺はその成人の儀の前日……つまり昨日、まるでそんなものは知らんとばかりにいつも以上に飲んで泥酔した。


 そうして鬱憤晴らしとばかりに見知らぬ男と喧嘩になった結果――


「ああ……嘘だ。俺は死んだはずなのに……なんで」


 思わず胸に手を当てるが、そこに傷はない。でも確かに、大ぶりのナイフが胸に突き立った、あの冷たい感覚を覚えている。


 どういうことだ。俺は確かに死んだはずだ。

 なのに、生きている。そして日本人だったという記憶がある。


 それはつまり……記憶を保ったまま転生したということなのか? このファンタジーっぽい異世界に?


「死んだ? 馬鹿を言うのもいい加減にしなさい! 昨日も遅くまで飲み歩いて! さっさと着替えてヴェロナ神殿へ行ってきなさい! どんなお仕事でもいいから、もらってくるのよ!」


 母親が眉を釣り上げて俺を睨む。


「あ、ああ。そうするよ……母さん」


 赤の他人であるはずなのに、母親であることが分かるという不思議な感覚のまま、俺は素直にそう答えた。


「……っ!? キリヤ、貴方どうしたの? 何か変なもの食べた?」


 俺の言葉を聞いて、あれほど怒っていた母がポカンと口を開けていた。


「へ? 何が?」

「……いえ、なんでもないわ。ほら、着替え置いとくから」


 母はそれだけを言うと、何やら服を壁に掛けて足早に去っていった。


「……なんだよ」


 俺はわけが分からないまま、その服へと着替えていく。ゴワゴワとした肌触りに顔を思わずしかめてしまう。この世界の文明レベルは不明だが、少なくとも衣料に関してはイマイチなのは分かった。


 姿見に、俺の姿が映る。


 映画か絵画でしか見たことないような貴族っぽい服を纏った、白銀の髪を持つ少年がそこにいた。背はそれなりにあり、筋肉は程よくついている。が、全体的にやはり細身であり、前世の頃とあまり体型は変わらない。


 顔は全く似ておらず、かなりイケメンに見える。しかし、どこかガキっぽさが残っているのは、歳のせいかそれともキリヤの幼稚な内面が出ているせいか。


「見た目はともかく、中身はどうも俺のままな気がするな……」


 自分の姿を見ているうちに、だんだんと脳内の記憶が統合されていき、何となくだが、キリヤではなく桐也であった時の方がしっくりときはじめた。


 というか、キリヤがろくでもない奴過ぎて、俺が拒否してしまっている感が大きい。


 早くに父を亡くし、没落貴族であるという肩書きだけで他の貴族に馬鹿にされ、かといって平民とも馴染めず、孤独な幼少時代を過ごした結果――まあ分かりやすい方向にグレてしまったようだ。


 その時の記憶があるだけに同情的になってしまうが、それにしてもあまりに素行不良だ。辛うじて犯罪は起こしていないものの、詐欺まがいなことを行ったり、日常的に喧嘩を売って回ったりだの、どうしようもない奴だ。


 学業にも全く手を付けておらず、この国や世界については最低限の知識しかない。


「やれやれ……ワインがあることがせめてもの救いか」


 そう。この世界にもワインはあった。本来、成人の儀を行うまで飲酒は王令で禁止されているのだが、キリヤは気にせずに飲んでいたらしい。だが、その味についてはどうにも記憶があやふやだ。というより酔えたらなんでもいいという気持ちで飲んでいたせいか、味なんて覚えていないだろう。


「異世界のワイン……楽しみだな」


 俺は人に見せられないような恍惚な表情を浮かべると、さっさと成人の儀を終わらせるべく、それが行われるヴェロナ神殿へと向かった。

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