#4 私の居場所
「本当の私はどこにいるんだろう。」
頬の上で乾ききった涙が、月明かりに照らされてその姿を現した時、私は長めの睡眠から目を覚ました。夜行性の私にとっては、丁度良い時間に起床した。外では梟が不定期に時を刻んでいる。
本当の私はどこにいるのか。意識が戻る直前、そんな事を考えていた気がする。そんな事は考える余地などない。私はここにいる。
きっと、この1ヶ月の劇的な生活環境の変化で、心身が疲弊してしまっているのだろう。現に、窓の外の桜が散るまでの間に、私の人生には予定されていなかった出来事が沢山起きた。そのどれもが充実したものであり、同じ24時間を過ごしていたとは思えない程の速度で通り抜けていった。あの春の傲慢な風が、意気揚々と吹き抜けたくなる気持ちを少しだけ理解出来た気がする。
いつもの椅子に座り、窓を開ける。窓辺で頬杖を付き、そっと月を見上げる。雲一つ無い紺色の空に月が座っている。月のため息なのだろうか、生暖かい夜風が私の髪をなびかせた。どうやら自分の居場所が分からないのは月のようだった。
そんな事を考えていると、朝、私が自己中心的に眠りに就く間際、奇妙な連絡が来ていた事を思い出した。ベッドに横たわっている携帯電話に手を伸ばす。延ばされた右手は、生憎携帯には届かなかった。一度右手を戻し、体勢を整えて再度手を伸ばす。立ち上がってしまえばそれまでなのだが、どうもその気になれない。再び伸ばされた右手は、全ての関節を限界まで引き伸ばしてようやく人差し指と中指で携帯を捕らえた。
携帯を入手して、すぐさまロックを解除する。案の定、メッセージが数件届いているようだ。おそらく、いくつかは無差別配信を繰り替えす広告で、残りは詩織からだろう。メッセージアプリを開いて、いつもの要領で無差別既読を付けていく。特段理由はないが、通知件数が画面上に表示されているのは好まない。作業が完了してから詩織のメッセージを開く。
「ごめん! ちょっと遅くなる!!」
「今日は遊ぶ約束してないよ?」
「何言ってるの??(笑) 今、電車乗ったから、あと15分くらいで着く!!」
ここまでの会話は記憶している。と言っても、やはり、詩織のメッセージには違和感があった。過去のメッセージを遡ってみても、今日、遊ぶ約束なんてしていない。それなのに詩織は、私宛に何通ものメッセージを送ってきている。詩織の事だ、送信相手を間違えている事に気が付いていないのか?そんなことを考えながら次のメッセージを見た時、私の身体の中を流れる時間が止まってしまった。
音声通話 [通話時間 2:47]
それは、私と詩織の音声通話の終了通知だった。普通、着信があった際、電話の受け取り手が出られない場合、通話がキャンセルされた旨が表示されるはずだ。それにも関わらず、私の携帯は詩織との音声通話時間を表示していた。詩織が電話してきた時に、私の指が触れてしまった可能性も考えたが、手帳型のケースを使用しているため、どうにも考えられない。
私は、固まってしまった脳をどうにか動かして、事態を把握しようと試みていた。先程までの夜風もいつの間にか止み、月に至っては私の焦った顔を見たからなのか雲の影に隠れてしまっている。私の部屋は一気に暗黒の世界に豹変していた。
とりあえず、状況を整理するためにも、私はその後のメッセージを読み進めた。
音声通話 [通話時間 2:47]
「もう電車降りたから、そっち向かってるよ♪」
「お昼何食べたいか考えておいてねっ☆」
黒い天井に自分の頭を投影しながら、一つ一つ読んでいくが手掛かりになるものは何もない。分かる事は、このメッセージは明らかに詩織が送ってきているという事、そして、通話もしながら私と会おうとしている事、この二つくらいだ。だが、私が状況を整理できるのはここまでだった。次のメッセージは、このメッセージの約3時間後に受信しているのだが、そのメッセージが私の目に映し出された時、私はこの世界から完全に隔離され、この世界の異物と化した。
「とりあえず、送っておくね(*^-^*)」
このメッセージの後に、数枚の画像が送付されている。どの画像にも、楽しそうな詩織の笑顔が写っている。詩織の隣には楽しそうに笑う人物がもう一人写っている。
「ワタ…シ…」
一拍ずつ、心臓の鼓動が強くなっていくのを感じる。手が震える。
カーテンが一瞬ふわっと持ち上がり、空気の塊がこちらに向かってくる。その空気の塊は私の胸に当たり、私の上半身に纏わり付きながら私の背後に通り抜けていく。その肌触りは、空気と呼ぶには粘着質過ぎる塊で、私の背後に抜けて行ってからも糸を引くように絡みついてくる。とても異質な空気の様に感じた。
異質な風に退けられた髪が、ゆっくりと私の肩に戻る。気を取り直して、写し出されたワタシを見る。
ワタシは、詩織と肩を組んだり手を繋いだりと、とても楽しそうに写っている。今まで見せたことのない笑顔を露わにし、詩織との時間を楽しんでいるかのようだ。
しかし、どの写真を見てもワタシの眼はどこか冷たく、カメラのレンズのこちら側、写真を見ている私を嘲笑うかのようにも見えた。
ようやく、私の中の止まっていた時間が動き出し脳が活動を再開すると、謎の私の正体に不安と恐怖を覚えつつ、詩織の安否が気になったので、電話を掛けることにした。震える手をどうにか操りながら詩織に電話を掛けるが、何度かけても詩織は出てくれない。電話に気付いてくれないと悟った私は、メッセージを残しておく事にした。
「詩織!?!?大丈夫!?!?」
「このメッセージ読んだらすぐに連絡して!!!」
「絶対だよ!!!」
焦る気持ちを最小限の言葉にまとめて送信した後、私は外に出る準備を始める。待ち合わせは駅前でしていたので、行動範囲はある程度限られていると予想した。
気が付くと外は雨が降っている。しかし、そんな事気にしている場合ではない。靴を履き、玄関の扉に手を掛けた時、携帯がメッセージの受信を知らせた。
「どうしたの、そんなに焦って(笑)」
「ちょっとトイレ行ってただけじゃん」
「私が戻ったら、今度はボウリングでも行こーっ(^^)/」
このメッセージを受け取った時、今なら電話が繋がるかもしれないと思った私は、すぐに電話を掛けた。
…繋がらない。
今度は、携帯番号に直接かけた。すると、思いもよらない人が出た。
「お掛けになった電話番号は、現在使われておりません。ご確認の上、…」
涙が頬を伝う。
ゆっくりと耳に当てていた携帯を下ろす。
するともう一度、メッセージを受信する。
「カラオケの写真も送っておくね☆」
詩織が送ってきた画像には詩織とワタシが写っている。先ほどと同じように。ただ、私が写っている右半分が真っ赤に染まっていた。その写真を見て、私は悲鳴を上げた。
その時、全身の筋肉にほぼ同時に電流が走るのを感じた。
私は、携帯を握りしめながらベッドの上で眼を覚ました。
Tシャツは汗で濡れ、呼吸が荒くなっている。どうやら夢を見ていたようだ。
既に日は昇り、小鳥達が楽しそうに囀りを繰り返している。
私はベッドから起き上がり、呼吸を整えてからコーヒーを入れる。いつもの香りだ。朝日に眼を細めながら一口飲んで、いつもの自分がいる事を再認識する。
あの夢がどんな事を伝えたかったのかは分からないが、あのノートを見て以来、本当の自分は何者なのか、自分の居場所はどこなのか、という事を考えるようになったのは言うまでもない。きっとあのノートの彼女もこんな気持ちだったのかもしれない。
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