第7話 岸辺百合香

 次の日の朝ごはんは、チョコ味のシリアルだった。

 始めて食べる味だけど、さくさくしていておいしい。

 最後に残った甘い牛乳もおいしかった。


「今日はバイトだから出かけるけど、お昼は冷蔵庫に入ってるから」

「うん」


 ほしゆきさんは朝から私のためにお昼ごはんを用意してくれていた。

 嬉しいなあって、素直に思った。

 昔ママがご飯を作ってくれていた時は、そんなこと考えもしなかったのに。

 あの頃、もっとありがとうって言っておけばよかった。

 そうすれば、こんなことにはならなかったのかな。


「そうだ、昼間もし暇だったら……」


 ほしゆきさんは押入れを開けて、ダンボール箱を一つ取り出した。

 開けてみると、漫画がぎっしり入っている。


「すごい、漫画がいっぱい」

「そういえば百合香ちゃん、漫画は読むんだっけ?」

「うん。好き」

「そっか。合うかどうか分からないけど、よかったら読んで」

「はーい」


 さっそく端っこから漫画を取り出すと、ホコリのにおいに混じって、少し甘い匂いがした。

 お香かな? ちょっと煙っぽい感じがする。

 パラパラとページを捲ると、主人公のおじさんがひたすらご飯を食べていた。

 しぶい漫画だ。


「それじゃ行ってきます。トラが来たら、そこの袋のやつをお皿に出してあげて」

「はーい」

「あと、お水も一緒にね」

「わかった。いってらっしゃい」


 ほしゆきさんを見送ってから、私は漫画の続きを読むことにした。

 全体的に古い感じの絵で、可愛い女の子は出てこないけど、ふしぎと面白い。


 一冊読み終わると、けっこう目が疲れていた。

 細かい文字が多かったせいかもしれない。

 ぽちりとテレビをつけて、ソファに寝転ぶ。

 今日はどこかの遺跡についてやっているみたいだった。

 動物が出てこないので、あまり面白くない。


 二冊目の漫画を読み始めた所で、玄関のドアがガチャガチャと鳴った。

 なんとなく忍び足で台所に行き、背伸びをして覗き穴から外を見てみる。

 猫耳の頭が見えた。


「あ、トラだ」

「うむ、いかにも」


 ドアを少し開けると、するっと入ってくる。

 さすが、猫みたいな動きだ。


「ヒロノはおらんのか。飯はないのか?」

「あるけど……」


 私は棚の上に置いてあった袋を取って、ちらりとトラを見る。


「これ、食べるの?」

「む、カリカリのやつか。わし缶詰のほうが好きなんじゃが」

「どっちも猫の餌なんだけど」

「そうじゃな」

「食べるの?」

「食べるよ」

「まじでー?」

「なんじゃもう、おあずけするでない」


 トラがそわそわと尻尾を揺らしながら私の服を掴んできたので、私は仕方なく袋の中身をざらっとお皿に出した。

 やっぱりキャットフードだ。骨とかお魚の形をした、カリカリのやつ。

 トラはそれをひょいとつまむと、口の中に放り込む。


「うわ、本当に食べてる」

「そんな奇異するな。わし猫じゃぞ」


 ボリボリと、いい音が聞こえてくる。

 音だけ聞いているとお菓子を食べているみたいだ。


「座敷わらしじゃないの?」

「猫の座敷わらしじゃ」

「ていうかそもそも座敷わらしって、ご飯食べるの? 妖怪でしょ?」

「別に食わんでも死なぬが、食った方がいい」

「なんで?」

「楽しいから」

「なにそれ」

「水もくれ。喉が渇いていかん」

「はいはい」


 コップに水を注いで渡すと、トラはぐいっと一気飲みした。

 ……これ、他の人にはどういう風に見えてるんだろう。


「いつもはお椀に水を入れて出すらしいんだけど」

「うむ」

「どうやって飲んでるの?」

「どうって、普通に飲むが?」

「普通にって?」

「こう、ぐいっと」


 トラは手でお椀を持って飲むような仕草をしてみせる。


「手、使っていいの?」

「手を使わにゃ飲み食いできんじゃろがい」

「そんな猫いないよ」

「普通の人間には、それぞれの常識に合わせて猫がやるように見えとる」

「へー、べんり」

「認識なぞ所詮不確かなものに過ぎぬということじゃ」

「後で一緒に遊ばない?」

「話題が急カーブするのう、おぬし」


 それから私も、少し早いけどお昼ごはんをトラと一緒に食べた。

 お肉がたくさんでおいしかった。

 トラが「肉と野菜は一緒に食った方がうまい」と言ってきたのでそうすると、本当においしかった。


 ペロペロと手を舐めるトラを洗面所に連れて行って、手を洗わせてから、二人で居間に移動する。

 なんだか妹ができたみたいで、ちょっと楽しい。


「遊ぶったって、この何もない部屋でどうするんじゃ」

「うーん……どうしよう」


 外に出られないから、家の中でできることを探すしかない。

 ほしゆきさんに買ってもらったノートがあるからお絵かきをしてもいいけど、すぐに使い切ってしまいそうで申し訳ない気がする。


「仕方ない、どれ、少し知恵を出すか」


 私が悩んでいるとトラはそう言って台所に行き、つまようじを持って戻ってきた。


「勝手に使ったら怒られるよ」

「ちょっとくらい構わんじゃろ。ヒロノはそんなケチな男じゃないわい」

「むぅ」

「なんじゃ?」

「べつに……ほしゆきさんのことよく知ってるんだね」

「妬くな妬くな。別に取ったりせんわ」

「はー? やいてませんけどー」


 そんなことを話しているうちに、トラはつまようじをテーブルの上に並べて、魚みたいな図形を作っていた。


「ほれ、つまようじを四本だけ動かして、この魚を逆向きにしてみい」

「えー?」


 じっと図形を見て、実際につまようじを動かしながら考える。

 最初はそんなの無理だと思ったけど、気がつけば簡単だった。


「できたー」

「ちと簡単過ぎたか。次は……」


 私が問題を解くと、トラは次々に新しい問題を出してくる。

 簡単なものから、そんなのずるいというものまで、たくさん。

 いつの間にか私は夢中になって遊んでいて、時間はあっという間に過ぎていった。


「難しすぎるよー」

「そう言われてもな。ユリカは地頭が良いから、簡単なものはすぐ解いてしまって、面白くないじゃろ」

「そんなことない。簡単な方がいい」

「ま、今日はこのくらいじゃの」

「えー、もう終わり?」

「もうって、結構な時間やっとったぞ」

「じゃあ最後に頭なでさせて」

「なんじゃ急に」

「忘れてたの。今日トラが来たらなでようと思ってた」

「まあ、別にいいが」


 ほれ、と昨日みたいにトラが頭を差し出してくる。

 その頭に手を乗せると、ふわっと温かい。

 窓から入る光が当たっていたからかもしれない。

 こうして撫でていると、やっぱり猫なのかなあと思う。

 心が落ち着いて、優しい気持ちになる。


「よしよし」


 撫でられている間、トラはじっと大人しくなる。

 その間に小さい体をギュッてしたり、背中を撫でてあげたりしていると、なんだか少しお姉さんになったみたい。

 妹がいたら、こんな感じなのかな。


 トラを撫でているうちにぽかぽかと温かい気持ちに包まれていって、私はいつしか眠りに落ちていた。

 目が覚めた時には日が傾いていて、トラはもういなかったけど、テーブルの上にはつまようじが、「また明日」と並んでいた。

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