寝起きの夫にツノがある
28号(八巻にのは)
寝起きの夫にツノがある
「
夫婦そろった所を見られると、もれなく羨ましがられる順調な結婚生活を、私と夫は送っている。
私達は幼なじみで、親友で、仕事仲間で、朝起きてから寝るまでほぼずっと一緒にいる生活を送っている。
でも飽きることはなくて、私は夫の顔を見る度「好きだなぁ」としみじみ思う。
子供はいないけれど、二人でいれば私達の生活は完璧だったし、この気持ちが変わるとも思っていなかった。
それが普通でないと言うことは、友人たちがこぼす家族への愚痴を聞く度うっすらわかっていたけれど、別にそこに何か理由があるとは思っていなかった。
でも最近、もしかしたら普通でないのは夫のせいなのかもしれないと、思う瞬間がある。
「
「伸ばしてるんだよ、ひげが似合う男が好きだって環奈この前言ってただろ?」
そう言って、夫の『
朝起きて、二人で一緒に顔を洗うのは私達の日課だ。
でもその日課に、不思議な変化が訪れたのは一ヶ月ほど前のことだ。
「どう、似合ってる? 俺渋い?」
「うん、格好いい」
私が褒めるとデレデレする秋くん。
彼はとてもイケメンで格好いいけれど、私が格好いいなと思ってしまうのは顔立ちやひげのせいだけではない。
私が見ているのは、寝癖でうねる髪の中からにょきっと伸びる二本の角だ。
秋くんは家では和装なので、その姿は完全に鬼である。
いやたぶん、鬼なのだ。
角が見えるのは寝起きの時だけだけれど、多分私の夫は人間ではないのである。
【寝起きの夫にツノがある】
歯を磨き、私の為にと朝食を作る秋くんには、やっぱり角が生えている。
最初は洗顔の時だけだったけれど、角が見える時間は少しずつ増えていいて、最近は朝食を食べているときも生えている。
「今日は、環奈が食べたいって言ってたフレンチトーストにした!」
そう言って出てきたのは、カフェのものにも勝る豪華なフレンチトーストである。
料理が得意な秋くんは、どんなものでも簡単に作ってしまうのだ。
そしてそのレパートリーはほぼ全て、私の好きなものだ。
秋くんは、とにかく私に甘い。
私が食べたいといったものは何でも作ってくれるし、それが市販品であればどんなに遠くのものでも買ってきてくれる。
ある時なんて、テレビに映ったフランスのマカロンを「食べてみたいな」といった翌日、食べに行こうと航空券を渡されたこともある。
そんな有様なのでなるべく物はねだらないようにしているが、何も言わないとそれはそれで「最近我が儘を言ってくれない」と拗ねるので、毎日のご飯は思うがまま食べたいものをおねだりすることにしている。
もちろん、家で作れる範囲のものだが。
「相変わらず、秋くんのご飯は美味しいし綺麗だしすごいね」
「そう言われる為に頑張ってる」
だからもっと褒めてと前屈みになってくるので、私はそっと頭を撫でる。
その際指先に触れた角は、硬くて冷たかった。
「環奈によしよしされるの、好きだ」
「結婚九年目の夫の台詞とは思えないよそれ」
「俺は死ぬまで言い続けるぞ。よしよしもされたいし」
顔も良くて、家事も仕事も出来る良い男だが、私の前では若干残念なのが玉に瑕だ。
私を甘やかすのが好きな秋くんは、私に甘えるのも大好きなのだ。
家の外では落ち着いた大人の男という雰囲気なの、私と二人きりになると飼い主にお腹を見せる柴犬状態である。
そこが可愛いと思ったからこそ結婚したのだが、もし彼が本当に人間でないのだとしたらちょっと心配だ。
角が生えているということは、十中八九彼は鬼だろう。
でも目の前にいる秋くんは角が生えていても柴犬である。それも「お腹撫でて」と四六時中身悶えている野性を忘れた柴犬だ。そんな有様で、鬼として生きていけるのかとつい心配になってしまう。
「環奈、よしよしのついでにキスもしないか」
「まずご飯食べようよ」
「じゃあご飯の後で」
「あ、その前にネームの確認してくれない? 秋くんのシナリオから、ちょっと代えちゃったとこあるから」
キスしたら仕事どころじゃなくなるからと思い、私は言った。
途端に秋くんは、この世の終わりを見たような顔をする。
「そんな顔しても駄目だよ? 私は今日お休みだけど、秋くんお仕事いっぱい溜まってるでしょ?」
見た目は鬼だが、秋くんはこう見えて、『乙女心の代弁者』とまで呼ばれる恋愛小説家さんなのだ。
ちなみに私の方は、少女漫画家である。
元々秋くんは私の描く漫画の原作者だったが、それをアニメ化する際にシナリオを書いたところ大好評で、以来恋愛映画のシナリオや小説も書くようになったのだ。
お陰で押しも押されぬ人気作家であるが、当人は「環奈の原作しかやりたくない」と贅沢な我が儘を言っては、できるだけ仕事を減らそうと日々画策している。
減った仕事の合間にやりたいのはもちろん私とイチャイチャすることで、いい年なんだからもうちょっと落ち着けよと思うことも結構ある。
――そう、秋くんは鬼であると同時に、たぶん……いやかなりいい年なのだ。
でも、私達は幼なじみである。
幼稚園から、小中高大学までずぅーと一緒だった。
しかし角が見え始めた頃に気づいたのだが、秋くんの容姿はどう考えても29歳には見えない。明らかに40そこそこなのである。
「……環奈とキスしたい」
そんな男が、十代の男でもそうそうしない甘え方をしてくるのである。
正直そこが可愛いとは思うが、外見のギャップはあまりに激しい。
「可愛い声だしてるけど、秋くんいくつなの?」
「29歳」
うん、明らかな年齢詐称だ。外見年齢も、精神年齢も全然あってない。
「秋くんってさ、中身10歳くらいだよね」
「正直、10歳になりたい。そうしたら仕事もしなくて良いし、ずっと環奈にくっついていられるし」
「10歳児とは結婚出来ないよ」
「……そ、それはそれで困るな。これはもう、絶対外したくないし……」
結婚指輪をじっと見つめる秋くんは、本気で困った顔をしている。
それがあまりに可愛かったから、私は立ち上がって彼にそっとキスをした。
「あとでもっといっぱいしてあげるから、今日はちゃんとお仕事してね」
「……ぁ、ぁぃ」
初心な乙女かと突っ込みたくなる真っ赤な顔で、秋くんは言った。
その頭からは角が消えていたが、やっぱりどう見ても目の前にいるのは40そこそこのおっさんである。
別に40歳でも良いけど、むしろ渋くてかっこよくて好きだけど、さすがにこのままスルーし続けるのには無理があるなと最近思うようになってきた。
何より、こんなおかしな状況を今の今まで全く疑問に思っていなかったのがおかしい。
確かに私は人より鈍いと言われるし、ぼんやりしているし、普通の人がすぐ気づくようなことに気づかずスルーすることも多い。
とはいえ夫が鬼であるならそれに気づくと思うのだ。
でも角が見えるまで、私は彼が人間でない可能性に全く気づいていなかった。
その上明らかに同い年ではないのに、彼とは幼稚園からずっと一緒にいたという記憶もある。
けれどよくよく思い出そうとすると、私は秋くんの若いときの顔が浮かばない。
もしかしたら私は、世に言う『化かされている』という状況なのかもしれない。鬼と言えば妖怪の代表格であるし、それくらいの力があってもおかしくない。
しかし何故、秋くんが私を化かしているのかはわからない。その目的も、察しがつかない。
彼が本物の鬼であるなら私を騙して食べる為――なんて可能性もあるが、もし食べるなら普通もっとピチピチな時に食べるだろう。
私は29で、仕事柄徹夜も多いし出不精で不健康なので、食べて美味しい要素はたぶんない。
もしくは私に特別な力があって、それを狙う悪い妖怪からこっそり守ってくれている――なんて夢女子的なことも考えたが、やっぱり自分の年齢を考えるとそれもない気がする。
その手の漫画チックな展開があるなら、普通十八歳くらいの時にもっとなにか起きていても不思議ではない。
でも私達の青春はアニメとコミケに費やされたし、妖怪が絡んだラブバトル的なことは皆無だった。
となれば、一体何故こんな状況になっているのか。
そんな疑問は日々膨れ上がり、さすがに無視するのも辛くなってきた。
だから私は、ついに覚悟を決めた。
秋くんが本当は何歳かなのか、今日こそは絶対に調べてやるのだ。
■■■ ■■■
キスで釣られた秋くんが猛烈に仕事をしている隙に、私が向かったのは寝室である。
寝室の棚には、想い出のアルバムが隠されることなく棚に並んでいる。
それを取り出し眺めては「あんなことがあったねぇ」「こんなことがあったねぇ」と二人で思い出話に花を咲かせることも多い。
しかし明らかに年齢も違うし、そもそも秋くんは人間ではなさそうだ。
だとしたら、もしかしてこのアルバムは偽物なのかも知れないと思い、一人の時にこっそり確認しようと思ったのである。
まず最初に、私は高校のアルバムを開け――
「……いま、おかしなものが見えたな」
そして、静かに閉じた。
思わず心の声を口に出したのは、自分を落ち着かせる為である。
それからもう一度、クラスの集合写真を見た私はその場に突っ伏した。
「秋くん……見た目変わってないぞ……」
集合写真でも、個別の写真でも、秋くんは40歳のおじさんのままだった。
おじさんが学ランを着ていた。
正直、予想外の展開すぎて私は混乱していた。
そもそも、このアルバム自体が偽物であるのではと私は疑っていたのだ。
それかアルバムは本物だが、実は
「でも、秋くんいるな……」
もの凄くおかしな絵面にはなっているが、秋くんはいた。
そして写真を見た限り、私達の間にある思い出の出来事は、確かに存在しているらしい。
修学旅行で一緒に京都に行った時の写真も、運動会の二人三脚で見事にコケたときの写真も、合唱コンクールで優勝してみんなで抱き合って泣いた写真も、親友のマサルが転校してきた初日にクラスのみんなでカラオケに行った時の写真も、アルバムにはちゃんと残っている。
ただし、秋くんの顔はおじさんだった。
今と全く変わっていなかった。
それから私は、中学校のアルバムを取り出した。
みると、やっぱり秋くんはいた。おじさんだった。
続いて小学校のアルバムを取り出してみると、やっぱり秋くんはいた。
やはりおじさんで、ランドセルが全く似合っていなかった。
最後に恐る恐る幼稚園のアルバムを開いてみた。
スモックを着たおじさんが、そこには写っていた。
「どうしよう、謎が深まった」
嘘としか思えない写真ばかりが並んでいるが、何となくこのアルバムは本物だという気がしてくる。
偽造されたものではなく、それぞれの幼稚園や学校が普通に撮影し、編集し、生徒に配ったアルバムに違いない。
と言うことは、秋くんはやっぱりずっと私の側にいたのだ。
幼なじみであることは嘘ではなく、幼稚園から今の今まで私達は側にいたのだろう。
そしてその時からずっと、秋くんは年を取っていない。
それか歳はとっていても、老けないのかも知れない。なにせ鬼だから。
「いいなぁ」
思わず羨ましく思っていると、ふいに部屋の扉がガラッと開いた。
「仕事終わった!!」
言うなり入ってきたのは、もちろん秋くんである。
「ちょっと早すぎない?」
「ご褒美の為なら、俺は頑張れる男だ」
だとしたら、スモックを着て幼稚園に通っていたのも何かのご褒美があったからなのだろうか。
「ねえ秋くん、突然だけど幼稚園のこと覚えてる?」
「まあ、ほどほどには」
と言いつつ、黒歴史でも思い出したような表情を秋くんは浮かべた。
「私とは、そこで出会ったんだっけ」
「いや、その前からお前とは遊んでいた気がする」
「ああそっか、家がお隣だったしね」
「思えばあの頃から、環奈は可愛かったな」
しみじみという秋くんの顔に、嘘をついている気配はなかった。
「だから、お前が幼稚園に行くと言い出した時はすっごく寂しかったんだよな」
「……ねえ、それで同じ幼稚園来たとかそういうオチはないよね?」
「いや、その通りだ。婆やに土下座して、俺も幼稚園に行きたいとねだった」
婆やとは、両親のいない秋くんを育てた『ミツ婆ちゃん』のことだ。
顔がもの凄く怖いせいで『鬼婆』と近所の子供には恐れられていたが、私のことは今なお可愛がってくれる優しいおばあちゃんである。
「ねだったら、入れてくれたの?」
「最初は行く必要ないと怒られたが、幼稚園に行かないと環奈と遊べなくなると涙ながらに訴えたら許可してくれた」
そりゃあ必要ないでしょうねと内心突っ込みながら、私は隣に座る秋くんの肩にそっと寄りかかる。
「私と遊べなくなるの、そんなにやだったんだ」
「好きだったからな、お前が」
いつになく甘い声で言われ、私はついドキッとしてしまう。
スモック姿の秋くんは色々衝撃的だったが、それを見てもなお私は彼の色気にコロッとやられてしまうようだ。
「出会ったときから、俺にはお前しかいないとピンときたんだ」
「でも幼稚園のころだよ? 私、すっごくちっちゃかったし」
「けど小さい頃から環奈はこんな俺にも優しくしてくれただろ? 頑張って握ったおにぎりを俺にくれたり、本を読んでくれたり、ひとつしかないお菓子を一緒に食べようって言ってくれたり、そういう所が大好きだったんだ」
そのあたりの記憶は、私にも何となくある。
私は引っ込み思案で、基本的に友達を作るのが苦手だ。だからいつもいつも家の縁側で絵ばかり書いた。
そんなとき、垣根の向こうから秋くんがひょいと顔を出したのだ。
改めて思い出すと、小さな子供が隣の家をのぞき込めるわけはない。
そして目を閉じて思い出してみると、こちらを見ていた顔は今と同じものだった気もする。
私が絵を書くのを見て、秋くんは「上手だな」と褒めてくれた。それが嬉しくて、話しかけてくれた秋くんの姿がとてもかっこよくて、私は生まれて初めて「お友達になって」と彼に声をかけたのだ。
それからは垣根の隙間を通り、隣の家に忍び込んでは秋くんと一緒に遊んだ。
ずっとやってみたかったおままごとにも彼は付き合ってくれて、「じゃあ秋くんは奥さんね! 私は旦那さんになる!」なんて言いながらフリフリのエプロンを着せたこともある。
そんな無茶ぶりにも彼はいつも笑って付き合ってくれたから、私もすぐ彼の事が好きになったのだ。
だから幼稚園に行くことが決まったたときは、もう秋くんと遊べないのかと凄くがっかりした記憶がある。
「そういえば私、秋くんがいない幼稚園になんて行きたくないって泣いた気がする」
「そんなことも、あったかもな」
「もしかして、一緒に行くって言ってくれたのはそのせい?」
「さてどうだったかな……。俺も歳だし、そこまでは覚えていない」
覚えていないと言いつつ、私を見つめる顔はもの凄く優しかった。
そしてそれを見れば、彼がスモックを着てくれた本当の理由は何となくわかる。
「ねえ、幼稚園で一番楽しかった事って何?」
ちょっとした興味本位で尋ねてみると、秋くんが私を抱き寄せながら考え込む。
「おやつの時間かな」
「でも秋くん、いつも私におやつくれてたよね」
首をひねると、秋くんはにっこり笑う。
「おやつを食べる環奈を見るのが好きだったんだ。美味しいって言いながらほっぺを押さえる様が可愛くて可愛くて……」
思い出すだけではぁはぁしてきたと身悶える秋くんを落ち着かせながら、私は苦笑する。
「秋くん、私のこと好きすぎでしょ」
「ああ、大好きすぎて毎日困ってる」
本当に困っているという顔で、秋くんが私と額をコツンと合わせた。
「困るくらいなら、逆に私を嫌いになろうとは思わなかったの?」
「なれないから余計に困ったんだ。俺は多分一生、お前を愛することをやめられない」
幼なじみ設定に無理がある顔だし、彼は私に大きな嘘をついているけれど、その言葉と表情は本物だと思えた。
「どんな事があっても、俺はお前から絶対離れられないし離れない」
「重い愛だね」
「嫌か?」
「嫌じゃないから結婚したんだよ。よくよく考えるとさ、幼稚園の頃からずっと溺愛されてきたよね私。我ながら、良くあの愛を全部受け入れてきたと思うわ」
「だって環奈はずっと可愛いから、愛さずにはいられないだろ」
「いやでも出会って25年? 26年? ともかくずっとだよ? 飽きたときないの?」
「全くないな」
きっぱりと、秋くんは言い切った。
「そういう環奈はどうなんだ? 飽きたり、嫌だと思った事あるか?」
「これっぽっちもない」
途端に、秋くんの顔が甘く蕩ける。
でもその目の奥に、ほんの少しだけ寂しげな光が見えた気がした。
「じゃあこれからも嫌われないように、良い夫でいられるように頑張る」
「別に頑張らなくても良いよ。何があっても嫌ったりしないし」
「いやでも、そうは言っても何があるかわからないだろ? 俺は絶対死ぬまで大好きだけど、その愛が重すぎて嫌になるかもしれないし」
口ではそんなことを言っていたが、彼の不安はきっと別の理由だ。
「俺は、お前にだけは絶対嫌われたくないんだ……」
その言葉を、私は今までの人生で何度も何度も聞かされてきた。
そのたび「ありえないよ」と笑ってきたが、秘密を知ってしまった今は秋くんの不安もわかる。
多分彼は人間じゃない。
年齢も、やっぱりわからない。
そんな秋くんが私と一緒にいるのはきっと普通のことじゃないし、そのために彼は私を含めた色んな人を欺いてきたのだろう。
でもそれは全部、私と離れたくないからに違いない。
「嫌うなんて、ありえないよ」
だから今日も私は断言した。
いつもと変わらぬ、笑顔を添えて。
「私もね、秋くんが大好きなの」
言い終わる間もなくキスをされ、秋くんの大きな体が私をガシッと抱き締める。
その腕の力から、彼が全身全霊を込めて私の「大好き」に答えようとしているのがわかった。
「秋くん、今まだ朝の十一時だよ?」
「イチャイチャするのに時間は関係ないし、明日から環奈はまた忙しくなるだろう」
「……それ、もしかして今日は一日中イチャイチャしようってこと?」
「俺の奥さんは察しが良くて助かる」
まあ幼稚園の頃からずっと一緒にいるしねと笑って、今度は私のほうから秋くんにキスをした。
■■■ ■■■
「はい、タオル」
「ありがと秋くん」
宣言通り一日中イチャイチャした翌朝も、私達は朝七時にはちゃんと起きる。
目覚めてから少しだけイチャイチャして、ベッドから出たあとは並んで顔を洗う。
タオルで顔を拭きながら横を見ると、今日も寝癖の間から大きな角が見える。
「なんか最近、朝は頭が少し痛いんだよな」
「低血圧なんじゃない? それか、頭の角のせいかな?」
「あーそれかも」
寝ぼけ眼を擦りながら、秋くんはあくびをこぼす。
「……え?」
だが次の瞬間、彼はものの見事に固まっていた。
「そうだ、私今日はエッグベネディクトが食べたいな」
「え?」
「エッグベネディクト。あの、卵の奴」
「え?」
「あれ、秋くん覚えてない? この前カフェで食べたじゃない」
でもややこしい名前だし、すぐ思い出せないのかもしれない。
そう気づいてエッグベネディクトの画像をスマホで検索していると、そこでがしっと肩を掴まれた。
「い、いつ……?」
「ん? 食べたのは先週」
「違う、あ、あたま……」
「ああそっち? 大分前だよ?」
一ヶ月くらい前かなと言いながら、私はついに画像を見つけ出す。
「ほらこれ、この前カフェで食べたでしょ?」
だから作ってと微笑んだ瞬間、何故だか秋くんが私を強く抱きしめた。
「環奈」
「ん?」
「結婚して」
「いやもう結婚して9年目だよ私達」
それどころかもうすぐ10年目だと笑いながら、私はあっと声を上げた。
「せっかくの節目だし、結婚記念日は美味しいもの食べに行こうね」
顔の側で「うん」と震える声が返事をしながら、秋くんは私を抱き締めたまま固まっている。
腕を離したら最後、私が消えるとでも思っていそうな様子だ。
だから私は腕を伸ばし、彼の頭と大きな角を優しく撫でた。
「あ、触るとまずい?」
「いや、環奈にそうされると死ぬほど嬉しい」
「でも死んじゃ駄目だよ?」
私が笑うと、秋くんがこくんと頷く。
その仕草があまりに可愛くて、私の胸が甘く跳ねる。
結婚して9年経っても、人間じゃなくても、今もラブラブな毎日を送れるのは秋くんが愛おしいからだと、大きな体を抱き締めながら私は思う。
だからきっと、私達は周囲に羨ましがられる仲のまま、死ぬまで夫婦を続けるのだろう。
そんなことを思いながら、結婚記念日はどこへ行こうかと、私は愛しい夫に問いかけた。
寝起きの夫にツノがある【END】
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