side幸人

第1話:初恋

 四十年前。倉田家という由緒正しき家に生まれた僕は幸人さちとと名付けられた。幸という字は、兄弟全員の名前に入っている。十歳年上の兄が幸之助こうのすけ、七つ上の姉が美幸みゆき、そして末っ子の僕が幸人。

 幸せになってほしいという願いを込めているのだと、両親は語っていた。ただし、その幸せは、両親が納得出来る形の押し付けの幸せ。と恋愛をして、に結婚して、の家庭を育む。それが両親の望む幸せ。二人は、それ以外の形の幸せは認めなかった。同性愛者の僕にとっては、この名前は両親から最初に貰った呪いだ。

 今から語るのは、一人の男性との恋をきっかけに、家族や世間からかけられたいくつかもの呪いを打ち払い、自身がゲイであることを認め、倉田という姓を捨て、東堂家の養子になるまでの話だ。


 まずは、僕がゲイであることを自認した初恋の話からしよう。初恋相手はもちろん、男性だった。だけど、当時の僕は知らなかった。恋愛が異性間だけのものではないことを。恋愛は異性間でするものだと、両親や世間から刷り込まれていたから。

 派手な化粧をして、女性言葉で話して、男性に対して平気でセクハラをし、女性には厳しい。それが僕の家族の、ゲイのイメージ。『あんな風になっては駄目よ』母はいつもそう言っていた。その母の教えを信じて生きてきたが、中学生になると、一人の男の子に恋をした。一つ上の、部活の先輩。これが僕の初恋。

 当時の僕は文学部に入っていた。兄と姉は運動が得意だったが、僕は壊滅的に運動が出来なかった。体育の授業は、いつも憂鬱だった。

 先輩も僕と同じく体育嫌いだった。体育が嫌いで、本が好き。そして好きなジャンルまで同じで、気が合った。

 ある日、先輩がこう言った。『俺、お前が女だったら告ってたわ』と。

 何気なく言われた言葉が、僕の心をざわつかせた。僕が固まってしまうと、先輩は慌てて続けた。『別に俺はホモじゃないから』と。

 その先の会話はよく覚えていない。その頃には、僕は薄々気付いていた。先輩の僕に対する好意と、僕の先輩に対する好意が違うことに。気付かないふりをしていたが『女だったら告ってた』という先輩の一言で見て見ぬフリを出来なくなってしまうほどに、感情が溢れてしまって、泣きそうになる。だけど泣けなかった。男は人前で泣いてはいけないと、父に呪いをかけられていたから。

 先輩は僕が何かを抱えていることを察して、訳を聞いてくれた。先輩の優しさを信じて、僕は言ってしまった。『僕は先輩が好きです』と。その時の凍りついた空気は思い出したくもない。

 しばらくの沈黙の後、先輩は笑って言った。『俺も好きだよ。さっきも言ったけど、女だったら告ってたくらい』と。その引き攣った笑顔を見てしまうと、僕はそれ以上何も言えなくなってしまった。

 翌日、先輩は何事も無かったかのように僕に接してくれた。告白の件を謝ると先輩は『俺も悪かったよ。冗談を間に受けてごめんね』と笑った。何も言えなくなってしまう僕に、先輩は苦笑いしながら言った。『冗談じゃないと思うのならきっと、気の迷いだよ』と。

 そして続けた。『いつかちゃんと、女を好きになれる日が来るよ。大丈夫』と。

 先輩にとってそれはきっと、励ましのつもりだったのだろう。だけど僕にとっては呪いだった。

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