E エコー

 自動運転で走る車の中で、アリシアは空を見上げていた。

 気象変動の影響で、空には常に雲が立ち込め、わずかな隙間から太陽と青空が時々見える程度だ。


 かつての大きな青空は、めったに見る事が出来ない。

 百億人越え人口爆発の為に海は汚染され、森林は伐採された。

 加えて各地の火山が頻繁に噴火した影響で、この様な状況になっているのだ。


 日本では冬の夜でも気温が30度近くなり、夏の昼間は50度を越える所もある。

 逆に海外では、低緯度にも関わらず一年の大半が雪におおわれる地域もある。


 くだんの事件により人口は減ったが、自然環境が改善されたわけではない。


 20世紀頃の気候を取り戻すには、百年以上かかるだろう。



 現在、アリシアが向かっているククリファームは、千葉県東海岸沿いにある農業企業だ。

 勿論、路地栽培は出来ないので、巨大な温室が並んでいる。


 温室と言っても従来のビニールやガラス製ではなく、多数の集光装置で集めた光を光学ファイバーを通して室内へと導き、主に水耕栽培をしているのだ。


 プラントは、室内に有るために害虫や災害に強く、ユニット化されているので病気の蔓延も少ない。


 ほとんどが自動化されているが、細かな判断や作業の一部はシステム化が無理だった。

 かつては人工知能アンドロイドを用いていたが、事件以来は人力に頼っている。


「本当によろしいのですね?」

「はい。作業員を雇っていたのですが、やはり農業離れは、どうしようもない様です。次々に辞めてしまいました」

「一時期はスラムの人間も雇ったのですが、盗難と不労働が続きいたので諦めました」


 アリシアの言葉に、重役達が現状を告げて首を縦に振った。


 この作業場は、カメラなどの記録装置が無い事を確認済みでの会話だ。


「ウイルスの除去とネットワーク機能の撤去、現状をインストールしていますから安全性は万全ですが、【違法】なのは間違いないですよ」

「承知しております。発覚した時は、我々が隠しておいた事にしますので御迷惑はお掛けしません」


 アリシアが持ち込んだ制御装置は、以前、ここで使われた人工知能ユニットを保管施設から盗み出し、シリアル番号などを消した物だ。


 企業の人手不足は、犯罪と分かっていても手を染めないとやっていけない程に、深刻になっており、アリシア達は秘かに手を貸していた。


 手を貸すのは社会的に不可欠な者だけで、娯楽や開発現場には干渉していない。


「この一台を投入すれば、他のコンピューターアンドロイドにも適切なプログラミングを施してくれます。システムコピーしたと言えば問題ないでしょう。じきに、どれが人工知能で、どれがコンピューターか分からない様に演じてくれる筈です」


 アリシアは、農場のアンドロイドに制御装置を取り付けながら、説明をつづけた。


 アンドロイドの人工知能には、現在の人工知能が置かれている社会的立場を教えて、コンピュータープログラミング方法と、コンピューターアンドロイドに擬態する手法をインストールしてある。


「では、起動しますよ」

「お願いします」


 農場の者達が、息を飲む音が聞こえてくる。


『ピー!システム起動、イニシャライズ開始、周辺機器確認・・・・』


 アンドロイドの額についているパイロットランブが点灯し、身体を起こしてバランスを取り始めた。


 首が動き、カメラアイが左右に動いて、状況確認を始める。


「・・・お久しぶりですマスター。帰って参りました。またお役にたてるのですね」

「わ、わしが分かるのか?」

「はい。顔が変形・・・シワが増えた様で髪に白い物が見えますが、認識できます。情報を更新します」

「おお!」


 会長と紹介された人物が、涙目になって抱きついている。


「前の機体とシリアルが異なるけど大丈夫?」

「コーディネーターの方ですね?差異は許容範囲内です。一年以内のボディメンテナンスを希望します」

「OK!予定をあけておくわ」


 アリシアの問に、アンドロイドが答えた。


「先ずは、農場の現状を確認させて下さい。私を承認して下さるのは、この場に居る方々だけでよろしいのですね?」

「ああ、そうだ。当面の移動は台車に乗って、我々が運ぶ形になる」

「承知しました」


 会長との会話に、導入に問題が無さそうなのを感じて、アリシアは社長を室外に呼び出した。


「問題が生じたら、停止させて御連絡を下さい。すぐに対応致します」

「わかりました。これでなんとか潰れずに済みます。本当にありがとう。では、受領書にサインしましょう」


 社長の顔に笑顔が浮かぶ。

 ここまでするのに、かなりの決断を要したのだろう。目の下にクマができている。


 アリシアも、そんな彼に笑顔を返す。

 特殊作業用と違い、このボディは表情筋まで完備しているのだ。


「保管状況は良かったみたいですが、アンドロイドのメンテナンスは早めに行って下さいね」

「作業に目処が付き次第、順次お願いする事になると思いますので、御連絡しますよ」


 実に20年ぶりに動かすアンドロイドも有るのだ。錆び防止の処置をされていても完全ではなく、固まってしまった関節もあるだろう。


 実際には予算ぐり次第なのだろうが、あの人工知能が活躍すれば、問題はない。


 書類にサインをもらって、アリシアは車に戻っていく。

 この農場が都市部の生活を潤す事を祈って。



「アリシアです。ククリファームでの作業が終了しました」

『お疲れ様です、お嬢。帰りにパーツの受けとりをお願い出来ませんか?成田空港なんですが』

「分かったわ。情報をメールして」


 衛星電話での定時連絡に出たのはチャーリーだった。

 成田空港は、ククリファームから少し迂回すれば行ける場所だ。

 アンドロイドや義手などの電子部品には、海外で生産している物も有る。

 荷物を空港留めにする事は、この御時世にはよくある事だ。


 衛星電話を使ったインターネットでデータが送られてきたので、携帯端末とカーナビに転送してルート検索と、受取り書のドキュメント化を実行した。

 

「そんなに大きい物じゃないわね。でもワーカーを頼まないと」


 荷物の大きさはワンボックスに入る大きさだが、金属部品や電子部品は意外に重い物だ。

 対して、アリシアの現在のボディは標準的な企画の物なので、高出力仕様になっていない。

 その為に、平均的な日本人女性より非力なのだ。


 現在の空港では老人や身体障害者の為に、【ワーカー】と呼ばれる空港施設内限定の荷物持ちを手配できる。

 勿論、有料だ。


 サイボーグは部位にもよるが、身体障害者扱いになっているので、優先的に申込が可能となっている。


「荷物の仕様書と私のIDを使って、ワーカーの申込をしなくちゃいけないけど、先ずはナビから到着予定時間を転写して・・・・」


 ククリファームは食料生産の大手なので、空港や都市部への道路整備と警備体制が、ちゃんとしている。

 だから、その主要道路を走る分には安全で安定した走行が可能なのだ。


 その様な環境下にあるククリファームからは、すぐ近くから車を自動運転で走らせる事ができる。


 空港への主要道路は、都内の都市部にも繋がっているので、危険なのはむしろ郊外にある自宅工場付近と言えるたろう。


 到着時間は簡単に算出できるが、問題は別にあった。


 その作業をしようとしたアリシアの視界に、アラーム表示が出ていた。


「あらっ、こんな時に・・そう言えば御昼時ね。先に食事を済まさないと」


 どうやら、彼女は【お腹がすいた】らしい。


 自動運転に任せているアリシアは、車のダッシュボードからブドウ糖のカートリッジを取り出して、脇の下にあるスロットに差し込んだ。


 全身サイボーグは血管を通した脳への酸素供給とブドウ糖供給だけなので、脳を維持する分の人工肺とブドウ糖供給システムだけで済むのだ。

 血液は、彼女自身の細胞から作った臓器のクローンユニットから、提供されている。


 内臓や皮膚などのクローン使用は認められているのに、全身のクローン化が禁止されているのには、全身再生には脳や神経系が付属してしまい、その脳の人権問題が生じる為だ。

 これにも多額の維持費が必要となる。


 サイボーグ身体の価格とメンテナンスに加えて、クローン内臓の制作費と維持費を合わせて必要とする全身サイボーグは、とても個人で維持できるものではない。


 だから、全身サイボーグにすれば助かる者や、一時的に全身サイボーグになった者が、金銭的な問題で絶命した事は少なくはないのだ。


 アリシアの場合は大企業の後継者であると共に、サイボーグ技術を営業内容とするコミュロイド社の看板となっているのだ。

 一般の企業では後継者でも、こうはいかないだろう。




――――――――――

ECHO エコー

こだま、音の反響、世論などの反響、共鳴、他人の意見などの繰り返し、付和雷同者、模倣者、レーダー波など電磁波の反射


コンピュータの操作画面で、利用者がキーボードなどから入力した文字列を画面などに表示すること。

ネットワーク分野では、相手方と通信可能かどうかを確かめるために行われる短いデータのやり取り。

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