第7話 温かな心


「全くひどい扱いだったわね。ねえじい、本当にあそこがこの辺りで一番のお店だったの?」


「ええ、エレナ様あそこがこの辺りでは一番ですよ。奴隷の扱いもだいぶましな方です。ひどい奴隷商では家畜以下の扱いをしているそうです」


「まあ、信じられないわね」


 奴隷商を出るとたいそう立派な馬車に乗せられた。俺達がこの場所に乗せられてきたオンボロの荷馬車とはだいぶ違う装飾が入った立派なやつだ。


 最初は俺がだいぶ臭うから馬車の後ろを走らせるようにじいさんが言っていたが、エレナお嬢様が反対し、俺も馬車の中に乗せてもらえている。先ほどの馬車の中での会話からもエレナお嬢様はある程度奴隷に対して理解があるのかもしれない。


 いやまだわからない、ひょっとすると屋敷に戻った豹変して奴隷紋を使いまくってくるかもしれない。……俺もだいぶ人が信じられなくなってきているな。




「さあ着いたわ、アルガン家へようこそユウキ!」


 馬車で揺られること数十分、馬車を降りるとそこには大きな屋敷がそびえ立っていた。立派な門の中には門の外からでもわかるほどの広くて美しい庭園が広がっており、その中心には二階建ての白い屋敷があった。元の世界にいた時は写真でしか見たことのないような西洋風のお屋敷だ。


 美しい庭園を抜け屋敷の中に入る。あちこちに飾ってある絵画や美術品、足元に敷き詰められた真っ赤なカーペット、魔道具なのかよくわからないが光を放ちながらも美しいシャンデリアのようなもの、屋敷の中も外見に負けないほどの美しさであった。


「素晴らしいお屋敷ですね、お邪魔致します」


「違うわよユウキ、今日からここがあなたの家にもなるんだからただいまでいいのよ」


 じいさんがため息をついている。奴隷に家は言い過ぎだろうに、さすがに俺でもわかるぞ。


「……ただいま帰りました、エレナお嬢様」


「う~ん、固いけどまだしょうがないわね。お帰りなさい、ユウキ。それじゃあまずは水を浴びてきてちょうだい、その後に晩御飯にしましょう。じい、ユウキを案内してあげて」


「かしこまりました、おい奴隷、こちらに来い」


「はい」




 じいさんの後に着いていくと屋敷の中の一つの部屋に連れて行かれる。


「水浴びはこの部屋だ。かなり臭うから念入りに洗っておけ。洗い終わったらここに置いてある服に着替えてこの部屋の突き当たりにある部屋に来い。廊下にある絵画や美術館には決して触れるなよ」


「はい、わかりました」


「それともう一つ。お嬢様はまだ奴隷を持つことが初めてで、まだ奴隷の扱いになれておられない。お嬢様の優しさを勘違いして決して調子にはのるな。仕事をきちんとこなせぬようなら罰も与える。そしてお嬢様に危害を加えようとした場合には即座に斬り捨てるからそう思え!」


「はっ、はい。わかりました、気を付けます」


 そういうとじいさんは部屋から出ていった。そうだな、やっぱりこのじいさんの態度の方が普通でエレナお嬢様の態度はやっぱり奴隷に対して優しすぎるのだろう。


 それにしても斬り捨てるとは穏やかでない。平和な元の世界で暮らしていた俺でされ本気であることがわかる恐ろしい目をしていた。今のところ危害を加えるような気はないようだが肝に命じておこう。


 着ているものを脱いで部屋の中に入る。と言ってもパンツ一枚というかふんどし一枚と奴隷商で着せられた貫頭衣のようなものだけだ。


 部屋の中には大きな桶に水がためてあり、身体を洗う用の布と小さな桶が置いてあった。どうやら小さな桶で大きな桶から水を取り、身体を洗っていくのだろう。夏場はいいけど冬はどうするんだろうな。布に水を染み込ませ身体をゴシゴシと拭く。すると出るわ出るわ、大量の垢があとからあとから出てくる。奴隷商で雑に身体を拭いただけではあまり汚れは取れていないようだ。


 人間て10日間くらい身体を洗わないとこんな風になるんだな。この世界に来て約10日間身体を洗えなかったもんな、そりゃ臭うわけだ。それにしてもなんで気持ちいいんだろう。シャンプーも石鹸もない、ただの水で身体を洗っているだけなのになんだか汚れだけでなく色々なものが洗い流されている気がする。


 念入りに身体と髪の毛を洗い身体を拭いてから部屋を出てじいさんが用意した服を着てみる。服を身につけてるのも約10日ぶりになる。ははっ、本当になんて異世界生活だよ。


 白いシャツに黒色の上着とズボン、まるで執事服みたいだ。元の世界のように服の作りや着心地はそれほど良くないがそれでも服を着れるということが素晴らしい。




 じいさんに言われた通りこの部屋の突き当たりの部屋へ行く。この世界にノックという常識があるのかわからないがとりあえず扉を叩いてみる。


 コンコンッ


「お待たせしましたユウキです、入ってもよろしいでしょうか?」


「入れ」


「失礼します」


「あらユウキ、とっても綺麗になったじゃない、さあこっちに来て座って!」


 部屋の中には10人以上は座ることができる長い机と椅子、机の上には白いテーブルクロスと温かそうな料理が山ほど盛られた皿があった。机の一番奥にエレナ様、エレナ様から見て左手がじいさん、右手はまだみたことのないメイド服を着た女性がとじいさんよりかは幾分か若いおじさんが座っていた。じいさんに促されてじいさんの隣の席に座る。


「さあユウキ、今日はあなたの歓迎会をします!たくさん食べてゆっくり休んで明日から頑張ってね!それじゃあ先にこの屋敷にいる人を紹介します。まず私はアルガン=ベルゼ=エレナです。この地区の領主を担当しています、これからよろしくね!」


「エレナ様の秘書をしているアルゼだ。業務の補佐や護衛も兼ねている。何かわからないことがある場合、まずは私に聞くように」


 エレナ様がじいと呼ぶじいさん、名前はアルゼというらしい。できる執事という感じだが護衛もしているのか。


「えっとお、えっとお、エレナ様のメイドをしているシェアルですう。着替えのお手伝いや屋敷の掃除を担当していますう」


 たどたどしく答えているのはメイド服を着た女性だ。俺より少し年上のように見えるから20歳前後といったところか。別に胸があまりにもでかいから年上と判断したわけではない、そう、背の高さとか雰囲気から判断しただけだよ。


「リールだよ。主に馬車の御者と買い出し、庭園の管理を担当しているね。あと私は住み込みではないから朝と夜はこの屋敷にはいないから」


 奴隷商から帰ってくるときに馬車を運転していた人だ。30代~40代ほどの男性で立派なあごひげが特徴的だった。


 それにしてもこれだけの大きい屋敷にこれだけの人しか勤めていないのか。というかエレナお嬢様の両親はいないのか?……デリケートな問題もあるかもしれないし、さすがに今は聞けない。


「はじめまして、ユウキと申します。どうぞよろしくお願いします」


「おまえには食事とみなの手伝いを担当してもらう。まず朝は朝食の用意、そのあとはシェアルと共に屋敷の掃除、そのあとは……」


「じい、仕事の話は明日からでいいわ。紹介も終わったし、せっかくの料理も冷めちゃうから早速乾杯しましょう!それじゃあ乾杯!」


「「「乾杯」」」


 乾杯と言われてもどうしたらいいのかわからないのだが。この目の前にある美味しそうな料理は俺も本当に食べてもいいのか?奴隷の食事なんてまともなものは食べさせてもらえないと思っていたんだが。


「ほらユウキ、食べていいのよ」


 どうやら食べていいらしい。こんがりと焼き目のついた魚、油がしたたりおちてくる焼かれた肉、温かい野菜のスープに温められたパン。この世界に来てちゃんとした食事を食べるのは初めてだ。それじゃあこの美味しそうな肉からいただこう。


「っうう!」


 噛みしめるたびに口中に広がる肉の脂と肉にかけられた塩の味。一週間何も食べずにいた後に食べたカチカチのパンやクズ野菜は確かに感動を覚えるほど美味しかった。ただその感動をもこの肉の味ははるかに凌駕していた。気がつくと俺は主人であるエレナ様の前にいることも忘れて目の前の食事を貪り食べ尽くしていた。


「ふふっ、よっぽどお腹が空いていたのね。よかったわ、美味しかった?」


「……はい、ありが……とうごさい……ました」


「どうしたのユウキ、大丈夫!?」


 なぜだろう涙が溢れて止まらない。盗賊や奴隷商にあれだけ痛めつけられても耐えることができた涙を今は止めることができない。


 温かい、心がとても温かいんだ。普通に身体を洗い、普通の食事を食べ、普通に服を着る。そしてなにより普通に俺の名前を呼んでくれる、ただそれだけの普通が今の俺にとってはどんなことよりも温かいんだ。


 いきなり死んだなどと訳のわからないことを言われ異世界に飛ばされ、盗賊に捕まり奴隷商に売られ、唯一知り合った弟や妹のような存在と離れ離れにさせられた。


 殴られ、鞭で打たれ、ろくな食事を取らせてもらえずに、人間として扱われない。そんな地獄のような生活の中で初めて、この人は俺をまともな人間として扱ってくれたような気がする。


「……すみません、……すみません」


「……そう、大丈夫よ、ここにはあなたをいじめる人はいないわ」


 そういうとエレナ様は自分の手をそっと俺の手の上に重ねてくれた。小さくて可愛らしい、けれどもとても温かい手だ。エレナ様はそれから10分近く子供のように泣く俺のそばにいて手を重ね続けてくれた。


「今日はもう休んだほうがいいわ。じい、部屋の案内をよろしくね」


「はい、お嬢様」


 そこからのことはあまり覚えていないが、アルゼさんに使用人用の部屋へ案内してもらい、この異世界に来てから初めて固い地面ではない柔らかなベットの上で眠ることができた。

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