第5話
それから2種類のお化け屋敷に付き合って絶叫し、3種類のジェットコースターに付き合って絶叫し、三半規管が限界を迎えかけていたとき千代は観覧車に乗ることを提案してきた。
テンプレのような流れに思えるけれど、千代は閉所恐怖症気味だからとてもめずらしい。というか一緒に乗るの初めてかも。
「本当に大丈夫?」
混み合う前に並ぶことができたので順番はすぐに回ってきた。千代は期待よりも不安が上回っているような、少し硬い表情を浮かべている。
「……奈緒ちゃんが一緒だったら、どこだって、なんだって大丈夫」
なーにもう、急に可愛いこと言っちゃって……。可愛いなぁ!
頭を撫で回してやると、目を細めて顔を
「いい景色だねぇ」
「うん」
観覧車なんて乗ったのいつぶりだろうか。目立つからなんとなく過小評価しがちだけど、閉所に閉じ込められゆったり上昇していく乗り物がつまらないわけもなく普通にテンション上がってくる。
「奈緒ちゃん」
「んー? っ。ちょっと、返してよ」
もうこんな機会がいつ来るともわからないので夢中で写真を撮っていると、鮮やかな手付きで私のスマホを取り上げた千代は――
「いいよ。お好きにどうぞ」
なんて、言いながら。首元から衣服の中へと、私のスマホを落とし入れてしまった。
「いや……なにしてんの……?」
「早く取ってよ、奈緒ちゃん」
悪戯な笑みを浮かべながら、チェック柄シャツのボタンを一つ、外す千代。
「……」
「……」
こうなってしまえば何を言っても無駄だろう。私がすべきは行動。立ち上がり、千代の衣服に手をかける。
そしてすべき行動は――千代の……ボタンを……外す……?
いや……なんか恐ろしく悪いことしてる気が……。
「なーおーちゃん、はーやーくー」
近づいたのを良いことに耳元で挑発してくる千代。鈴の音が鳴るような声音がいやに心地いい。心拍数が上がって指先が上手く動かない。ダメだ、もうさっさと――
「「っ」」
ようやく1つ目のボタンを外した瞬間、痛烈な風斬り音と共にゴンドラが大きく揺れる。
今までの余裕に満ちた千代の表情が消え、私の腰へと抱きついてきた。
「大丈夫だよ千代」
「……知ってる」
立ったままだと危ないので千代の隣に座って、未だ抱きついたままの千代の背中をさする。閉所恐怖症、克服してたわけじゃないんだ。
まずはと思って右手をそそくさと動かし、インしていたシャツをパンツから抜き取ってスマホを取り返した。
「奈緒ちゃんのずる……」
「はいはい」
最初からこうしていれば良かったのに思いつかなかったのは、見事に千代のペースに乗せられていたということだろう。
「…………どうして行っちゃうの?」
少しの沈黙のあと、私に密着したまま湿ってくぐもった声で弱々しく問う千代。
「奈緒ちゃんが一緒にいてくれたら全部大丈夫なのに……奈緒ちゃんがいなかったら……全部……全部、怖いよ……」
「……千代……」
今までのらしくない行動は、これを伝えるための前準備だったんだろう。菊江さんからこういう感じのアドバイスをされていたに違いない。
でも、私はどちらかといえばメッキが剥がれたこういう……ありのままの千代の方が……かわいくて、つらい。
「行かないで、奈緒ちゃん」
「……」
この子は賢いから大丈夫だろう、見た目よりも大人だから大丈夫だろう、なんて考えで自分勝手に留学を決めて……こんなに大切な子を不安にさせてしまった。
それでも中途半端に安心させるようなことも言えない。私は……もっともっと成長したいから。
身長はもう、どうにもならないだろう。だからこそたくさんの知識を身に着けて、いろんな考えをできる人間になりたい。
そのためには海外へ行くべきだし、このチャンスを逃すわけにはいかない。
「奈緒ちゃんがどんどん遠くに行っちゃうの……いやだよぉ……」
「……私と離れるのがいや?」
「いや。絶対いや。ずっと一緒にいたい!」
私は成長して、これからもずっと千代の目標で、憧れでありたい。
きっと千代は、どんな私であっても受け入れてくれると思う。けれど多くの人が私を見た目で判断するこの世界で、中身は誰にも負けたくない。
「そっか。なら…………全力で追いかけて」
寂しい思いを強いて、好意を餌に努力を強いるなんて最低だ。
「千代、私は待たないよ。千代のことがどんなに大好きでも……前に進む」
だけど、今まで千代を一番近くで見てきた私だからわかる、この子の可能性は私なんかじゃ測れない。その気になれば千代は、私なんか軽く飛び越えてどこまでも行けるんだから。
「だから千代も貫き通したい信念と出会ったら、なりふり構わず頑張るの。私のことが霞むくらい努力するの。私ができることならいくらでも協力するから」
「奈緒ちゃんのことが……霞んじゃうのに……協力、してくれるの?」
「約束する。そしたら今度は私が、千代に見てもらうために頑張るから。……丸一ヶ月歩き続けないと会えないくらい遠く離れた場所にいても、何をしてても何歳になっても、千代のことを一番大事に想ってる」
「……絶対?」
「絶対」
「…………わかった。じゃあ私も約束する」
千代は私の体から顔を離し、涙ぐんだ瞳に決意を滾らせて言う。
「絶対、奈緒ちゃんに追いつくから。それで……追い抜いて……奈緒ちゃんが待ってって言っても、絶対止まってあげないんだから!」
「うん……。ありがとう、千代。大好きだよ」
それから私達は、どちらかともなく体を寄せ合い、互いに涙を拭い合った。景色を眺める暇もなく気づけばゴンドラは一周を終え、手を繋いだまま地上へと降り立つ。
その手にはいつまでも力が込められ、そこから千代の本気が、汲み取れるようだった。
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