小悪魔の等身大

燈外町 猶

第1話

「あっねぇねぇほら見て千代ちよ、ドルアス出たよ! カッコいいねぇ!」

 沈黙の満ちる食卓。テレビに私の推しの女性アーティストが映ったのでテンションを上げてみたものの、場は冷めきったまま盛り上がらない。

「別に」

 その原因はテーブルを挟んで正面に座る少女・千代が不機嫌を隠そうともしないからだ。

「千代ー、そんなに膨れないでよー」

 五歳離れているとはいえ幼馴染、千代のことはなんでも知っている自負がある。

 けれど、私の話を聞いて力の抜けた手からスプーンを落とした千代は、見たこともない表情を浮かべていた。

「…………もう……奈緒なおちゃんと会えないの……?」

 ほんの五分前まで、私達は美味しいカレーを食べながらテレビを眺め、他愛ない会話をはさみながら楽しく過ごしていた。しかし今現在千代の顔は翳りに覆われ不安と焦燥を醸し出していて、声音もそれ相応に弱々しい。

「そんな大層なことじゃないって。一年だけ。一年向こうで過ごしたら帰ってくるってば」

 向こうというのは、留学のことだ。私は来月から一年間、オーストラリアで語学留学に励む。一般中流家庭の次女である私には贅沢な話だが、大学側から推薦を頂いたゆえ断る選択肢はなかった。

 心配なことは一つだけ。自ら買って出た千代の家庭教師として、いかがなものかという問題。

 彼女の高校入試は来年だ。将来私と同じ大学へ、私と同じように奨学金で通いたいと豪語した千代にはそれなりの努力が必要で、私がいなくても平気か、ちゃんと勉強できるか、それを聞くために切り出したのに――

「一年? 一年も会えないなんて聞いてない!」

 ――結果は、そもそも私の留学に対して大反発。大人びているもののマセてはいない千代には珍しい駄々こね状態に。

「大丈夫、あっという間だよ。だから千代は受験頑張って「いい。もう聞きたくない。……ごちそうさま」

「ちょっと、千代」

 予想外の反応に言葉が出ず、薄っぺらく励まそうとした私と半分以上残ったカレーを置いて千代はリビングから出ていってしまった。

「…………はぁ……」

 迂闊だった。まさかここまで明確に反対されるとは。正直、笑顔で見送ってもらえるもんだと思っていた。流石に自分勝手が過ぎたと反省。

「…………」

 落としていったスプーンを拾ってシンクにやり、皿にラップをかけて冷蔵庫へ。

 参ったな、これから一緒にお風呂に入って、出てきたらもう一時間程度勉強する予定だったのに。

 今日は金曜日。千代のお母さんは帰って来られないから私が帰るわけにもいかない。少し気まずいけど、とりあえずいつも通り接してみよう。


×


「千代ー、入るよー」

 お風呂から上がって千代の部屋に行くと、拗ねてると思いきや彼女は机に向き合って問題集を解いていた。

「奈緒ちゃん、ここ、教えて」

「……ん、どこ」

 自分でも驚くくらい、胸が痛んだ。さっき初めて憂いを帯びた表情を見たばかりなのに、千代は今、瞳とその周りを真っ赤にして無理に笑いを浮かべている。

 彼女にとって一年という月日がどれほど長く、どれほど重いものなのかを慮ってやれなかった。家庭教師としても、年上の幼馴染としても恥ずべき失敗だ。

「千代、さっきは急にごめんね。……でも私「いいの」

 相変わらず何をどう伝えるべきかはわからないまま言葉を紡ごうとした私を、千代は再び遮った。

「そっちがそう来るなら、私にも考えがあるから」

「……へ?」

 それは成長と呼ぶべきか、変化と呼ぶべきか。

 本日三度目の新しい表情は、中学二年生の少女には似つかわしくない――妖しい笑みだった。

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