20. 初めての路上ライブ、お忍びの外出。

「ユ、ユスティーナさまっ!」

「どうしたの、ルイ。慌てて部屋に飛び込んできて」

「ジェイクさまとケイトさまが……っ!」


 城内を走ってきたルイはひどく息切れしており、言葉を継ぐことが出来ない。


 彼が息を整える間、ユスティーナは今朝の出来事を反芻した。そういえばパーティーの準備中に、ルイがそっと何かを囁いてきたが、他の執事に呼ばれていたこともあって適当に頷いてしまった。


 彼に言われてようやく思い出す。


「ええと確か、お二人が初めて路上で歌唱するのよね」

「そう、そうなんです! お二人のパフォーマンスに観客が殺到して、大通りが混乱状態になっているのです! 見ていただいたほうが早いと思います」

「ええっ、今から見に行くの⁉︎」


 手早くユスティーナにケープを着け、深めの帽子を被せる。部屋着だから外出できないという彼女の手を、服はケープで隠れるし、そもそも顔を帽子で隠してしまうから王女だとは誰も気付きませんと言ってルイが優しく引いていく。


 外に出ると、御者が馬車を出そうかと申し出てきたが、それを断って大通りへ行った。


「そこのお二人さん、デートならうちが良いよ! 紅茶でも飲みながらゆっくり話していきなよ」


 大通り沿いの茶屋の客引きが、二人に呼び掛ける。


「デッ、デート⁉︎」

「また今度、よろしく頼みます」


 ユスティーナは顔を真っ赤にし、ルイは軽く笑ってなんでもない風に答えた。


 手を恋人繋ぎにして、ぐいぐいと先へ進んでいく。大きな温かい手は少し乾燥していて、擦れると痛い。


「私たちは恋仲じゃないでしょう。どうしてあんな返答を……」

「恋仲を装っていたほうが都合が良いのです。僕たちはここでは、『手を繋いで大通りを歩く、付き合いたてほやほや恋人』としましょう。そのほうがユスティーナさまのことをお守り出来る」


 ユスティーナは戸惑いつつも頷いて、手を握り返す。


 互いに気恥ずかしくて顔を見られないが、振りとはいえ“恋人”として隣を歩けることに舞い上がる気分だった。


 青空はこれまで見た中で最も澄んでいて、寒ささえ吹き飛んだように感じた。


 本当は彼女を守る方法はいくらでもある。別に恋人の振りなんてしなくても良い。しかしルイは、無視しがたい邪な感情が湧いた。ユスティーナも内心では喜んでいることを知らない彼は、素直すぎる彼女が変な男に引っ掛からないか心配になった。


 次第に大通りを行く人の流れが遅くなる。


「恐らくご兄妹がいらっしゃるのはこの先ですね。さらに混み合うと思いますので、どうか手を離さないでいただけますよう」


 ルイの後ろをついていく。それでも手は絡んでいて、ユスティーナは彼の大きな手と背中にドキドキしていた。


 馬車を断った理由がようやく分かった。大通りは渋滞しており、馬車が通れる隙間がないからだ。数台の馬車が立ち往生している。


 人の流れが完全に止まった地点から、ルイは「ちょっとすみません」と軽く言って、するすると人の間を抜けていく。


 人混みに慣れていないユスティーナは、人々に何度もぶつかりながら、辛うじて追いかける。


「あはは、俺昨日さあ……」

「きゃっ!」


 談笑中の体躯の良い男性が、彼女に気付かずに後ろに下がり、背中に押し潰されるようにぶつかった。その衝撃で手が離れ、


「んだよ、危ねえな」


 と男性は不機嫌な様子で、ユスティーナの顔を覗き込む。


「あれ、あんたどこかで見た顔だな」


 まずい、王女であることが気付かれてしまう。そう思ったとき。


 人混みから険しい表情をしたルイが現れて、ユスティーナの肩を抱いた。密着した状態でまた前へ歩き始める。


「離さないでって言ったでしょう」


 耳元で彼は低く言った。胸の奥まで響くような声にどきりとしたが、彼の額には汗が滲んでいて、必死に探してくれていたからだと分かる。


「ごめんなさい。ちゃんとルイについていくわ」

「いや、このまま進みましょう」

「えっ⁉︎ 手を繋ぐより恥ずかしい……」


 彼女の言葉を聞かず、肩を抱いたまま歩く。


 人の密度がさらに高くなった。人々の瞳がきらきらと輝き始めた。皆が一斉に何かを見つめ、心奪われている。


「次で最後だけど、歌うのは俺たちの始まりの曲。とある人が“バイブレーション”のために書いてくれた、大切な曲だ」

「あたしたちがこうやって大通りでライブが出来るのも、その人が曲作りだけでなく、プロデュースまでしてくれたからなの。彼女には感謝しなくちゃね」

「そう、だな。誰かの手を借りるなんていつもなら御免だが、彼女がいなかったらこんなに多くの人は集まらなかった。……よし最後の曲だ! 俺たちの気持ちを、歌に乗せるぜ!」


 ジェイクとケイトは、後ろにいる楽器隊に合図を出した。


 ドラム、ギター、ベース。バンドの基本的な構成の楽器隊が、華やかな音楽を放出する。伴奏に合わせて、兄妹のとげとげしい歌声が観衆の胸を刺す。


 大通りの人々が、無意識的に飛び跳ねる。頭を思い切り振る人さえいる。


 眼前の異様な光景に、ユスティーナは高揚を覚えた。彼らが聴いて、ある意味“狂って”いるのは、自分が書いた曲だったからだ。


 あの日、ルイに聴かれていた曲。兄妹が初めて聴いて、ユスティーナの音楽を認めてくれた曲。


 自分の音楽はルイや兄妹だけでなく、大衆にも受け入れてもらえるのかと自信になった。これまで王女として、気を遣われた評価しか受けてこなかったユスティーナにとって、純粋な賞賛は新鮮だった。


 未だ一曲しか彼らのために書けていない。もっと書いて、もっと彼らを有名にしたい。そんな心情ゆえか、曲のイメージが次々に湧く。


 思わず身体が動いているユスティーナを横目に、ルイは周囲の確認をしていた。


 曲が転調して最も盛り上がる部分に差し掛かり、彼女の肩を抱く手に力を入れる。


「曲が終わり、ライブが終わってから動こうとしても、この人数ですのでなかなか身動きが取れなくなります。少々早めに帰りましょう」


 後ろ髪引かれる思いだったが、ルイに従って城のほうへ戻る。


 観客の狂乱の声がどんどん遠ざかっていった。しかしその代わり、ユスティーナの身体の奥深くには、新たな曲が大音量で流れていた。

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