無限軌道のブルートレイン
λμ
プロローグ
重苦しい曇天の下、死んだ街並みに遠雷が轟いた。
朽ちかけの木造家屋、崩れた石の家、鉄筋の剥きでた高層ビル、破れ倒れた鋼の壁。ときおり閃く緑色の稲光が、時代も文化も空間すらも混ざりあう死んだ街並みを照らす。
響きわたる雷鳴に負けじと、鋼鉄の咆哮が大気を震わせた。
土と、石畳と、アスファルトと、鋼がまだらに覆う大通りに、一直線の粉塵。オレンジ色の鋼鉄の箱を牽く、やはりオレンジで塗られた
トレインは鉄の履帯で馬車の残骸を踏み潰し、鋼の躯体で擱座した車両を弾き、車輪も翼も見当たらない乗り物らしき何かの間を縫うようにして、激走している。
上空で稲妻が光った。ほとんど同時に車両の上部ハッチが開き、少年が顔を出した。
「――ブルー! これ以上は出ねぇか!?」
観測者席から顔を突き出し、ラズリは胸元のスピーカーにがなった。
「もう限界! 出力あげても熱でトルクが落ちるだけだよ!」
即座に、運転を担うブルーの緊迫した声が返ってきた。
舌打ちし、ラズリは空を睨んだ。
「やべぇ……やべぇぞ……もう稲妻が落ちる!」
「『もう』じゃなくて時間で言って! 正確に!」
ブルーの少女らしからぬ鬼気迫った声に、ラズリは神経を研ぎ澄まして空を読んだ。
黒煙の如き雲を裂き、翡翠色に輝く稲妻が地に足を突く。衝撃波とともに豊穣と混沌を司る力が飛散し、街が蠢きながら姿を変える。引かれた軌条の直上をのぞき一切の容赦なく、時間も、文化も、空間もぐちゃぐちゃにかき乱される――。
――五分後に。
より正確にいえば、
「五分十七秒! 十六! 十五! ――」
彼の、ウィーザーズの眼はそう読んだ。
「五分十――そんな……そんな!」
スピーカーの向こうでブルーの声が震えた。
「ごめん……ごめん、ラズリ! 私のせいだ! 私が近道を抜けようって言ったから!」
「なんだ!? どうした!? 間に合わないのか!?」
「間に合わない! 三十秒も足らない! ……ラズリ、ごめん!」
ブルーの水っぽい声に、ラズリは歯をきしませる。拳を握り固め、延々とつづく障害物だらけの大通りを睨み、次いでトレインの牽くカーゴを見やった。
「悪ぃ、オフェリア。兄ちゃん、しくじっちまったかもしれねぇ」
カーゴに収まるステイシス・シリンダーと、そのなかにいる妹を思い、ラズリはスピーカーから聞こえてくる相棒の涙声に怒鳴り返した。
「なに泣いてんだよ、ブルー! らしくねぇぞ!? 俺の読みは一分も誤差がある! 良い方に外れてくれりゃあ余裕のセーフ! そうだろ!?」
「――っ! うん、うん! そうだよね! 間に合うよね!? きっと外れるよね!?」
「ああ、外れる! 外れるさ! きっと外れてくれる!」
励ますように言いながら、しかしラズリには分かっていた。
誤差一分で読みを外したのは一回だけ。それもウィーザーズとして初めて稲妻を読んだ日で、同じ条件なら過去五十年で最も精確だった。
「ラズリ! いったん戻って! 障害物が増え――」
ブルーの声を遮るように稲妻が走り、視界を緑翠色に染め上げた。
――読み誤った。
それも大幅に、悪い方に。
車内に首を入れた瞬間、ラズリは意識を飛ばした。
はるか前方に墜ちた稲妻が、周辺の地形をごちゃまぜに入れ替えながら膨大な衝撃波を発生させる。車重約一〇トンのトレインがコンマ半秒で時速二〇キロまで減速、牽いていたカーゴが連結器をめちゃくちゃに軋ませながら駆動車両に衝突する。
トレインは二方向からの運動エネルギーを受けて軽々と宙に浮き、慣性にしたがって横転しながら前に転がっていく。その間も地形の変化は止まらない。
突如として道の真ん中に坂がせりだし、トレインの巨体がはね飛ばされた。
車両は石畳を削り飛ばしながら転がり、現れた旧式車両を押しつぶし、火花を散らしながら鋼の路面を滑走、古びた平屋に突入、貫通、停止した。
立ち込める土煙。響く雷鳴。すべての音をかき消す耳鳴りの奥でブルーが叫んでいた。
「――ズリ! ラズリ! 起きて! こらぁ! 気ぃ失ってないでよ! 早く起きて、カーゴのオフェリアと一緒に、〈扉〉で逃げて!」
ラズリは激しい頭痛に顔をしかめながら首を振った。
潰れたコンソールに腕を挟まれ、右目を真っ赤に染め、ブルーが必死に叫んでいた。無事でいた左手が、車両前方を指差していた。
――あいつがいた。
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