第7話 幽霊なんて怖くない

小説でもどうぞ 選外佳作

 

 この学校、「出る」らしいよ。悠真の通う中学校にはそんな噂が流れていた。


 「二年生の女子が見たって言うんだよ。夜中に学校まで忘れ物を取りに来たら、誰もいない教室で幽霊がケタケタ笑ってるのが窓越しに見えたんだって。それで最近塩の小瓶を持ち歩くのが流行ってるんだよ。塩をかければ退治できるって、誰かが調べたみたいで」

「やだやだ、怖い話しないでってば」

 放課後の教室。翔太が得意げに話すのを、怖がりの愛は真っ青な顔で聞いていた。

「私、今日はこの後、音楽室にこもってピアノの練習するつもりなのに」

 秋も深まり、音楽祭本番が近づいていた。昔からピアノを習っていた愛が、僕たちのクラスの伴奏に指名されている。

「じゃあ悠真が付き合ってあげろよ」

 突然の翔太のパスに面食らった。いいの? と嬉しそうな愛の顔を見てしまうと断れない。僕が頷くと翔太はにやりとして、じゃあ俺は用事があるからお先に、と、さっさと帰ってしまった。気を利かせたつもりのようだ。


 放課後の音楽室は何となく落ち着かない。愛がピアノを弾く横で、僕は図書室から拝借した本を読んでいた。死んじゃった愛犬が幽霊になって帰ってくる話だ。幽霊と知りながらポチを抱きしめようとする主人公に、僕は思わず目頭が熱くなった。愛に見られてないだろうな。横目で窺うと愛は鍵盤に齧り付くように集中しており、僕はほっとする。

 怖い話だと思って読み始めたのに、まさか幽霊が人間と心を通わせる展開なんて予想外だ。愛らしく尻尾を振るポチの姿を想像する。人間は幽霊と見ると怖がってしまうものだけど、ひとりひとりの名前とか性格とかがわかれば、案外友達になれるのかもしれない。


「小学校のキャンプのこと覚えてる? あの夜は愛が幽霊を怖がって大変だったよな」

 本を読み終えた僕は愛に話しかけた。僕と翔太、それから愛の三人は、小学校からの友達だ。お調子者の僕と翔太が馬鹿な掛け合いをしているのを、愛がくすくすと笑って見ているのがいつもの光景だった。当時はただの友達だと思っていた愛のことを好きになったのは、いつのことだったか。


「もう、何年前の話してるのよ」

 僕の言葉に愛は手を止め、軽く咎めるようにこちらを振り返った。

「でもそのときね、悠真が、幽霊だと思うから怖いんだ、死んじゃった愛のおじいちゃんかもよ、って言ったから怖くなくなったの」

 愛は頬を赤らめながら続ける。

「あのとき、悠真ってちょっと大人だなって思ったの。だから今日も怖くないよ。悠真が一緒にいてくれるんだもん」

 いつの間にか、外はぼんやりと薄暗い。恥ずかしそうにはにかみながらも、愛は僕の目をまっすぐ見つめている。あれ、何だかいい感じかもしれない。僕は覚悟を決めた。

「愛。僕、その頃からずっと愛のこと」


 そのときだった。音楽室のドアがガラリと開き、僕と愛はとっさにピアノの陰にしゃがみこんだ。立ち上がらないよう手振りで伝え、僕たちは少しだけ顔を覗かせた。入ってきたおかっぱ頭の女子生徒の顔に見覚えはなかった。

「僕たちの学年の生徒かな?」

「ううん、私、みんなの顔覚えてるもん。あんな子、うちにいないよ」

「……足がなかったら幽霊ってことだよな」

 泣きそうな愛の肩に手を置き、僕は少しだけ身を乗り出す。女子生徒はゆっくりと近づいてくる。もう少しで足が見えそうだ。大丈夫、そんなはずはない。そんなはずは……。

 彼女の足を確認し、僕は背中の毛が逆立つのを感じた。逃げなくちゃ。床のチョークを拾い、黒板に投げつける。その音に女子生徒が振り返る。今だ! 僕は愛の手を引いてドアへと一目散に逃げだした。


 ドアを出たところでそっと振り返ると、女子生徒が塩を握りしめてキョロキョロとしているのが見えた。危なかった、あれをかけられていてはひとたまりもなかった。


 この中学校が、夜は幽霊の学校になっているなんて、子供の頃は想像もしていなかった。

 あのキャンプの帰り道、僕たち三人を乗せたバスは事故にあった。運転手の悲鳴、急ブレーキの音、あの日のことは今でも昨日のことのように思い出せる。並んで座っていた僕たちは不運にもみんな死んじゃったわけだけど、今でもこうして三人仲良く授業を受けられるのは、この幽霊の学校のおかげだ。

 学校から出て一息つく。さっきはぼんやりと薄暗かった空は、少しずつ明るくなり始めていた。こんな早朝から生徒が登校してくるなんて、人間の学校の方も音楽祭が近いんだっけ。と、そこまで考えて、僕はまだ愛と手をつないだままだったことに気づいた。少し手に力を込めてみると、愛も手を握り返してくれた。照れたような笑顔を見て、幽霊に足はなくても手はあって良かったなと思う。

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ショートショート集 @makingmaki15

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