第6話【千尋の谷】

 リシャールが、アニュレ砦に斥候を送る前。アニュレ砦の司令執務室では、アルウィンが猛熊魔王配下の悪魔に対する対策を講じていた。


「リシャールは、アニュレ砦に向かって移動中。フェリシテは、ゴブリンの巣を叩いている。この状況で、アンベールは動いてくるかな?」


「まるで動いて欲しそうな口ぶりですな」


 僕は、副司令の間が抜けたような返答に鼻を鳴らして答える。僕が司令に着任してから僕の補佐をしてる男でも、僕の考えを読めないらしい。


「動いて欲しいんじゃない。動かしたいんだよ。アンベールと悪魔を戦わせて、仕掛けた召喚石を発動させるために……。それと、リシャールの成長も兼ねて、ね」


「リシャール殿?」


 副司令は、上髭を撫でる。


 僕は、司令席に深く腰を下ろす。天井を見上げて息を吐く。


「親はね。子を育てるためには、それなりの環境を用意するものなんだよ」


「リシャール殿を育てるために砦を危機に晒すおつもりですか?」


 副司令の太い眉にシワが寄る。


 副司令の怪訝は良く理解できる。それは当然のことだ。たった一人の成長のために重要な拠点を危機にさらすような真似など正気の沙汰ではない。


 少しは、僕の考えを噛み砕いて説明する必要があるだろう。


「まずは、アンベールの強さを確かめる。猛熊魔王配下の悪魔を捕らえたのはそのためだよ。それをイストワール側に放つ。現在、アンベールの対応を監視中だね」


「そうすると、当然。こちら側がけしかけたと疑われますな。そして、均衡を破ったことでイストワール側に攻められるでしょう」


 副司令は怪訝な顔を浮かべて、僕の顔を覗き込む。


「それが狙いだよ。アンベールの強さを測って、この砦を攻めさせる。そうしたら、リシャールに奪還させればいい」


「そんな!? ここが陥落したら!!」


「まあまあ、落ち着いてよ。陥落はしないよ。イストワール軍はすぐに撤退するから。ある理由があってね」


 僕は、書類に目を通してサインをする作業に戻る「責任は僕が取るし、君は止めたってことは伝えるからさ」と言った。


 僕は、悪魔をイストワール側に送り込むと同時に召喚石を設置させた。もし、イストワール軍が攻めてきたら、その召喚石を発動させる。


 召喚石の中身は、異界の魔王だ。イストワール軍は、その討伐に向かうためにアニュレ砦からは手を引くだろう。


 手を引かなければ、アニュレ峠から先のイストワール王国領は灰燼に帰す。


 無論、それほどの召喚石を使えば、使用者である僕にもそれなりの代償はあるけど。それは、リシャールに任せればいい。


 貴重な召喚石を使うのだから、リシャールには成長してもらわなければならない。


「司令、どうするのですか? いや、もう悪魔をけしかけた以上は、どうにもならないんですが……」


「君たちは、今までどおりの生活をしてくれればいい。君にしてもらいたいのは一つ、いや二つかな。これを草原のアニュレ砦の近くに置いてきてくれ」


 僕は、首にかけたロケットペンダントを外して、中の絵を取り替えた。椅子から立ち上がって副司令のもとに行く。


「これを無くさないでよ」


「これは? ロケットペンダント??」


 副司令は、両手でロケットペンダントを受け取ると中身の絵を見て、何かを思いついたような顔をする。


「貴方は、本当にリシャール殿の成長のことしか考えていないのですか?」


 僕は、ソファに腰を下ろす。


「君は、植物を飼育したことはあるかい?」


 副司令は、ロケットペンダントを懐にしまう。


「ありますが?」


「花を咲かせるまでは、水でも太陽の光でも与えるものだろう?」


「そのためなら、御自身の進退は鑑みないのですか?」


「そうだね。リシャールが勝ち馬になってくれれば、その背に乗ってるだけでいい。進退なんて気にしなくてもいいじゃないか?」


 僕は、リシャールの成長を夢想して口角を上げる。


 リシャールは、今回のリトゥアール奪還で名実ともにターブルロンド帝国の将軍になるだろう。アニュレ砦の陥落を通して、さらに成長を見せてくれるはずだ。


「もし、リシャールがこの砦に斥候を送った場合は、砦の旗をイストワール王国のものに変えるんだ。そのロケットペンダントを見て地下水道から砦に潜入すれば……。今回は合格だね」


 副司令は何かをいいたそうにしていたが、窓をたたく音に注意をそらされる。


 窓の外には、魔術で作られた鳩が、空中停止をしながらこちらを見ていた。


「アンベールの件の報告かな?」


 僕は、立ち上がると鼻歌を歌いながら窓を開けて、魔術で作られた鳩を迎え入れる。


(アンベールが、猛熊魔王配下の悪魔を一撃で消滅させました。そして、イストワール軍に動きがありました。悪魔の件を除き、全てはルグラン司令の仰る通りでした……)


 魔術で作られた鳩は、嘴をそれらしく動かして言う。


「……ベトフォン家歴代最強の剣聖。アンベール。僕の想像以上の強さのようだね。さあ、僕らのリシャールに活躍してもらおうかな」


 僕は、イストワール側のアニュレ峠に仕込んでいた召喚石を発動するように魔術で作られた鳩に伝えると、窓からそれを放つ。


 第二章第6話【千尋の谷】完。

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