第20話【責任】

 数日も離れていないのに、何年も離れていたような感覚がある。


 俺は、ターブルロンド帝国の将軍となった。馬車は、まもなく砦に入る。丘から砦を見た時に可能性や夢について考えた。灰色の城壁をキャンバスに想像を描いていく。


 幼少の頃、アルウィンと誓った『英雄』になると言った言葉。ボルドローを殺害した時に『皇帝』になると宣言したことも夢ではない。砦を見た瞬間にそのように感じたのだ。


「アルウィン様、おかえりなさいませ」


 俺は、女の声で夢想から覚めたように顔を上げる。馬車は、すでに砦の中に入っていた。


 高い壁の上には弓兵が、微動だにせずにアニュレ峠の向こう側を見張っている。


「フェリシテ、留守を守ってくれてありがとう。何も起きてないよね?」


 アルウィンは、馬車から降りずに座ったままで微笑を浮かべている。


「はい、イストワール軍に動きはありません」


 フェリシテは、俺を見ようともしない。俺が将軍になったことを知っているはずだ。自慢のひとつでも聞かせてやろうかと思っていたが、やはりいけ好かない女だ。


「フェリシテ、後で君の新しい役割について話がある。2時間後に執務室に来てね」


「はい、アルウィン様」


 俺は、フェリシテを睨みながら奥歯を激しく噛み締めた。こめかみから目に電気が走った。


 いずれは、俺の足元に跪かせてやると。この女だけではない。ありとあらゆる存在を俺の足元に。


「リシャール、怖い顔してるよ〜」


 アルウィンは、両手を両膝の上で組んで微笑んでくる。俺の反応をうかがうように。


「ふん……」


 ここで、怒りをあらわにすればアルウィンの思い通りになる気がした。


「まあいいよ。リシャールにも話があるからね。このまま執務室に行こう」


 アルウィンは、立ち上がると馬車から降りていく。俺は、フェリシテの顔を見ないように反対側から降りた。


 馬車は、納屋へと向かって移動をしていく。馬飼たちがわらわらと集まってくる。彼らは、いずれも平民だ。馬装を剥がすその姿は、物乞いのように見えてくる。


 俺は、その物乞いたちを一瞥すると主城門へと向かうアルウィンの後を追った。



「少しは落ち着いたかな?」


 アルウィンは、執務室の革張りのソファに深く背中を預けて座る俺に声をかける。


「あぁ……。でも、あの女の態度。将軍である俺を馬鹿にしてるのか!?」


 落ち着いたかと聞かれ、また怒りが再燃する。アルウィンは、ため息を付くと向かい側に座った。足を組んで、口の端をゆがめた。


「君は、一軍の将だ。フェリシテのことを気にしている場合じゃない。一騎士団の団長とは違う。何万という将兵を抱えるんだよ」


 それだ。俺は、心の中で呟く。それほどの力を持つ俺を無視するフェリシテ。あのようなクズどもを潰すことも可能なのではないか、と。


「彼女は、名門のご令嬢。政治的な立場は僕たちよりも上だよ。軍事力でどうにかできるものじゃない。君は……リシャール?」


 アルウィンは、俺の心を読んだようにつらつらと言い放つ。ゆっくりと立ち上がると近づいてきた。俺の肩に手を置く。鎧を外した服越しの肩にアルウィンの温もりが伝わってくる。


「君は、ルグランにとって政治的にも重要なポジションにあるんだ。もちろん、父上……僕に次いでだけどね。将軍は騎士道の模範になるべき存在だ」


 アルウィンは、俺の肩を何度も軽く叩く。まるで赤子を寝かしつけるように。


「皇帝や領主への助言。外交的にも重要な役割を担う。小さなことで腹を立ててたら、全てを失うことになる。権力にはね……」


 アルウィンは、俺から離れると「……大きな責任がともなう。君に求められるのは、武勇と忠誠と名誉。どれも将軍には重要な要素だ」と、大げさな口調で詩でも読み上げるように言う。


「俺には、どれも足りないといいたいのか……」


 俺は、精一杯の虚勢を交えて反論した。アルウィンの言うことは理解できる。戦史に書かれた無能な将軍の末路は嫌というほど読んできた。


「足りてると思ってるのかい?」


 アルウィンは、珍しく俺を見下すような表情で言う。煽るというよりも、軽蔑した──まるで太陽が、地表のアリを見ているような感じだ。


「……くっ!?」


 言い返せない。何も出てこない。悔しさ口の中で広がっていく。言葉にならず。


「無論、力も必要だよ。君に。だからさ。リシャールに力を与えよう。今は、エニカイタモチでも良い。これから学んでいこう。それまでは、僕が支えるよ」


(エニカイタモチ? 異界の言葉か? いやそれよりも……)


「力だ……」


「そう、前にギフトについて教えたよね。それを進化させるモノがあるんだ。この世界にはない。異界の秘薬なんだけど……飲む?」


 アルウィンは、手に持った翡翠色の液体の入った瓶を振る。表面が泡立つ。


 俺は、立ち上がるとアルウィンから瓶を奪い取る。それを一気に飲み干した。


 何か考えがあったわけでもなく、焦燥感からの行動だった。無味無臭のそれを胃の中に流し込む。しかし、何かが変わった気はしない。


「よし、得た力を試してみようか。訓練場に行こう。『フェリシテ』が来るまでに時間はあるからね」


「あぁ……俺も試してみたい。お前が言う『力』ってやつを……」


「……リシャール、君はまだまだ先に進まないと、だよ。ここが、ゴールではないからね」


 俺は、空になった瓶をソファに投げ捨てるとアルウィンとともに訓練場に向かう。


 第一章第20話【責任】完。

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