第11話【人外の領域で】

 狭いテントの中は、魔物の血なまぐささで汚染されている。返り血をあびた鎧。汚れた剣。


 今は、会議中だ。アルウィンたちが到着して、今後のことを話し合っている。


 俺は、この空気にうんざりとしていた。


 仕方ないこととはいえ、だ。ここは、ゴブリンの食肉解体場かと言いたくもなる。


 アルウィンたちは、アニュレ砦からの道中、ゴブリンの群れに襲われたらしい。


「そんなに嫌そうな顔しないでよ。リシャール。今のところは、うまく行ってるじゃないか。あはは。順調、順調だよ?」


 アルウィンは、微笑みを浮かべる。ゴブリンの群れに襲撃されたことなど気にしてもいないようだ。


「アルウィン、雨の件は? 今は、木の龍の月だぞ? 雨は降らない季節だ。しかも、アニュレ峠の一部だけ。それに、臆病者で、サルくらいの心臓しか持たないゴブリンどもが襲撃をかける……。明らかに異常だ」


 俺は、アルウィンだけではなく他の騎士どもの顔を見回しながら、不審点をあげた。


「リシャール団長、異常といえば。数名の騎士の行方が分かっていないそうですね。何故かしら?」


 フェリシテは、ずいぶんと意地の悪い口調で俺を詰問してくる。少なくとも、俺にはそう聞こえた。


「知らん。それよりも、アルウィン。どうなんだ? イストワールが……。いや、アンベールが何かを仕掛けたのではないのか!?」


 俺は、アンベールに先を越されたのではないかと考えている。


 そうだとすれば、面白くはない。英雄を英雄にしてしまう手伝いをしていることになるのだ。


「リシャール団長っ!? 配下の騎士は消耗品ではないわ?」


「フェリシテ、落ちついて。それに関しては、僕が調べるよ。そのうえで、リシャールに落ち度があれば責任は取らせる。リシャール、みんなの前では。アルウィン司令と呼んでほしいな……」


 フェリシテは、アルウィンに謝罪した。わざとらしく、俺とは目を合わせようとはしなかったが。


 傲慢女の言う数名の騎士とは、ネズミの後を追わせた近習の男とその監視役だろう。


 あとは、把握していない。


 いつ見ても、余裕そうな涼しげな顔立ちに心が落ち着かなくなる。フェリシテ、この女もいずれは……


「リシャール。ゴブリンどもは、誰かに誘導されたわけではないし、雨に関してもね。過去に木の龍の月でも降ったこともある。気持ちの高ぶりは、間違った判断を下すことになるよ。団長? 落ち着くんだ」


 俺は、いつも余裕の表情を崩さないアルウィンを心強く感じていた。


 あの地獄から、救ってくれたからだ。貴族という敵だらけのなかで、味方でいてくれたからだ。


 しかしながら、覇道を目指したあの夜に考えが変わった。


 アルウィンのすべてを見抜いていると、言わんばかりの態度。


 気に入らない。俺は、軍議テーブルの下で拳を握りしめる。いつまでも、庇護下にいるものか、と。


「報告します」


 指揮所に声が響く。皆の視線が、出口に注がれた。これ以上、何があるのか?


 アンベールでも、攻めてきたのか。それとも、猛熊魔王が……


「ブラッカー隊長、イストワール王国側に向けて逃亡。魔王は、それを追撃しているとのこと。残念ですが、魔術隊は全滅しました」


 テントが、揺れる。風が吹いたのだろう。まるで、魔術隊の断末魔を運んできたようだ。


 あのネズミが、ブラッカーという名前だったことを思い出した。どうでもいいことだ。


 ネズミは、うまくやった。それならば、あとは魔王サマに頑張ってもらうだけである。


「分かった。ご苦労だったね。ゆっくりと休むといい。そうか、魔術隊は全滅か。死ぬときは、一緒だったのかな……」


 アルウィンは、俺に返事を求めるような視線を投げかけてくる。何の話だ、と俺。


「リシャールの近習のことだよ。名前は、アデルモ。そしてね。アデルモの恋人は、魔術隊の付与術師リージーだったんだ。知らなかったのかい? ふたりは恋人同士だったってことを?」


 アルウィンは、背中をまるめて哀れみをこめたような表情で、どうでもいいと思える事情を話した。


 俺にとって、覚えておく必要もない名前であり、人間関係である。


 アニュレ峠の魔術隊を救いたがっていたのは、そういうことかくらいの感想だ。


「アデルモが望んだ通りの結末ならいいと思うよ。魔術隊の補充は、父上に頼んでみよう。その代わり、魔王の首級は……必ず上げないとね」


 アルウィンは、微笑んで軍図に置かれた駒を持つ。ゆっくりとアニュレ峠の国境に置いた。


 猛熊魔王は、アンベールにどれほどの傷を負わせるだろうか。魔王の称号を得た魔族。


 悪魔たちを従える力とやらに期待したい。昔、人間は悪魔にすら勝てなかった。


 人間には、不可能であったはずの悪魔殺しを成し遂げたのは、ベトフォン家である。


 そう、アンベール・ベトフォンの先祖だ。


 彼らの家系は、非人間種を思わせる力を持っていると言われる。


 だからこそ、今回の作戦に対して否定的なものも少なからずいるのだ。


 猛熊魔王の強さは悪魔よりも上なのだが、一般的な魔王と比べれば、弱小である。


 それは、手下の数や魔王自身の強さも含めたことだ。当然、縄張りの範囲も含める。


 しかし、俺は思う。どれほどの剣聖であろうとも、相手は魔王。


 たとえ、雑魚でも人間をはるかに凌駕する魔力を持っている。


 アンベールが勝利したとしても、無傷ではいられない。必ず間隙ができる。


 俺は、その時のシーンを想像した。心の底から歓喜している自分がいる。


 まさに、英雄と呼ばれるに相応しい覇道の第一歩だ。見据えるさきには、玉座が見える。


 皇帝となった俺に、ひれ伏す太陽どもを踏みつけるのは、新たな太陽。


 黒曜石のような……


 アンベールは、俺のために生まれてきてくれたような存在である。


 せめて、死の瞬間に感謝の言葉を送ろう。


「素晴らしい……」


 アルウィンは、俺の方を見ると「うん? それは良かったね」と目を細めた。


 俺は、心のなかで呟いたはずの言葉が、口に出ていたことに気付く。


 誤魔化そうと咳払いをする。テントが、揺れた。風ではない。地響きとも違う。


「あら、こ、これは魔力の波動かしら? アルウィン司令、こ、これはッ!?」


 フェリシテは、蒼白した顔で立ちあがる。椅子が、勢いよく倒れる。


 外から叫び声が聞こえた。


 それは、雄たけびであり、悲鳴であり、断末魔である。まるで、戦場のような。


「ふーっ、やれやれ。魔王が来たか。総員、防衛戦の準備だ。重厚兵を招集。指揮所を死守する。弓、魔術兵は、陣外から支援させる。リシャール、英雄になるチャンスだよ。向こうから来てくれたね。準備はいいかな?」


 アルウィンの態度は、フェリシテとは大違いだ。慌てる様子もなく、どっしりと構えている。


 口調も普段と変わらない。他人を食うような冷静さもいつも通りだ。


 一方で、俺は狼狽していた。


 どういうことだ。魔王は、ネズミを追ってイストワール側に向かったのではなかったのか。


 ネズミが追いつかれ、殺されたにせよ。こちら側に来るのが、はやすぎる。


 周りの騎士たちは、次々と立ち上がっていた。重厚兵招集の呼笛が、はやくも陣内に反響している。


 俺は、剣を握りしめた。すべて、想定外。すべて、思慮の外。戦いはすでに、始まっているのだ。


 英雄になるチャンスだと……


 アルウィンの言葉が、頭の中に響き渡っていた。


 第一章第11話【人外の領域で】完。

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