第7話【はじめての決断】

 俺は、太陽が嫌いだ。


 それは、芸を仕込まれるのも、芸を見せるときにも、何事もないように輝いているからである。


 太陽は、いつだって傍観者だ。そして、貴族の言葉は、太陽の言葉だと誰かが言った。


 地べたを這いずるだけの下民は、仰ぎ見るだけの存在。それが、貴族だ。


 俺は、今。ボルドローの処刑を執行するために地下牢を目指して歩いている。


 カビ臭い壁に埋め込まれた魔術石が放つ灯火のみが、この地下牢の光源だ。


 どこから漏れているのか、水滴が落ち床を叩く音が遠くに、近くに聞こえる。


 軍靴の心臓をえぐる音が、虚しく響く。罪人にとっては、処刑台への鎮魂曲なのだろう。


「お貴族様にとっては、絵に描かれた終局といったところだろう。想像を絶する地獄だな……」


 俺の独り言は、地下へと降りる階段の奥へと運ばれていく。


 息苦しさを感じる。顔に張り付いてくる不気味な空気が不快だ。


 ときおり聞こえてくる唸り声が、どこまでも落ちていく闇の底によく似合っていた。


 俺は、数分間くらい階段を下り続けただろうか。薄暗闇のせいだろうが、非常に長く感じられた。


 最後の一段を下ると、開けた場所にたどり着く。


 部屋には、拷問器具が無造作に置かれていた。腐食した臭いと鼻を突き破る刺激臭がただよう。


 俺は、壁に貼り付けにされている二人の男を見つけた。


 二人ともに全身が、腫れ上がっていた。ボルドローは、腐ったりんごの木のような有様だ。権威の象徴であった儀礼服は、剣傷で見るも無惨なボロ切れとして、足元に泥まみれにされていた。

 

 壁に貼り付けにされていなければ、床に倒れ込んでいるはずだ。そうなれば、死体と間違えてもおかしくはない。


「生きているのか? いや、死んでないだけだな」


 俺の声は、壁にぶつかって自分に返ってくる。ふたりとも痙攣を起こしたような反応をした。


 アルウィンに言わせれば、聞きたいことを聞いただけなのだそうだ。


「た、助けてください」


 ボルドローの横にいた男が、声帯が潰れているのか、かすれた声で必死に訴えかけてきた。


 体をくねらせながら、芋虫のような動きでこちらを見てくる。


 首や手首や足首などにつけられた鎖が、金属の擦れ合う音を響かせた。


「お前を殺せとは命令されていない。安心しろ」


 俺は、鞘から剣を抜く。ゆっくりと歩いて、ボルドローの顎に剣先をつけた。


「違います、ボルドロー子爵を助けて頂きたいのです。貴方は、ルグラン家に飼われている方ですよね?」


 男は、何度もボルドローの代弁をするように命乞いをしてくる。


 ボルドローは、低い声で唸るのみであった。人の言葉を忘れるほどに拷問をされたのだろうか。


「飼われている? そうなんだろうな。お前たちから見ればな」


 俺は、剣先にボルドローの顎を乗せる。男は、ますます慌てて金切り声を上げて体を揺らした。


「身代わりになりますっ!! ボルドロー子爵は、子爵だけは解放してくれませんかっ!!」


 手のひらを返すものが、多かったボルドローの部下の中にも忠義に厚いものもいるのかと感心した。同時に、この男のどこにそこまでの勝ちがあるのだろうと疑問も生じる。


「アルウィン子爵は、ボルドロー子爵の死体を確認したのちに私を解放すると約束してくださいました。だから、身代わりになりますっ。ボルドロー子……様には、生きてもらわねばっ」


 俺は、ボルドローの顎から剣先を離した。男は、安堵の表情でため息をついた。


「なぜ、そこまでしてこの巨漢を守ろうとする? 忠義と言うやつか?」


 意外なことに男は、首を横に振る。どうやら、忠義ではないようだ。


 俺は、あえて憐れみの感情を込めた表情を作ってボルドローを凝視した。


「ボルドロー様の身代わりとなれば私の家族が解放されるのです。しかし、ボルドロー様が処刑されたら家族はどうなりましょう……」


 男は、それだけを言うと覚悟を決めたように目を閉じた。力づくで、両手を合わせようとするが、手枷を虚しく鳴らせるのみである。


 小さな声で、誰かの名前を呟いているようだ。


 おそらくは、ボルドローに捕らえられた家族の名前であろう。


 家族のために自らを犠牲にする。字面としては理解できるが、その心まではわからない。


 俺は、剣を握る手に力を込めた。選択を迫られているのだろう。


 命令どおりに、ボルドローを処刑するのか。


 身代わりの提案を聞き入れて知らない男を殺すか。


 もっと言えば、家族を解放すると男に約束をしたボルドローの言葉を信じるか。


 ボルドローの死を確認したら、この男を解放すると約束したアルウィンを信じるかだ。


 どちらにしても、太陽の言葉である。


 俺の目の前にふたりの男が、自由を奪われて立ち尽くしている。


 俺は、ふたりの男の生殺与奪を握っているのだ。かつて握られていた立場から、握る立場へと……


 俺は、奥歯を噛み締めて太陽たる剣を振り上げた。





「リシャールに、加虐嗜好があるなんてね。長く付き合っても分からないものだね?」


 アルウィンは、顔の潰れた死体を興味深げに見つめていた。


 俺は、平静を装うために鼻で笑う。


 もうひとりの男は、体を抱え込んで震えている。


 アルウィンは、顔の潰れた死体を運ぶよう部下に命令をした。


「リシャール、その男は解放していいよ。約束だからね。良くやってくれたね……」


 アルウィンは、軽く微笑んで俺の肩に手を置いた。俺の額から汗が滴り落ちる。


 俺は、一言も発することもなく男の襟首を掴んで砦の裏門に向かう。


「あ、リシャール……」


 アルウィンの鋭い声を背中に受けて、俺はゆっくりと振り向いた。


「なんだ?」


「うん、なんでもない。早く戻ってきてよ。君に朗報があるんだよ?」


 俺は、片手を上げて答えた。男の襟首を握る手に力を込める。


 今は、朗報などどうでも良かった。とにかく、この男を野に放ち、どこへなりとも逃がすだけだ。


 アルウィンは、何かを察しているのだろうか。いや、関係ない。これは、俺が決めたことだ。


 砦の裏門を抜けると、街道まで男を引き釣り回した。一度も砦を振り返ることはない。


「さぁ、もういいだろう……。あの男との約束を守ってやれ」


 俺は、男の襟首を離した。男は、立ち上がるわけでもなく肩を震わせている。


「クッ、ククク……」


 男は、笑っているのか、唸っているのか、どちらとも取れない低い声をたてた。


 肩を揺らす男が、真っ赤に腫れ上がった顔を上げた。膨張した口の端を歪める。


 第7話【はじめての決断】完。

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