事後に知る

黒部雷太郎

第1話F県へ向かう

 火星が地球に大接近したある年、私は36歳になり初めてF県を訪れようとした。


 私には数年前から、恋人がいなかった。その年の暮れに彼女と、同棲するつもりだったのだが上手くいかなくなってしまったのだ。2人で住まいを探しているうちに、お互いの好みがくい違い、口論へと発展したのが破局へと繋がっていった。

 彼女が別れを告げると、私は結婚もしていなかったのに成田離婚という、昔の4文字が頭に浮かんだ。休日に食事をする、相手のいなくなった私はいつも通っていたパスタの店へ行くのをやめ、隣駅の裏路地にあるうどん屋を訪れるようになった。

 そして週末の夜に、時折職場の女性と居酒屋で時間を過ごしたが、相手とそれ以上の関係を作ろうとはしなかったのだ。また高級イタリアパスタ店で、料理人として雇われてから、安いアパートに引っ越したため金には不自由しなくなっていた。

 

 その年に私が、F県へ行くことになったのは、ちょっとしたきっかけがあった。私の勤めている店で、新型感染性のウイルスによるクラスターが発生したのだ。幸いにも私は陰性で済んでいる。

 それでも行政からの要請もあり、店長は全従業員を1ヵ月の休業にする決断をしたのだ。またその間に、店は大規模な改装工事を行うことになった。そして私は、これまでの料理人としての、功績により店長から国内旅行券を贈られたのだった。

「せっかくの機会だから、これで羽を伸ばしてきなよ」

 店長がそう言って贈り物をくれた時、私は旅に際し新型感染ウイルスに対する、十分な対策があることを知らされた。


 私は帰宅すると、旅行のパンフレットを見て店長の言っていたことを、理解することができたのだ。そこには、都内を通過しないでF県に行き、指定された場所に行けば安全であると記載されていた。

 これまで私が、旅をする場合にほぼ東京駅を経由していたため、その行程はかなり珍しいものであった。でも私は次第にF県に興味を抱いていったのだ。そして旅行代理店で、F県へ行くコースを選んだ。またそれは、1週間を自由行動できるものだった。

 

 当日私は最初に乗るバスの来る、予定の一時間前に家を出てコーヒーショップへ行った。そこでF県へ着くまでの道のりを、再確認している間にすぐにバスの発車時間近くになっている。慌てて店を出てバス停へ向かったが、正面の30メートル先に見えたバスはすぐに私の脇を通り過ぎて行った。

 最初の段階で、旅行代理店の決めた時間を守れなかったため、進路変更するしか解決方法はなかった。私は旅行のパンフレットに記されていた、店の電話番号へ連絡してみたがまだ営業時間前で、電話は繋がらなかったのだ。

 それから仕方なく、1キロほど離れた別のバス停へ歩いていくと、最近はやり出した無人タクシーが数台路肩に停まっていた。それはAIが操縦するスポーツカータイプのタクシーである。


―今日はタクシー半額サービスの日です。乗って行きませんか?―

 AIから私に向けての音声が聞こえてきた。

私は少し迷ったが、バスから電車に乗り継ぎとなる時間を確認して無人タクシーを使うことにした。それから車のドアに書かれている、操作方法を読み幾つかのタッチパネルで個人情報などを入力したのだ。

 それからタクシーは、ランボルギーニカウンタックのように、上へドアが開き私は後部座席に乗り込んだ。この車でバスを追い越したあたりで降りるか、直接F県まで行ってしまうかの二通りの選択肢がある。

―行先の県名を言って下さい―

 私が考え込んでいると、さっきより高音の音声でAIが問いかけてきた。

「F県まで」

 私はそう言ってから、都内に進入しないコースで行くようつけ加えた。

 助手席の全面にあるモニターに、地図が映り都内を避けF県へ着く道のりが出ている。その表示はまるで、野球のピッチャーがシュートボールを投げた軌跡みたいに、ある地点で左に曲がりそのままF県まで続いていた。

 

 車がゆっくりと走り出し、柔らかい背もたれに身を任せて目を閉じると私は眠くなって、熟睡して意識を失くしたのだ。それから私が目覚めたのは、スマホの着信音が鳴ってからだった。

「お客様、予定のバスに乗車していないので連絡をしました」

 少し取り乱した旅行代理店の担当者声が聞こえた。

「すみません。乗り過ごしたんですよ、無人タクシーで行きます」

「それなら直接F県に着くんですね?」

「はい。でもホテルまでの行き方が分からないんです」

 私はF県に入ってから、どのようにしてその先のホテルまで着くように、車へ設定すればいいのか理解できなかった。

「心配ありません。無人タクシーのナンバーを教えて下さい、こちらから遠隔操作で登録します」

 車のナンバーを調べるために、停車するようにAIへ指示を出したが、何の反応も無く無人タクシーは進んでいる。

「車が停まらないので、ナンバーが分かりませんよ」

「仕方がないですね。F県に着いたら、また連絡して下さい。こちらではどうしようもありません」

 電話が切れてしまうと、私は不安になったがシートの上でなすすべもなく外の

景色を眺めていた。

 

 やがて天井からA4サイズの、モニターが降りてきて将棋盤の画像が映し出された。一目見て詰将棋として駒が配置されているのが分かった。持ち駒は桂馬一つと香車二つである。

―その詰将棋の問題を解いて下さい―

 AIは私に指示を出した。

「なんで、突然そんなことをしなくてはいけないんだ?」

―この車のナンバーを、教えるにはその問題に正解する必要があります―

 私はAIの考えがよく分からなかったが、相手とのやり取りを面倒に感じて、詰将棋を解くことにしたのだ。

「少しヒントをもらってもいいか。初手から選択肢が多すぎるんだよ」

―本当は駄目なんですが、何手詰かだけを教えましょう。11手詰の問題です―

 それを聞いただけで、正解することを諦めかけたが30分位モニターを見つめ続けた。そして頭の中で駒を動かし、思考回路が鈍くなるのを感じたが、何とか11手で玉を詰ます答えを見つけたのだ。

 

 私は持ち時間が、終了したことを告げられ将棋盤の画面近くにある、キーボードで初手から回答を入力した。

―正解です。でも完全に正解して下さい―

「なんだ、完全に正解するって?」

 車内に聞きなれない電子音が響いた。私はパチンコ店で、フィーバーしたような気持ちになった。

―入力するときに、正しい言語が打ち込まれていませんでした―

「どんな言語が必要なんだ?」

 私はAIに要求された内容に驚いた。

―駒を移動させた後に、1二角成や2三同竜などの言葉です―

「そんな言語はどうでもいいじゃないか!正解だったんだろ」

 怒りが込みあげてきて、大きな声を出したがAIはそれを認めなかった。やがてタクシーが、車道脇へと進路を変え走行を止めたのだ。

―反抗する気ですか?―

「当たり前だ。もう車のナンバーなんてどうでもいい」

 

 我慢の限界がきて、車から降りようとするとサイドドアが大きく開き、歩道に体ごと放り出されたのだ。

 私が寝ころんだまま、路上を見ているとブフォーンというエンジン音が鳴り、タクシーはUターンをして消え去ってしまった。

 

 そしてゆっくり、起き上がろうとしたがその必要はなかった。背後から何者かが私の両肩を掴み高々と持ち上げたのだ。

「誰だ?直ぐに下ろせ」

 そう叫んだだけで、意外にも相手は私を地に下ろした。恐る恐る後方へ顔を向けて、そいつの姿が認識できたのだ。私の体を持ち上げていたのは茶色のサングラスをかけた大男である。

「ついて来い」

 野太い声で胸板の厚い男が脅すように言った。

「誰だあんた。俺をどこへ行かせようとしているんだ」

「私は正しい言語を指導する人間だよ。近くの管理事務所に来てもらうぞ」

 男は斜め右上のビルを指差している。きっとその中に連れて行こうとしている管理事務所があるのだろう。

「わかったよ」

 

 私はその場から、逃げてもよかったがそこへ行くことにしたのだ。

 男の後について、横断歩道を渡り5階建てのビルに入ると、管理人の老人が窓越しに私を見てから男に何かの合図を出した。やがてエレベーターを使い、3階へ行くと背の高い女が一人待機していた。






























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