異世界エリート〜クソ雑魚スキルのせいで追放された元エリートサラリーマンが最強の魔導士と呼ばれるまで〜

佐倉田家族

第1話 プロローグ〜エリートサラリーマンとダメ社員〜

 深い闇の中に落ちていく最中、後悔していた。


 いつもそうだ、自分はどうしていつも肝心なところで選択肢を誤るのだ。

 山田の連絡を無視して真っ直ぐに病院に行けばこんなことにはなっていなかった。

 そもそも、課長からの相談を受けていなければ。

 厄介なことに巻き込まれることは、わかりきっていたのに。


 数時間前


「折いって、島田くんに頼みがある」


 課長から呼び出される。

 入社して八年が経ったが、課長に頭を下げられたのは初めてのことだった。


「なんでしょうか」


 嫌な予感がしていた。課長が顎髭を親指でいじりながら言いにくそうに何かを話す時、たいてい、それはろくでもない案件だったからだ。


「実は、山田の件なんだが」


「お断りします」と頭を深く下げる。


「早いな! まだ、何も言ってないぞ!」


「大体、想像がつきました。それでは、失礼します」ときびすを返そうとする。


「察しが良すぎるな。さすが営業成績五年連続ナンバーワン。エリートサラリーマンだな」


「……エリート?」


「ああ、君ほどのエリートサラリーマンを私は見たことがない。エリート中のエリートとは君のことかもしれんな」


 昔から本名の襟人という名前からか、「エリート」とという言葉に私は弱かった。これでは、用件を聞かざるを得ない。


「山田くんの件、でしたね」


「……(ちょろいな)」


「なんですか?」


「いや、なんでもない。話を進めようか」


 山田は昨年入った社員だ。

 私と同じ営業職として配属されたが、成績は悪い。

 悪いいうよりも、全くのゼロだった。

 つまり何もしていないのと同じことだ。


 本来であれば、上司である係長が指導をするはずだが、山田は専務の息子だった。

 当然のようにコネで入社した期待されていない社員だ。

 どんなに悲惨な成績でも誰も強く責めることはできない。

 そこにあぐらをかいて、山田の勤務態度はどんどん悪化していった。


「君もわかっているとは思うが、山田は専務の息子だ。しかし、同時に新人としてしっかりと教育しなければならない。山田の悪評は専務の耳にも届いている。専務は、悪評がたつのは、我々がしっかりした指導をしていないからだとお思いなのだ」


「私に指導しろと?」


「君は、社内でもとびきり優秀な社員だ。エリート社員だ。エリート中のエリートだ。だからこそ、君と一緒に仕事をしていると聞けば、専務も安心されるだろう」


「ヒラ社員の私であれば、管理職の方々と違い気兼ねなく彼に指導をすることも可能でしょうからね」


「まあ、そう言うな。係長は小心者で、山田の顔を見ると専務の顔とシンクロして胃が痛くなるそうだ」


 社内きっての強面である専務の猪のような顔を思い浮かべる。

 しかし、山田の顔は専務とは全く似ていない。

 心理的なプレッシャーが幻覚を見せるのだろうか。


「承知しました。しかし、翌月は妻の出産を控えていまして。私も休みを取らせていただくのですが」


「問題ない。少しの間でも、君がついていたということが重要なのだ。男の子だっけ?」


「女の子です」


 この話をしたら、妻の絵里がまた怒りそうだな。

「そんなこと、君がやる必要ないじゃん」と。

 誰かから強く頼みごとをされると断れない。

 我ながら損な性格だが、それを全てこなしていったおかげで、成績も給料も高くなっていったのは事実だ。

 今回も、この「仕事」をうまくこなせる、そう思っていた。


 会社のビルの屋上で、山田は座り込みスマートフォンをいじっていた。

 口にはタバコをくわえている。

 春の風が煙を島田に向かわせ、咳き込む。


「禁煙ですよ」


「あ、屋上もダメでしたっけ?」と山田はスマートフォンを見たまま答える。


「ダメですね」


 山田はだるそうに携帯用の灰皿にタバコを擦り付ける。


「島田さん『異世界行きてー』って思ったことあります?」


「いせかい?・・・・・・・なんですかそれは?」


「あ、知らないですか?『異世界行ったらチートスキルで無双しました。』みたいなやつです。トラックにひかれて死ぬと剣と魔法の世界に行って、そこで与えられた自分だけが持ってる特殊技能で無双しまくるみたいな」


 昔から本屋に行くことが好きだった。

 本屋で好きなコーナーは主に小説、ビジネス書、新書のコーナーだけだが、確かに、ここ最近、そういった本をよく見かけるようになった気はしていた。


「なるほど、ここ数年の謎が解けました。そういうジャンルが流行っているのですね」


「島田さんは、そういうの興味なさそうだもんなあ。面白いから読んでみるといいですよ」


 山田の話に少しばかり興味は持ったが、そんな雑談をするためにここにきたわけではない。


 咳払いをして、「山田くん。今は休憩中ですか?」と聞く。


 山田は悪びれもせず、「あー。っすね。まあ、ちょっと気分悪くなっちゃったんで」と答える。


「そうですか。では、早退されたらどうですか?」


「んー。ま、早退するほどでもないっていうか」


「では、ここで私も君の気分が良くなるまで待ちます」と、山田の隣に座る。


 山田は初めて視線をスマートフォンから私の顔へ移した。


「……島田さん、もしかして『指導しろ』とか課長に言われました?」


「その通りです。よくわかりましたね」


「わかりますよ。今の今まで、全く話しかけられたことない人からこんなに接近されたら。はーっ。面倒くせ。島田さん、俺のことなんてどうでもいいでしょ? 放っておいてくださいよ。父には島田さんから、とても素晴らしい指導を受けてるって言っておきます」


 一瞬、それならいいかとも思うが、根本的な解決にはならないな、と思い直す。


「……山田くん。なぜ、そんなにやる気がないのですか?」


「逆に、島田さんはなんでそんなにやる気があるんですか? 社長にでもなりたいんですか? コネなしの平社員で社長になるなんて、島耕作でもない限り無理でしょ?」


「島耕作?」


「島田さんて、何も知らないんですね」


「すみません」


「謝らないでくださいよ。冗談です。で、なんでそんなにやる気あるんですか?」


「そう、ですね。やる気というより、仕事をしていないと自分のことが嫌いになりそうだから、かもしれません」


 山田は初めて聞いた言葉を聞き返すように「自分を嫌いになる?」と聞き返す。


「頑張れば頑張る分だけ、自分のことを好きになれます」


「島田さんて学校とかでも真面目に授業受けるタイプでしょ。生徒会長とかやりそー」


「はい。中学、高校と三年生の時は生徒会長でした」


「はは。見た目どーり。島田さんて僕の一番嫌いなタイプかも」


「はっきり言われると、少し悲しいです」


「はは。面白いなー島田さんは。後輩にこんなこと言われたら、怒っていいのに。わかりました。島田さん。ちゃんとやります。でも、少し待ってもらえませんか?準備できたら、連絡します」


「準備?」


「僕にも、色々、整理したいこととかあって。ちょっとだけ一人にしてください」


「……わかりました」


 それから、デスクに戻り、仕事を続けた。

 しかし、いくら待っても山田から連絡が入ることはない。

 何度かもう一度、屋上に行こうかとも思ったが、彼にも思うところがあるのかもしれないと、思いとどまり、その言葉を信じて待つことした。

 やがて、定時を回り、職場の人間は少なくなっていく。

 時計の針が夜の八時を回る。

 スマートフォンに連絡が入る。

 山田からだと思うと、それは知らない番号だった。


「島田さんの携帯ですか?」と女性の声がした。


「はい、そうですが」


「私、絵里さんが通われている病院のものですが、絵里さんが今日、破水されて、緊急で手術することになりましたのでご連絡しました。すぐに今から言う病院に来ていただけますか?」


「わかりました!」


 予定日よりも五週間も早い。

 明らかな早産。早産は母子ともに体の危険が高い。

 焦り、すぐにカバンをとって、会社を出ようとする。

 しかし、魔が悪いと言う言葉は、この時のためにあるように、スマートフォンが音を出す。

 迷いながらも、電話を取る。


「島田さん、まだ会社にいますか?」


「山田くん。申し訳ないが」


「俺、今日でこの世界から消えようと思います」


「え?」


「異世界に行くんです」


 意味がわからない。しかし、山田の声に嘘はないようだった。


「何を言っているのかわからないが、早まるのはやめなさい」


「じゃあ、さよなら」


「山田くん!」


 気が付けば、階段を走っていた。


 何をしているんだ、こんなことをしている場合じゃないだろ。

 最愛の妻とこれから生まれる子どもの命の危機に、なぜ、全くもってどうでもいい専務のバカ息子の戯言を信じて、逆方向に走っているのだ。

 病院に行け、今すぐだ。


 頭の指令に反するように、体は屋上へ向かっていく。扉を勢いよく開く。


 転落防止の柵の向こう側に山田は立っていた。


「山田くん!」


 大声で呼びかける。


「あ、島田さん。すいません。来てくれなくてもよかったのに」


 こちらの緊迫感と正反対に山田は昼間と同じテンションで答える。


「馬鹿なことはやめなさい」


「はーっ。そういう定型文みたいなセリフって島田さんが言うと違和感ないっすね。なんでだろ」


「悩みがあるならいくらでも聞きます。だから、まずは、そこから戻ってきなさい」


「いや、言ったってわからないでしょ。島田さんは、結婚して子ども生まれて仕事でもうまくいってて、この世界の勝ち組でしょ? 勝ち組の人に、俺の気持ちとか絶対わかんないって。生まれてから一回も勝ったことないんだよ、俺? たまに勝ったとしてもそれは全部親父の力。みんな、俺の顔なんて見てねーの。俺の後ろにいる親父の顔ばっかり見てる。それってさ、俺の存在ないのと同じじゃね。だから、この世界では俺は無意味。透明人間なんだよ。わからないでしょ、こんなこと言っても。勝ち組の島田さんにはさ」


「わかりません。私はあなたじゃないから。でも、話を聞くことはできる」


 山田は舌打ちをして小さな声で何かを呟いた。しかし、風の音で聞こえず「なんですか?」と聞く。


「じゃ、こっちにきてよ。安全なところで、説教されても響かないからさ」


「それは」


「こっちに来れないなら帰れよ。意味ねーから」


 地上20階。

 高さは100メートルを超す。

 ここから落ちれば間違いなく死ぬ。

 そんなことは、子供にだってわかる。

 だから、決して柵を超えては行けない。

 震える脚を拳で二度ほど殴ったのち、柵に手をかけてよじ登り、山田の隣まで行く。


「これで聞く気になりましたか?」


「はは。島田さんて、思った以上に狂ってるんですね」


 スマートフォンが再びなる。おそらく病院からだ。


「出なくていいんですか?」


 でたい。出るべきだ。スマートフォンをぎゅっと握りししめた手を離し、「ここから戻ることの方が先決です」と山田に手を差し出した。


「悪いけど、戻る気はないです」


「なぜですか。死んでもいいことなんて一つもないんですよ?」


「ありますよ」


「なんですか?」


 沈黙のあと、やがて、山田は呼吸を荒くし、顔を上気させ、快感を味わうように言った。


「あんたの顔を見なくて済む」


 瞬間、山田は飛び降りた。そして、その手を島田は掴もうとし、そして自らも体制を崩し、深い闇の中に吸い込まれていった。


 私はまだ知らない。


 これから異世界での長い旅が始まることを。


 そして、その世界で最強の魔導士と呼ばれるようになることを。

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