太宰が拾われた日

詩舞澤 沙衣

第1話

 しかし、私は賤民でなかった。ギロチンにかかる役のほうであった。私は十九歳の、高等学校の生徒であった。クラスでは私ひとり、目立って華美な服装をしていた。いよいよこれは死ぬより他は無いと思った。 

 私はカルモチンをたくさん嚥下したが、死ななかった。

『苦悩の年鑑』太宰治


 たいへん恵まれた人生を送っていた。それ故に、自殺しなければならなかった。この境遇をどうやっても他者に説明しようにも、理解されないだろう。大地主の家で、父は国会議員で、金ならいくらでもある、地方の名士だった。ただ、つまらなかったのだ。芸術も教養もない家で、だらんと過ごし、日々が過ぎていくのが厭だった。本を読むことは好きだった。もし、いつか職業というものが必要になるとしたら、僕は国会議員ではなく、小説家を選ぶだろう、と思った。

 当時周りには、様々な思想があった。博愛主義。救世軍。人道主義。プロレタリヤ独裁。僕は、一番最後の思想に傾倒した。ただ、一点問題があるとすれば、僕は「ギロチンにかかる役」であったことだけだ。周りの運動者に金をせびられて、思想に冷めていく自分に気づく。

 つまらない人生だ。まだ数十年と生き続ける未来を思うと、どうして世の人間が「長寿の秘訣」などを日々模索しているのか、分からなかった。なにが楽しい? 生きていて、楽しいことなんて、あるんだろうか?

 思い立って、僕は貧民街を歩く。街の誰よりも目立って華美な服装をしているのが、厭でもわかる。きっと歩いていれば、追いはぎにでも襲われるだろうか? 児童誘拐事件に巻き込まれるだろうか? なんにせよ、死ぬことができるのならば、何でもいい。もう少し裏に行けば、違法薬物の売買に立ち会えるかもしれない。小さくて金がありそうな少年の前だったら、薬物を融通してくれないだろうか、などと夢想する。

 自殺。それだけが、僕の救いだった。


 貧民街を一頻り歩いて、みすぼらしい身なりの人間を見物するだけの散歩が終わる。なんだ、父があんなに危険だから近寄るな、と言っていたのに、大したことないじゃないか! すっかり僕は不貞腐れていた。あの声が聞こえるまでは。

「*****の用意が出来たぞ。首領には内緒だ。横暴な首領に見つかったら、俺たちの取り分がなくなるからな」

違法薬物の名前を挙げ、小さな錠剤の入った袋を手渡す男たち。首領とは、ここ一帯を取り仕切る闇組織、ポートマフィアの長のことだろう。ちょうどいい。あまりに、都合がいい。

「ねえ、おじさん。それ、ちょうだい?」

僕はその場で錠剤を掠め取り、すかさずそれを嚥下した。


 目を覚ますと、どこか病院らしき白い天井が視界にあった。

「やあ、お目覚めかな。少年?」

目の前には医者がいる。いや、「医者らしき人」がいた。白衣を着ている人は、すべて医者なわけではないことくらいは知っている。とはいえ、目の前の男には、ひどく違和感があった。名状しがたい、しかし背中を這うような違和感。

「なんで生きてるんだ……」

僕は心底がっかりした。当時はまだオーバードーズなんて言葉も知らなかったし、大抵の大量薬物摂取は一時の幸福感のためにおこなう「ポオズ」でしかないことも知らなかった。すぐに解脱症状に襲われて、のうのうと生き続けなければならないことも知らなかった。僕は、何も知らなかったのだ。

「こらこら。命を粗末にしちゃあいけないよ?」

医者らしき人は、もっともらしいことを言いながら、ベッドに横たえられた僕を見下ろしている。

「だって、人生なんて、詰まんないんだもん」

「ほう。その齢で?」

「そう。知ってるでしょ、僕の家が馬鹿みたいに裕福な地主だってことくらい」

「さあね」

医者らしき人は、椅子に座りなおしてカルテを書きながら、何かを胡麻化そうとした。

「ねえ、おじさん、ポートマフィアの人でしょ?」

僕は最後の一手を打つ。思わず顔を上げた男は、一瞬顔を曇らせ、しかしすぐに優しい微笑に変わる。

「どういうことかね?」

「ポートマフィアの人間が薬物取引している現場を押さえた僕だよ? しかも持ち物を見れば国会議員の息子であることも分かる。倒れた僕を見て、困ったポートマフィアの人たちも中途半端に生かしたまま野に放置するわけにもいかない。ただ、何も考えずに殺す、という手もなくはないけれど、どう考えたって、世間に露見した時にポートマフィアが政財界に敵を増やすだけだ。――薬物取引みたいな、永続性のない商売をする頭の悪い人はね、頭の良い人に縋るものだよ。貴方みたいな医学の知識があって、聡明な人に」

 一瞬の間の後、男は冗談を聞いた時のように噴き出した。

「ご名答。それでは、取引をしよう。君が自殺するのを手伝ってあげてもいい。ある目的の為ならね」

 そして、僕は目の前の男と「運命共同体」になった。

***

 森さんはとても頭がいい人だ。医者の肩書は本当にあるし、その癖ポートマフィアに幹部をやっている奇特な人。ただ頭がいいのなら、医者の肩書だけで十分暮らせる筈なのに、裏社会で偉い人をやっている、そのちぐはぐな処が気に入った。

 森さんは裏社会の説明をうんざりする程、僕に聞かせる。

「ねえ、僕死ぬんだからそんなことお知らせしなくていいのに」

「作戦のうちで必要なのは、知識と行動力だ。太宰君は行動力は伴っているが、知識は未だ足らないだろう?」

「そうだけど……。森さんに都合良すぎない?」

「おや。頭の悪い人は、頭の良い人に縋るんだろう?」

自分が発した言葉を他人に発されると、虫唾が走ることを初めて知った。

「森さんの事は信頼してないでーす。森さんの医学知識は信頼してるけど」

オーバードーズの予後、回復の様子を実感するに、確かに森さんは良い医者なのは間違いなかった。

「褒めてくれるんだねえ」

「違います」

僕がむくれても、森さんにはどうでもいいことのようだった。


 森さんの計画は呆気ないくらいに終わった。僕が「入院」している間に、首領が死んで、森さんが首領になった。ポートマフィアの首領になったのに、以前と変わらず、否、以前よりせせこましく働いているのだから、「偉い人」っていうのは大変なんだな、と思う。僕は「偉い人」になんて、なりたくないな。

 森さんはなんだかんだ理由をつけて、ポートマフィアの仕事を押し付けた。

「え? 僕は森さんの部下じゃないんですけどー?」

「頼める相手がいなくてねえ、薬の調合法教えるからー」

「それ、前も言った!」

ずっと繰り返している会話。森さんは医学に限らず知識が豊富で、森さんの部屋には沢山の本がある。会話の中に、ユーモアとかペーソスを感じられるのは、蔵書に小説が多いからか、と僕は納得する。僕は森さんの蔵書目当てにぼんやりと首領の部屋に行くけれど、周りから「なんだあのガキ」と思われているのは確実だった。

 多分、僕が初めて人生に退屈しなくなったのだ、と思う。もしかしたら、僕はポートマフィアに所属すれば、退屈な人生を歩まなくていいかもしれない。森さんが医者の道を捨てたように、僕も大地主の家を捨ててしまえば、きっと楽しい人生を送れるだろう。だから、自殺は後回しでいいかも、と思い始める。こんな日が、続けばいいような気がした。早く終わってほしい気もした。二律背反の感情を今日も戦わせながら、僕は今日も自殺までの蛇足を生きている。





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太宰が拾われた日 詩舞澤 沙衣 @shibusawasai

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