ふたり
滝川エウクレイデス
プロローグ
第一話 空虚、そしてはじまり
「おやすみなさい、お兄ちゃん」
「ああ、おやすみ」
自分の部屋に戻って、ドアの前でたたずむ――すると、ドアをノックする音が聞こえた。
扉を開くのとほとんど同時に私はお兄ちゃんに抱きしめられていた。
「お兄ちゃん――」
「俺は、妹としてお前のことを本当に大切だと思っている。俺だけじゃない。カーチャや他のみんなも――」
その途端、私自身の中から全てがあふれ出し、お兄ちゃんの胸の中で泣き叫んだ。
「ごめんなさい――ごめんなさい――」
「麻世、いいんだ。大丈夫だから」
お兄ちゃんは泣き叫ぶ私を優しく抱きしめてくれた。
「私は過ちを犯して、みんなに迷惑を――」
「違う――みんながお前のことを大切に思っている。迷惑だなんて思うな。お前が笑っていてくれるだけで、それだけでいいんだ」
「…………」
「お前との時間も取り戻したい」
お兄ちゃんの言葉に私は唇を震わせた。
「だから……明日からも一緒に、学校に行こう」
「……うん」
◇ ◇ ◇
―― 約一半年前
(死ねば、何も考えずに済むのだろうか)
自分の周りの人間は一つ一つの出来事に感情を豊かにする――そう、こいつらは人生を楽しんでいるのだ。自分にはそれができない――
氷樹は物語に出てくるような、学校中の女子から人気のある男の子だった。その整った容姿と非常に冷静な性格で、感情もほとんど表に出さないようなところがクールなイケメン男子のイメージで女子からの人気は過熱していた。
小学校の頃から女子はみんなそうだった。バレンタインデーや学校の卒業式――話したこともない女子にすら告白をされていた。
普通であれば異性に好かれることは嬉しいことのはずだった。けれども氷樹の場合はそうではなかった。
話したこともない相手にいきなり好きだと気持ちを伝えられることがどんなに自分の心を苛立たせたか――みんな自分のことを見かけだけで判断し、一方的に想いをぶつけてくる。
容姿は生まれつきのことだしクールに見えるのも周りへの関心が無いだけで、自分の感じていることと相手のぶつけてくる感情とのギャップが積み重なり、やがてそれに耐えられなくなってきていた。
自分の気持ちを本当に理解してくれる人間がいないとわかった途端、急に生きている意味が無いと感じ、次第に氷樹の心は失われていった。
(死ねば、楽になれるのだろうか)
氷樹は再び自分に問いかけた。
高校に行くつもりもなかったが、両親や教師に勧められるがままに受験をした。
他のみんなは受験が終わった後の新しい高校生活について話を膨らませたりしていたが、中学生活を振り返っても氷樹には何の感動もなかった。
(全てが、繰り返しだ)
いつもの朝の挨拶に始まり、他愛のない話、無理して笑っていて話を合わせて仲間外れになるまいとしている奴ら、下らないことで盛り上がる奴ら――全てがいつもの繰り返しだった。何が楽しいのかわからない。どうしてあんな風になれるのかわからない。
どうしてみんなは自分のことをそんなに特別な目で見るのだろうか。自分の何処が他人と違うのか。
氷樹は自分の周りにいる人間は皆中身を見ない連中ばかりだと繰り返し思っていた。
このまま高校生になる。けれども何の目標も持てないし、流されるままに受験した学校――きっと高校でもまた同じ日常を繰り返すだけだろう。
「――いっそのこと死んだ方がマシだな」
そう、氷樹は呟いた。生きていて楽しいと感じることが無い。何の感動もない日常に氷樹は生きる目的を見い出せなかった。
◇ ◇ ◇
学校を出ると雨が降りしきっている。三月になったとはいえまだ雨の冷たい季節だった。
「……」
家への帰り道、氷樹はふと先の方で誰かが地面にうずくまっているのを見つけた。近付いてみると、どうやら小学生の女の子のようだった。傘もささずにびしょぬれで、見てみると膝から血が出ている。
「おい、大丈夫か」
氷樹が声をかけるとその女の子はゆっくりと顔を上げた。痛みで泣いているのか、それとも単に雨で濡れているだけか――
「……っ」
彼女の見上げる表情を見て、氷樹は何か意表を突かれたような気がした。ただ、それが何なのかわからなかった。
氷樹はその子に手を貸してゆっくりと立ち上がらせた。そして、何も言わずに怪我しているところをハンカチでくるむ。
「あ……」
女の子は初めて口を開いた。
「傘は」
「……」
女の子はまだ氷樹のことを見ていたがやがてハッとしたように、
「あ、え、その――忘れてしまって……」
すると氷樹は黙ってその子に傘を差し出し、「早く帰って傷を洗った方がいい」と言って走っていってしまった。
「あの――」
その女の子が呼び止める間もなく氷樹は行ってしまい、しばらくその場にたたずんでいた。
◇ ◇ ◇
(何をしているのだろうか、俺は)
雨に濡れて家に帰ってきた氷樹は家の前で立ちすくんでいた。
相手は小学生で怪我をしていた。地元の小学生だからきっと家は近いだろう。
それよりも自分が彼女に声をかけ、その表情を見た途端、これまでにない感覚に見舞われた。
他人に全く関心を持たず、人生がつまらなくてどうでもいいと考えている毎日。そんな自分が人助け――?
柄でもないことをしたと思うところだったが、自分のしたことに驚きを感じていた。
さっきの小学生とはもう会わないかもしれないし、名前も知らない。けれども相手のために自分が何かをしてあげたという事実が彼の心にずっと残っていた。
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