ロスでのおでかけ先

 ロスは車社会で、メトロもバスもあまり発達しておらず、基本は車移動です。

 五年ほど前に旅行した時、昼間ならまだ、ということで観光客の多い街のみを走るメトロは使ったのですが、そこでも赤ちゃんを抱えたシングルマザーらしい人が、段ボールのプラカードを抱えて回っていて、少しひやっとしたのも今となってはいい思い出ですが。

 特に子どもたちがいる場合、治安の面でも、(スクールバスを含めた)車以外での移動は厳禁でした。


 また、ロサンゼルス郡の、郊外を含めた広さは約1300㎢で、関東平野とほぼ同サイズとのこと。


 そんな土地柄ですから、どこかに遊びに行く時も親の送迎なしにはどこにも行けませんでした。

 というか、小学生の私たちが遊びに行く場所といえば小学校の友だちのおうち(か、土曜日に通う日本教育のための補習校の友だち宅)くらいで、行動範囲はある意味日本の子供たちよりも狭かったですね。

 だからなのか、お誕生日会は誰もが盛大に開く傾向があり、おうちのプールで泳ぎながらバーベキューパーティを開いたり、お泊まり会、みんなでショッピングモールにお買い物に行くなど(渡されたおこづかいは20ドルで、お金持ちになった気分でした笑)、一大イベントでした。


 私たちが住んでいた地域の一番近くにあるショッピングモールは、子どもたちにとってはちょっとした遊園地のような楽しさのある場所でした。

 Limited tooという小中学生をターゲットにしたファッションブランド、Claire’s というちゃちだけど流行りのポイントをおさえたアクセサリーショップ、見るだけだった高価なスニーカー、あるいは少し背伸びして使っていたグロスやマニキュア、パフュームなどのお化粧品……。

 中でも一番好きだったのは、See’s Candiesというアメリカ発の、ゴディバやジャン=ポール・エヴァンのようなチョコレートブランドと(もちろん中々買ってもらえなかったです)、大切なお客さまと会う時だけ入ることを許される喫茶店でいただく、ホワイトチョコレートでカバーされたバニラアイスクリームでした。

 大人たちは、というか母はスコーンと紅茶がお気に入りだったようです。


 今のアメリカの物価高では考えられないほど当時の物価は安く、質素に暮らしていた日本では考えられないほど生活水準が上がって、「英語がしゃべれなくて周りからおみそ扱いなのは気に食わんけど、この生活はまあまあ楽しいな」と生意気なことを考えたりしていました笑


 そこに、見えないアメリカの歪みが存在していたことに気がつくのは、ずっと後のことです。

 今はその歪みは取り返しのつかないところまで行き着いてしまっているように感じ、その結果が某共和党候補やフロリダ知事のような人間の台頭だと思っています。


 ただ、私や姉はまだいいのですが、妹は物心ついた時からそういう生活で、大人になってから苦労したようです。


 あと、ロスで住んでいた街は素朴で人もおおざっぱでまだよかったのですが、その後に住んだ東海岸の街は、人種差別的だったことは置いておいて(その時点でどうかと思いますが)、欧米諸国における「rich kids’ problems」を絵に描いたような歪みが存在し、ドン引きした経験もあります。

 要は、自分たちは何もしなくてもそれなりの立場に行かされることが生まれた時から決まっていて、けれど求められていない能力を伸ばすことも、その世界から飛び出すことも許されずに、鬱屈した人生を送りながら「Make America Great Again!」と白人至上主義の発言をSNSでするような感じ、というか。

いや、まあアメリカの偉大さを取り戻すのは大事だけどさ(ついでに日本の総中流階級社会も取り戻したい)、そこにアジア人とかのマイノリティの存在はあっちゃいけないって発言だよね。


 治安も担保されて、なおかつそういったお金持ちゆえのゆがみがあまりない地域、それが思い出補正もあった上での私のロスの印象です。(ていうか、アメリカ全体でのあの治安の悪さは本当にどうしたものか)


 そうそう、遊園地。ディズニーランドも車で行けばそれなりに近かったのですが、それよりも年間パスポートを持っていたおかげで(確か子ども料金? が80ドルとかでした)、何かあればちょくちょく行っていたのがユニバーサルスタジオです。


 家族だけで行くこともあったし、日本での小学校の友人が親戚のお姉さんと遊びに来た時も一緒に行ったし、もちろん学校のお友だちたちとも行きました。ジュラシックパークのジェットコースターに慣れてなんとか我慢(笑)できるようになっていた私は、ディズニーランドのスプラッシュ・マウンテンで「そろそろ終わるかな」と目を開けた瞬間、むしろ落下のピークを迎えて、恐怖で笑顔のまま固まった写真も覚えています。(姉や従姉妹たちは、手を上げて満面の笑顔でした)結局買うことはなかったですが。


 それに、ハンティントン・ガーデン。日本でいうと新宿御苑のような、美しい庭園でした。


 大変なこともたくさんあったのですが。さまざまな思い出が本当に懐かしくて、今でも忘れられないです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る