文化

 前回、「差別主義と心底無縁の人は、もしかしたらいないかもしれない」といったことを書いたのですが。


 ここで、”Anyone can be a racist, in some ways.” というニュアンスで書くと、かなり強い確率でポリティカル・コレクトネスに引っかかる気がします。

(もちろんこれは、私の英語力の低さ、言語年齢の低さのせいかも。もっといい言い回しもあるのかもしれません)


 これは、私の語学力の問題だけではなく、なんとなくですが、英語をはじめとした欧米諸国の言語は、ポジティブな側面を強調する文化で、日本語(アジアの他の国はわからないのですが、たぶん日本や韓国などの東アジア圏は同じなのかな?)は、慎重で自己反省を徹底する文化な気がするんだけど、言語って、言い回しやフレーズって、特にその地域の文化的バックグラウンドを表している時があるように思えます。


 その地域でマナーとして取る態度が、他の地域では無礼と映ることはよくあることで。


 例えば、あまりいい例ではないかもしれませんが、久しぶりに会う友達に送る文面に、英語では

”I’m sure you can’t wait to see me :D”

「みんな私のこと待ち侘びてるでしょ」と書くのは、ごく当たり前のマナーだったけど、日本語では、ただのでしゃばりと見なされることもあると思います笑


 あるいは、日本の有名な芸能人が英語でインタビューを受けた時、「私、シャイで友達いなかったの」と言いたかったのを、

”I was like, you know, unpopulars. “

と答えてしまって、インタビュアーが変な顔をしていたこともあったり。

(unpopularsはシャイというより、いじめられっ子のもっとえげつない感じ。ニコニコしながら言うようなセリフじゃないです)


 「クレーマー、クレーマー」という映画で、不当解雇をした上司に主人公のダスティン・ホフマンが

“Shame on you!”

と言ったのを、字幕で

「バカにするな!」

と翻訳していたのも、英語ではまず自分を高いところに置き合ってコミュニケーションを取るのに対し、日本語では謙遜で自分を低い位置に置いて話す違いが表れていると思います。


 そういえば、この間海外の方々が多く住んでいる地域に行ったとき、建物内ですれ違った方がすごくフレンドリーな微笑みをこちらに向けてくれたことがあって。

 そういえば、欧米ってこんな感じだったな、日本では(東京だけかも)、あまり距離をつめすぎると無礼になるもんな、とも思いました。


 私はあなたの敵じゃないよ、と非言語で伝える感じ。

 それは、日本の東京以外の地域で、密なコミュニケーションを交わすあの感じとは、またちょっと違います。


 懐かしいし、常識やマナーって、地域でガラッと変わるので、それにすぐ適応するのって意外と難しいですよね。


 海外で活躍している人を、私たち一般人が好きなのは、語学力だけでなく、そういう常識の壁と戦っているファイターな姿を、なんとなくでも感じるからなのかもしれません。

(ちなみに私は、ファイターというよりは、親の仕事の都合で渡った側なので、ある部分では恵まれてたし、その分最初は度胸も根性も全くなかったです)


 その一方で、自分のベースはしっかり保ったまま海外に渡って、その能力や人間性を認められて生きる人たちもたくさんいます。


 “Big shot, Ohtani-san!!”と、大谷翔平選手のことを現地のアナウンサー?が敬意を込めてオオタニさんと呼んでいる様子を見ると、大谷翔平選手は謙虚で物静か(実際はかなり社会性高いと思うけど、アメリカでは語学の問題もあってシャイと思われてる気がする)、けれど自分の仕事では最大限のパフォーマンスを発揮するために日々努めていて、(そんな人柄もアジア人的と思われてると思います)そんな彼が、才能あふれる、穏やかな人柄の彼がみんな大好きなのだと改めて実感して、心から誇りに感じます。


 大谷選手の他にも、例えばメジャーリーグや海外のサッカーリーグ??で活躍される選手は、イチローなど、皆自分をしっかり持った人たちばかりだし。

(大坂なおみ選手は、すごくおっとりとした、日本っぽい雰囲気ですが、たぶんメンタリティ的にはアメリカ人の意識が強いんじゃないかな。アメリカと日本のいい面を両方持ってるけど、彼女自身はアメリカ人と思っているような気がするけど、どうなんだろ)


 特に、アメリカという国は、自分に誇りを持って、自分を信じて能力をみがくことが向いてる国のように思います。

(日本は逆に、所属意識をみんなで分かち合って、一体になることがとても上手という気がします)


 いや、日本でだってみんな、こつこつと才能をみがいてるし、むしろ根気強さや積み重ねることは文化的にも得意中の得意だし、アメリカ人こそ、一体感をすごく、大切にしてるんだけど。


 でも、なんで言えばいいんだろう。


 まずは個人、という存在ありきで、その上で仲間を大切にするという欧米(私はアメリカしか知らないけど)と、集団の中で、非言語的なコミュニケーションがとても発達した日本人の、それでも一人一人はかけがえのない人間という考え方。


 まず土台から、違うように思えるんですよね。

 いい悪いでは全くなくて、ただ、違う。


 人間は一人一人違うけど、同じ集団、同じアフィリアーション、同じ地域に住んでいる人たちは、やっぱり似てくる部分がたくさんありますが、それこそが「文化」なんだと、私は思っています。

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