大切なものを盗まれたので、竜の純心を利用します

初鹿野あお

第1話 はつこい

 イスキア国立魔法院での同級生、アルヴィ・ヴァンシェッドは特筆すべき個性に欠ける面白みのない男だった。


 あの頃の学生たちは皆、髪色の濃淡や多色づかいで個性を強調するのが当たり前だった。

瞳に記号や文字を宿らせる装飾魔法も流行し、とにかく他者との違いや主張を見せつけようとする連中が多い中、生まれ持った容姿のまま過ごす者は真面目でつまらないと認識される傾向にあった。

 暗紫色の髪に、灰褐色の瞳。

 華美ではないけれど、艶や煌めきを放つ彼のパーツは誰と比べても決して見劣りしない。静かな冬の色合いは、大勢の中に紛れると目立たないというだけで優劣の判断材料にはならなかった。

 表情の変化こそ乏しいけれど、アルヴィは文句のつけようがない美形である。高貴な血統を物語る所作からも気品を感じ取れるのに、存在感をわざと消しているのかと思うくらい、彼を特別視する生徒はいなかった。

 ゆらりと揺れる炎みたいに周りを避け、騒がしさとは無縁の学校生活を送る彼は、黙々と単位と知識を取得していき、成績は常に首位だった。

 同級生とも必要最低限の会話しかしないアルヴィと交流が出来た生徒は限られる。

 物静かで人付き合いを好まない優等生。皆の印象を統合したらそうなるだろう。

 卒業後は、いずれ彼が治めることになる耀竜族の国アドゥマ=アレスへ帰るのだと誰もが思っていた。

 話しかける勇気はなくても、密かに恋心をあたためていた生徒が、最後のチャンスに賭けて卒業式の日に告白していく。見た目だけでなく声まで最高だったと感涙していた光景をリシアは今でもよく覚えている。


「リシア・ルーグロウ、今から少し話をさせてくれないか?」

 アルヴィから好意を寄せられている自覚はその時までなかった。それどころか、会話だって卒業式の日が初めてだったかもしれない。

 同性に交際を申し込まれたのは七人目だったけれど、後々、証拠になってしまう恋文まで準備してきたのは彼が初めてだった。

 揶揄われているんだろうと疑う気持ちが消し飛ぶくらい、真っ直ぐで恋情の揺らぎを感じられる完璧な告白だった。

 耀竜の次期王という責務を忘れて、ひとときの青春を楽しみたかったのなら、もっと早く告げてくればよかったのに。それなら試しに少しだけ付き合う道もあったはずだ。

 学生でいられる間は短い。一時期の戯れなら、お互いの環境がどうであっても許されたかもしれない。

 整ってはいても無表情で作り物のようだった彼の顔が、色々な思いで変化するのを見られないのは惜しいと思った。

 家族愛は強くても、家業に有益で結びつきの強い相手との縁組を期待している兄が、リシアの自由意志を尊重してくれることはない。

 恩恵は充分に受けているし、婚約者候補は裕福で誠実そうな人物ばかりだ。

 兄が決めた相手となら、リシアはきっと安定した暮らしを約束される。だから、アルヴィの気持ちに応えてはやれないのに、落ち着かない様子でこちらを見つめる若い竜の純朴さにあてられそうになる。

 アドゥマ=アレスに帰れば、彼にだって縁談の話が待っているのだろう。耀竜の王に、成り上がりの商家の息子はふさわしくない。

 数日でいいから保留にしておきたい気持ちを抑えて、以前から婚約の話があると断った。それは、彼に対する精一杯の優しさだった。



 卒業から一年半。

 手紙のやりとりさえなかったアルヴィとの関係には何の変化もない。

 竜は一途で、健気な性質なのだと聞いたことがある。そんな御伽噺みたいなことありえないと思いながら、縋る気持ちで隔たりのない夜空に向け、彼の名前を初めて呼んだ。

 困っているから力を貸して欲しいなんて、都合が良すぎる。

 次期国王として忙しい日々を送っている彼が、ひととき恋しく思った自分をまだ思い続けているなんて考えられない。

 諦めていたのに、竜の形で颯爽とバルコニーへと駆けつけてくれた彼は、告白の時と同じようにやわらかな声で語りかけてくる。

 人の姿に戻った彼は、記憶の中にある像よりずっと美しかった。あの日に残してきた彼への興味が時を越えて心に戻ってくる。


「覚えていてくれたのか? 頼りにしてもらえて、僕は今、ものすごく浮かれている」

「……は、ホントに来るのかよ」


 心臓がうるさい。

 飛びついて喜ぶような関係ではないから、目も耳も体温もすべておかしくなる。

 夜だというのに、ここにだけ光が集まったようだった。目元にまで上がってくる熱に何の意味があるのか、リシアにはわからない。学生時代のように耳や首を隠す髪を編んでいたなら、彼の目にも変化はわかってしまっただろう。

 こんな顔を見せてくれる男だと早くから知っていれば良かった。期間限定の相思相愛が実現していたら、卒業までに納得して初恋を終わらせることが出来たはずだ。

 離れるなら平気だと思っていたのに、こうして自分を覗き込むアルヴィを見ていると恋に気づいたばかりの乙女のように緊張と困惑が感覚を鈍らせる。

「ずっと会いたかった。結婚したという知らせが入ってくるのを恐れて、この国に関連する話を沈黙の魔法で排除していた。逢いに来る勇気も僕にはなかったんだ」


 興奮気味に打ち明ける彼の瞳には、リシアに対する愛情と熱意が揺らめいている。

 装飾魔法を行使した様子はないのに、色んな思いが煌めく輝きに目を閉じてしまいそうになった。

 自尊心が強く、他種族には無関心。

 強くて綺麗な竜が、貴族でも勇者でもない普通の人間に惚れ込むなんて、物語でも見たことがない。

 使役することも飼い慣らすことも出来ない傲岸不遜な化物。竜というのはそういうものだ。


「何が望みだ? 隣国でもこの国でも滅ぼしたいのなら僕が塵さえ残さない」


 物騒なことを本気でやらかしそうなアルヴィをリシアはたしなめる。彼を呼びたいと思ったのは、そんな物騒な理由ではなかった。


「いや、そんなことはしなくていい。俺にかけられた呪いのせいで盗まれた本がある。それを奪い返すのにお前の力を貸して欲しいだけだ」

「……君に呪いをかけたのは誰だ?」


 国も滅ぼせる力の持ち主だとわかる冷酷な笑み。

 告白に応じない相手の感情を捻じ伏せ、竜の気で狂わせることだって出来るのだから、強引な手段を取らなかった彼の理性に感謝すべきだろう。


「宝具と人をいくつも経由した呪いらしい。兄貴も義姉も解呪の方法を探してくれているが、時限式のものなら難しいし、とにかく今は時間がない」

「僕は、本を取り戻す手伝いをしたらいいのか?」

「ああ、お前なら飛べるし、微量な魔力だってたどれる」

「お願いを聞いたら、僕を撫でてくれるのか?」


 竜を意のままに操るには、見合う対価が必要とされる。彼らは力を安売りしない。


「呪いがかけられて、俺の価値はかなり下がったらしい。婚約相手の選定はとりあえず保留になった。俺は生まれて初めて、自分で未来を選べるような気がしてる」


 お前の手をとってやれると可能性を示すだけで、永遠の愛を誓わない。

 狡猾だとわかってるけれど、兄の意に背き家族と縁を切る覚悟はなかった。次期王であるアルヴィにはそれ以上の責務としがらみがある。


「今も変わらず君が愛しい。僕の思いに応えてくれるなら、何があっても負ける気はしない」


 ごてごてとした装飾のない言葉は胸に響く。

 呪いは嘘じゃないし、婚約の話がことごとく保留になったのも本当だ。

 けれど兄の愛という支配に縛られたリシアは、いずれ決められた道を行くのだろう。純潔を尊ぶ文化圏で育ってはないが、竜との交わりは特殊で他では満足出来なくなると聞く。

 結婚式の初夜までお預けだと約束させるのはひどいだろうか。

 早くに結婚した兄とその妻の甘ったるい営みに遭遇したせいで、あんな風に乱れるなら一生清い身のままでいいとさえ思ってしまう。

 アルヴィが間抜けに腰を振り、獣のように欲を吐き出す様子を想像したくもなかった。リシアは自分の貞操に保険をかける。


「お前のことをもっと知りたい。だから、友達みたいな感じから、はじめてみたい」


 初心さを隠さず、節度のある交際を求めるとアルヴィは気持ちいいくらい即答してくれる。


「いつでも逢いに来ていい関係になれるなら、僕はなんだって構わない」


 彼がどうして自分に惚れたのか、リシアは聞いていなかった。手紙には独創的な愛の言葉ばかりで、理由については書かれていなかった。


「俺のどこが、良かったんだ?」


 揶揄うような笑みを浮かべて訊ねると、アルヴィが恥ずかしそうに目線を逸らす。恋の駆け引きなんて、リシアに出来るはずがない。

 竜の純心な反応を引き出すつもりもないのに、有り余る熱情を見せつけられて、羞恥が伝染する。


「僕は学園にいる間、模範的な生徒でなければならなかった。力を抑え、人の中に紛れるのもひとつの修練だと厳しく言われていた。上手くやっているつもりでいたんだが、自分の中には納得しきれない感情もあったようだ。それを暴走させないために僕は気ままに過ごせるもう一つの自分を魔力で創り上げた。責務から逃れ自由を満喫していた僕を君はいつも優しく抱き上げて撫でてくれた」


 そこまで聞いて、リシアは驚く。


「……あ、あのふてぶてしい黒猫がお前?」

「翼も魔力も与えてないのに、猫の習性なのか高いところや危険な場所に入りたがる僕の分身を君は何度も助けに来てくれたな」

「放っておけないだろ。あんな危なっかしい猫」

「凛々しく美しいだけでなく、弱きものを助ける勇気も備えている。皆に好かれる資質が揃っているのに、ため息ばかりつく君は、鳥籠に入れられた僕と似ているように思えた」

「……親族や獣とも気が向けば寝る淫売で、真実を明らかにしようとした教授を殴ったっていう話は誰かから聞かされなかったのか?」

「君を貶めた策略家に辞職を促したのは僕だ。聖獣特性も持っているから、処女判定くらい造作もない」


 リシアが知らないうちに色々と問題に介入していた男は、平然と誇らしげにほほ笑む。


「竜には善性も悪性も宿っている。君が望むなら、僕はどちら側にもなれる」


 忠誠を誓ってくれるアルヴィは美しく、ひとの形には収まりきれない魔力を感じさせてくる。

 リシアがうまくこの化け物を扱いきれなければ、世界にひびくらい入るだろう。

 呪いに迷惑しているからと言って、安易に頼るには危険だと警鐘が鳴り響く。それでも、来てくれた彼を今は手放してやれない。


 昔から、厄介な相手に気に入られることはよくあった。リシアが愛らしいだけの子供だったら、人格形成に影響を与えるトラブルもあったのかもしれない。

 利発さと勘の良さで悪意に立ち向かおうとする子供に護衛をつけただけでなく、身を守る術や知恵を教えたのはルーグロウ家の当主リリィモネだった。

 兄弟の祖母にあたる彼女は、成長期の二人に必要なものを揃え、環境を整えてくれた。時に厳しく、威圧的なところはあるけれど、愛情を持って接してくれる祖母をリシアは今も尊敬している。

 本物の愛情は穏やかであたたかいものである。攻撃的であったり、相手の気持ちを考えない利己的なものは不快だとリシアは選別する。


 アルヴィがリシアの思い通りに動くとは限らない。期間限定の関係では足りないと縋りつくなら、言葉だけで制するのは難しいだろう。

 彼は大地を焦土と化してもおかしくない強者である。

 彼を巻き込むなら、最悪の悲劇を予測しておいた方がいい。それでも自分への執着を利用しないという道はなかった。


 美しく危険な竜は、リシアをじっと見つめていた。揺らめく熱情は後に厄介な状況を招くかもしれない。

 綺麗な唇が自分の名を愛おしそうに呼ぶ。

 恋人同士のようなやり取りを気恥ずかしく思いながら、リシアはこれからの奪還計画について説明を始めた。

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