チョコレートにまつわる記憶

バレンタインデーの当日を迎えた。けれど近頃は昔のような熱い『恋のドラマ』が展開されるようなことは少ないらしい。


チョコレートというと、小説などの創作物にもよく登場する。

アガサ・クリスティの推理小説にもチョコレートが出て来る話があったと思う。

チョコレートに毒を入れ対象者を殺害するというものだ。チョコレートに毒を仕込んで毒殺を試みるのは、欧米の他の人の推理ものにも登場するように思うからそれほど欧米ではチョコレートが生活になじんだ食べ物なのだろう。探偵エルキュール・ポワロが自分用にチョコレートを買うシーンが出てくる話もあったと思う。

エルキュール・ポワロはベルギー人だからチョコレートは身近で好まれる菓子なのだろうか。日本で言えばまんじゅうのような位置づけになるか。

だが、毒殺の道具に使えるほど頻繁にまんじゅうが食べられるとは思えない。日本だとまんじゅうに毒というと、死ぬのはネズミという気がする。


うろ覚えだが、昔、イギリス出身の俳優、故ロジャー・ムーアさんの少し年取ってからのインタビューか何かを見たとき、「僕はチョコレートに目がないんだが、医者に止められている」という話をして彼はその話をした直後に横に置いてあるテーブルの上の一脚の盛り皿に積み上げられたチョコレートをひとつ摘まんで口に入れて美味しそうに食べていた。(彼は、そういうちょっとしたユーモアが好きだったらしい)


わたしはそれを見て、チョコレートもさることながら、一脚の盛り皿に菓子や果物を盛ってテーブルに置いてあるという風情にすごく憧れのようなものを感じた。

一脚で持ち上げた器に食べ物が盛ってあると「さ~召し上がれ!」と言われているようなワクワクした感じがあって、そそられる。

欧米が舞台の少し古い時代を描いたドラマや映画にも、そういう皿に盛られた食べ物はしばしば登場する。

わたしの人生で、現実にそんな一脚の盛り皿を見たことがない。せいぜいちゃぶ台の上に木製の蓋付き菓子皿のような感じだろうか。そのような菓子皿の蓋を開けたら、だいたいは煎餅が入っていそうである。


そんなことを考えていたら、チョコレートも煎餅も食べていないが、紅茶か渋い日本茶を飲みたくなった。

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