ぼくは丸い石をなくした
細井真蔓
ぼくは丸い石をなくした
どこにでもある、丸い石だ。
正しく言えば、丸ではない。でこぼこしている。でも、おおまかに言えば、丸い石だ。ぼくは、丸い石を拾った。
歩きながら、丸い石を手の中で動かしてみた。でこぼこした感じが、少しわかる。けれど、もしまんまるのボールのことを考えながら触ったら、このでこぼこも、わからないかもしれない。そのくらい、ちょっとした、でこぼこだ。
ガードレールの柱の上に、丸い石を置いてみる。
柱の丸い頭を、丸い石が転がって、うまく置けない。でこぼこのへこんだところを下に向けて、ようやく落ち着いた。
ぼくはそのまま、何歩か離れる。丸い石が、さっきより丸く見える。もっと離れると、ほとんどまんまるに見えた。ずっと離れてみたら、でこぼこはまるで見えなくなった。丸か四角かもわからなくなった。鉛筆の先でちょんと書いたような、小さな点が、ガードレールの上にくっついている。
ぼくが近づくにつれて、それはまた丸くなって、また少しだけでこぼこになって、またぼくの手の中に戻った。
八百屋の前には、野菜が並んでいた。それぞれ青いザルに盛られて、よく知っている野菜と、見たことがあるけれど名前を知らない野菜と、見たことがない野菜と、果物があった。
店のおばさんが目を離しているすきに、ぼくは丸い石を、じゃがいものザルに入れた。でこぼこして、ざらざらして、ぶつぶつしているところが、よく似ていた。じゃがいもは黄色だった。丸い石は灰色だった。色のない世界があったら、どちらもじゃがいもに見えるだろう。手に取った時に、初めて、その重さと、冷たさに驚くんだ。
ぼくは、おばさんに気づかれないうちに、丸い石を取り戻した。
誰もいない公園で、ぼくは水を飲んだ。それから、丸い石を濡らしてみた。薄い灰色だった丸い石が、濃い灰色になった。ざらざらしたところが、水を浴びるたびに、つるつるになったり、またざらざらになったりした。
ぼくは丸い石と、並んでブランコに座った。ぼくがブランコを揺らしても、丸い石はブランコを揺らさなかった。ぼくはブランコを揺らすのをやめて、ブランコに乗った丸い石を見ていた。太陽に当たって、丸い石は、右側が明るくて、左側が暗かった。丸い石より少しだけ長い影が、ブランコの座るところのでこぼこに当たって、でこぼこの影になっていた。
ずっと見ていると、丸い石の右側が、まだら模様になった。乾いたところは薄い灰色になって、濡れたところは濃い灰色のままだった。半分だけ乾いた丸い石の、乾いた部分だけをつかんで、ぼくは公園を出た。
丸い石は、ぶつぶつした小さな穴の周りだけ、いつまでも湿ったままだった。ぼくはぶつぶつになった丸い石をポケットに入れた。ズボンのポケットは、それだけでパンパンになった。
ポケットの上から、丸い石をなでてみた。ぼくの足を触っているような、変な気分だ。丸くて、膨らんでいて、突き出していて、膝みたいだった。ぼくは自分の膝と、丸い石を、代わりばんこに触ってみた。どちらも、同じくらい冷たかった。触り心地も、ほとんどいっしょだった。いつか、ぼくが膝を怪我した時は、代わりに丸い石を入れようと決めた。
ぼくの家につづく坂道の上にいる。
ずっと下で、踏切がカンカンと言っている。ぼくは坂のてっぺんから、丸い石を転がした。丸い石は、はずみながら転がって、電信柱にぶつかって、溝に落ちた。
溝をのぞくと、穴の奥から、丸い石が転がる音がした。ぼくは溝の上を歩いて、丸い石を追いかけた。音はいつのまにか聞こえなくなった。溝はどこまでもフタがされていて、丸い石がどこに行ったのか、もうわからなくなってしまった。
ぼくはそうやって、丸い石をなくした。
ほんの少しだけ、でこぼこして、触ると冷たい、丸い石。
遠くから見ると、でこぼこが見えなくなる、丸い石。
じゃがいもにまぎれていた、丸い石。
半分だけ、太陽が当たっていた、丸い石。
膝に似ている、丸い石。
坂道を転がる時は、跳ねながら転がる、丸い石。
転がる音は、暗い穴の向こうに、遠くなっていった。
ぼくは丸い石をなくした。
ぼくはもう、膝を怪我することさえ、できないんだ。
ぼくは丸い石をなくした 細井真蔓 @hosoi_muzzle
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