番外編 神の領域、踏み込むべからず

 東王父から、戴家がキュウセンから退いたと報告があったのは、皇都に戻って半月ばかり経った頃だった。


 洛浪は皇都にある東王父別邸に呼び出され、キュウセン反論してしまった事を思い起こす。また叱咤が飛ぶのだろうかと、呑気に思い浮かべては客間にて東王父を待っていた。

 未だ埋まらぬ目の前の席。洛浪は客間に通され、かれこれ四半刻の時を待たされているがなかなか東王父は現れず、そろそろ暇を潰すのも飽きた頃合いだった。


 ――出来れば、早めに戻りたいが……


 うーんと唸って、腕を組んでしっかりと長椅子に背をつける。

 気を抜いて用意された火鉢にあたっていると洛浪は、その熱が鬱陶しく感じた。

 正確に言えば洛浪は寒さを感じなくなったのだ。河伯より力を授かったその日から。本来ならば、新年も差し迫った頃と言うのは、雪がいつ降り始めてもおかしくない程に寒さに飲まれる。いつもならば――


 洛浪は徐に火鉢の炭を鷲掴んだ。

 赤々と燃えるそれは、洛浪の手の中でジュウウゥ――と煙にも似た水蒸気を上げ最後の抵抗を見せて更に強く燃えたが、それも段ん段と弱くなり次第に消えた。

 燃え尽きた炭が、ただの真っ黒な塊になると洛浪は火鉢の中に戻した。

 

 握り締めた炭の所為で黒く染まりかけた洛浪の掌は、火傷どころか一切の変化も見られない。もう一方の手で掌に残った煤を払い退ければ、それこそ黒い粉が宙を舞うだけで痛みの一つも無かった。


 それが何よりも不可思議だった。

 神格により、冬そのものを力として授かった洛浪は己の肉体が力を齎したであろう存在に一歩近付いたかの様な感覚に襲われていた。先天的に得た物ではなく、ある日突然、授かった事が起因しているのだろう。


「成程、それが河伯より授かった力か」


 洛浪は顔を上げた。入口には、東王父が洛浪を観察でもしているかの様に腕を組んで一部始終を見届けていた。ゆっくりと近付いて洛浪の向かいへと腰を下ろすと、変わらない鋭い眼差しのまま肘掛けに肘をついて未だ観察を続けていた。


 洛浪は堪らず姿勢を正して東王父に向き合った。


「彼方の事態は終息した。聖殿は神殿の管理下に置かれる事となり、戴家は取り潰されるだろう。緑省管理の後、新しい統治者が置かれる予定だ」

「戴家の御息女は」

「ああ、そんなのがいたな。彼女は戴家の屋敷で深い眠りにいた。お前の報告にあったを名乗った女が強制的に眠らせたのだろう。此方側に引き戻したが、母親が脅されていた事すら知らぬ様子だった」


 戴清杏しょうあんの涙は本物だった。彼女は、娘を護る為に街を売り、祝融を騙したのだ。そして、自らの命を捨てた。

 母の愛とでも言えば良いのだろうが、結局戴家が取り潰され、跡には何も残らないのだと思と虚しくもある。

 母を失った娘はこれから如何するのだろうか。洛浪は遠縁に当たるであろう娘を想うと、無情ではない心が僅かばかりに痛んだ。


「では、その娘は……」

「キュウセンには置いておけんが、処遇は緑省諸侯であるさい家に任せた」


 それ以上のことは東王父も知り得ないだろうか。東王父は戴家の話を、「次に」と行って話を区切ってしまった為、洛浪はそれ以上何も聞けずに終わってしまった。

 

「生贄にされた者で一命を取り留めた者もいるが、殆どがまともにに話す事も叶わぬ状態まで衰弱している。生命力が回復する事なく殆どが死ぬだろう。既に十数名の亡骸は発見され、それがキュウセン、ジョウを含む全ての神隠しの犠牲者と推測されている。亡骸も含め、生贄にされた者は全て親族に引き渡された。お前の姪御も含めてな」


 ピンと張り詰めていた洛浪の背が、心無しか丸まっていく。空へと昇っていった姿が、見間違いでなかった事も含めて洛浪は如何にもならなかったと分かっていても、叔父に対しての申し訳なさに目を伏せていた。


「此度、お前が河伯より力を授かった事は僥倖だった。紛い神とは言え、それを姜祝融が討ったとあれば、煩く言う者もあるだろうからな。神の言葉と力を前にすれば、誰も戯言など吠えぬ」

「私の力が河伯の物と決まった訳ではありません。殿下が、」


 洛浪は、夢見心地のまま力を受け取った。声の主が誰かも分からぬのにその手を取り、力を我が物としたのだ。

 洛浪に宿された力は霧散する事なく肉体に留まっている。


「殿下が……河伯神か、と言われただけで」


 洛浪には疑問が残っていた。誰の声かも分からない状況だったのにも関わらず、祝融は河伯と断言して話を始めたのだ。


「ならば、矢張り河伯の力と見て間違い無いだろう。何が気がかりだ?」

「祝融様に夢見の力は無い。何故、祝融様は神の言葉をはっきりと断言出来たのでしょうか」


 洛浪は不安を逸らす為、それまで東王父に向けていた目を逸らして再び火鉢を見た。残りの炭は今もパチパチと音立て燃えている。特に意味なく、火が爆ぜるその様に目をとどめていると、東王父はあっさりと口を開いた。


「洛浪、お前の夢見程度では神と相見える事は不可能だ」

「存じております。が、答えになっておりません」

「そもそも、河伯神は私が目覚めさせた」


 洛浪は驚きのあまり一瞬固まってしまった。神格たる存在と東王父が関わった……祝融の発言だけでも理解しきれないというのに、洛浪は背けていた目が東王父に戻るも、「如何やって?」と言う単純な言葉しか喉を通らなかった。


「言ったところでお前には理解出来ん、が……そうだな、大地に溶けた思想を掬い上げ、衝撃を与えたと言っておこうか」

「……確かに理解は出来ません」

「姜祝融の件もそう思え、全てがお前の理解できる範疇にある訳ではない」


 言い包められた。そう思っても、洛浪にはそれ以上反論する材料がなかった。

 出来たのだから、出来る。そんな子供じみた言い訳に聞こえるも、最早神の領域に異論を唱えるのか、と言われている様だ。納得できなくても飲み込めと言わんばかりの東王父に気圧されるがままに、口を継ぐんでしまった。


「力は有効に使え、それこそ殿下の為にな」


 東王父は、そこで漸く一息吐いて卓の上に用意されていた鈴を鳴らした。

 すると、下女達が茶やら菓子やらを盆に乗せて現れた。

 熱い茶が湯気を立てて茶器を満たすと、下女達は下がっていった。

 東王父は一服に惜しげもなく茶菓子を口に含んだかと思えば、湯気が立つままの茶器を一気に飲み干して見せる。豪胆と言うよりも、腹でも減っていたのか……それとも疲れなのか、更にもう一つと手を伸ばす。

 洛浪の中で特に甘味を好む記憶はなく、それだけ忙しいのだろうと洛浪も用意された茶菓子を手に取った。


「お前は運が良かった。河伯に気に入られたからこそ、今生きていると言えるだろう。洛嬪の血に感謝せよ」


 東王父が一息ついて最初に吐いた言葉に洛浪は思わず手を止めた。

 確かに洛浪は洛嬪の血を継いでいるのだろう。だからこそ、洛浪の従兄姪は犠牲になったのだ。

 

「……坊と、洛嬪に呼ばれました」

「意味の無い話だ。無意識に失った子供と重ねた可能性もある。それよりも問題は、を名乗った者が現れた事だ」


 途端に東王父の眉間に皺がより不機嫌な様相に変わった。あからさまな苛つきは、指でコツコツと肘掛けを鳴らし始める。

 

「李を名乗る一族に心当たりが?」

「無いから問題だ。他にいるかどうか、存在したとして何処にいるか如何かも見当がつかん」

「神子でも見えないと?」

「……あれらが羅燼の出現を口にしたか?」


 洛浪は返答ができなかった。この場に居たのが、軒轅や彩華であれば、何かしら一人の男は違うと庇い立てするのだろうか。と、ぼんやりと浮かべては手が止まっていた茶菓子の続きを頬張り茶を啜った。


「全く、問題ばかりだ。西王母も西王母だ。神子瑤姫などと手を組んで面倒を企ておって。さっさと諦めるべきであるのに。神農の神農で状況を知らせぬままでは……」


 ぶつくさと愚痴を垂れ続ける東王父の言葉は、まだ他にも問題が山積みであると取れる。それを洛浪に隠しもせず、気兼ねなく言い放つ事から洛浪はそのそれもが、祝融に振ってかかるのだと身構えねばならなかった。

 そして、一頻り口に出して胸が空いたのか、それまで険しかった表情をころりと変え、さもありなんと無表情を創り出していた。しかも、帰れと手をひらひらと振っている。

 慣れている洛浪にとっては、これと言って気にもならず、帰れと言われたならば帰ろうぐらいで立ち上がる。


「では、また」


 東王父に背を向けた時だった。

 

「……此度は手助けできたが、次は無いと思え」


 重々しく言い放つ言葉は、もう次とやら直ぐ傍まで迫っているとでも言いたげだった。洛浪はその時東王父がどんな顔をしているかまで見たいとも思えず、承知とだけ答え東王父の別邸を後にしたのだった。

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