第3話

「祝融様、何故私を主人などと言ったのですか。」


郭家当主であり、彩華の父親が用意した客室で、目の前で長椅子に横になり寛ぎ、何やら楽しそうに笑う主人……もとい、従者と勝手に名乗った男に雲景は焦りを見せていた。


「今は、賢雄だ。お前を従者と言うと、俺が皇族だと露見するだろう。面倒だ。」

「だったら、共に主人の命で来たと言えばよかったでは無いですか。」

「朱家と同格の家門など、限られている。適度に知名度の低い家柄が思い付かなかっただけだ。」

「そんな理由で!?」


突拍子も無い理由に思わず声が大きくなった。


「あんまり騒ぐと聞かれるぞ。」


殆どを、祝融の従者と過ごしている為、下手に口を開くと癖で本名を呼びそうになる。幼い頃から、皇宮で過ごし当たり前の様に従者がいる祝融が、従者になど成りきれる訳がないと、雲景は、はらはらしながら背後から動向を見ているしかなかった。


「遊びで来た訳では無いのですよ。」

「分かってる。だが恐らく、ここら辺なのは確かだ。」

「調査など、適当な事を言ったかと思えば、無関係の家に首まで突っ込んで、どうするおつもりですか。」


そう、調査など出鱈目だ。山に入ったのは、先に妖魔を減らしておきたかっただけだったが、そこで思わぬ拾い物もあった。

郭彩華と燼。迷い無く、妖魔の中を飛び込んで来たかと思えば、山を趣味で見回るなどと、適当な事を言ってのけた。それを祝融は気に入ってしまった。見る限り、彩華の実力は並以上、更には向上の余地もある。そして……


「あの子供、恐ろしいまでに強いな。」

「燼……でしたか。」


獣人族の強さは知っている。虎の魂を宿した薙琳の戦う姿を目の当たりにしていた祝融にとって、獣人族は何も珍しいものでは無かったが、薙琳はそれなりに経験を重ねているからこそ、その強さがある。

獣人族は、獣より強く逞しい。俊敏な動きに、宿った獣の魂を引き継ぎ、その強さを同化させる。

燼は、それ以上だった。燼の人の姿は、どう見ても子供だ。恐らく、まだ十三、四といった所だろう。だが一度、熊の姿になると、それを忘れさせた。

とても子供とは思えない大熊の姿。そしてただ大きいだけでは無く、容易に妖魔を片手で次々と弾いていく姿が、屈強としか言えず、子供の姿と同一人物には見えなかった。


「本当に引き抜くおつもりで?」

「……彩華嬢は従者では無いと言っていたが、燼の方は完全に彩華嬢に従属していると見える。恐らく、離れんだろう。どの道、子供を巻き込む気は無い。」

「実力は惜しいですが、懸命な判断かと。」


彼等は現状で満足し、それなりに自由に生きている。わざわざ、禍々しい世界に招く事も無い。

だが、正直、現状を見て見ぬふりが出来ない事もあった。

本来なら、いくら統治者当主の親族だろうと妖魔討伐を行う者には正当な報酬が支払われる。

彩華は、趣味で燼と共に毎日の様に山を飛び回っていると言っていた。使命でもなければ、何の利益も無く、引き受けているというのが、祝融には信じ難かった。


「全く、あれだけの実力を持ち合わせた者を、ただ働きさせているなど、当主の無能さには、ほとほと呆れる。」


祝融は、まるで自身の事であるかの様に、怒りを見せていた。軍に所属し、更には武官になり得ることが出来る実力のある娘と燼をいい様に使っているのが気に食わなかった。

身内として心配では無いのかと聞けば、その様な情は跡継ぎでは無い彩華には無いと言う。

である雲景を差し置いて、当主に怒りをぶつけたのは言うまでもない。


「御自身に、彩華嬢を重ねていらっしゃいますか?」

「誰かがやらねば、妖魔が増え、山から降りてくる。……俺などよりも、余程純粋だろうよ。」

「彼女の場合、当主の娘というのもあるでしょう。」

「だが、彼女である必要は無いはずだ。」


祝融と違って、彩華は今の状態が自由だと言う。それが本音か建前かが、知りたくはなっていた。


「ところで、俺は従者に向いていなかったか?」

「こんなにも前に出る従者など、薙琳以外に知りません。」


祝融は笑ってみせたが、楽しんでいる事に変わりは無かった。


「そうか、少し改める。」

「明日はどうされますか?」

「街中で業魔の気配を探る。この地である事は間違いは無いからな。俺一人で行ってくる。」


本来なら、皇族が従者を付けずに出歩くなどもっての外だが、雲景を主人としてしまったのなら、祝融一人の方が、余程の事が無い限りぼろが出る事も無いだろう。


「承知しました。」

は、どうなっただろうか。」

「今のうちに志鳥を飛ばしておいた方が良いかと。静瑛様が心配されますので。」

「俺は子供か。」


祝融は起き上がり、荷物から白玉はくぎょくを取り出した。

白玉が、白光したかと思うと、小さな白い鳥が飛び出し、祝融の手に向き合う様に留まった。


「墨省エイシンに滞在している。此方は未だ業魔は出ず、出るのは妖魔ばかりだ。其方の報告を求める。」


言葉を終えると、鳥は飛び立ち、壁をすり抜けていった。祝融は、それを、もう一度繰り返すと、息を吐き長椅子にもたれた。先程の楽しげな顔とは違い、翳りが見えた。


「心配ですか?」

「……三手に別れて業魔討伐など、やった事が無いからな。」

「今回ばかりは、仕方がありません。神子も、殆ど同時と言っておられたのでしょう?」

「あぁ。」


神子は、おおよその場所がわかっても、いつ、と言うのが明確には分からない。それとなく、業魔が生まれる順はわかるが、今回は、恐らく同時期と言った。

その箇所は五。手に余ると、皇都に近い場所は皇軍に託すも、残りは手分けるしか無かった。


「どちらも心配だが、信ずる他ない。」


そうは言っても、心配である事には変わり無かった。


「(……負担は増える一方だ)」


業魔をどれだけ倒しても、また新たな業魔が生まれる。しかも、追いついていないのが現状だ。

ある程度、皇軍でも業魔と戦える者が出てきたとは言え、被害は増える一方。

呆然と天井を眺めていると、ふと、彩華が祝融の頭に浮かんだ。雲景には、ああ言ったが、どちらも手元に欲しい実力が有る。何より、欲目が無いのが良い。


「(彩華の実力では、業魔を相手取るのは難しいが、それでも鍛えてやれば済む話だ……問題は、燼。)」


一見穏やかそうで、彩華にだけ従順な姿勢を見せるも、彩華が髪色だけで雲景を受け入れたにも関わらず、終始、祝融や雲景を警戒していた。


「(子供が、見慣れない大人を警戒しているだけとも取れるし、只の人見知りとも取れるが……)」


頭を捻らせ思い悩むも、扉の外より食事の用意が出来たと下男らしき声により、それも遮られた。


「行きましょう……賢雄。」


慣れない呼び方に、ぎこちなさを見せる雲景。やはり、適当な事など言うべきではないと反省しつつ、祝融は立ち上がると、雲景に続いた。


――


翌日、郭家の者達と共に、食事を済ませると、祝融は雲景を残し、早々に屋敷を出たが、背後からの彩華の声に足を止めた。


「賢雄様。」

「どうした。」

「その、雲景様が、賢雄様に付いて行って欲しいと仰られまして。」


一人で街に出向く事を心配してか、彩華に申し付けたのだろう。


「昨日は疲れただろう、休んでいてはどうだ。」

「お邪魔でしたら、戻ります。」


遠回しに邪魔と言ったわけでもないが、そうとも取れる言葉ではあった。

折角だと、祝融は雲景のお節介を受け入れる事にした。


「では、案内を頼む。」


歩き出すと、彩華は昨日とは違って、少し後ろに付いた。


「今日は燼は連れていないのか。」

「いつも一緒にいるわけでは有りません。子供ですし、休みも必要です。」


彼女は友人という言葉通り、燼への気遣いが絶えずあった。


「……街を見ると聞きましたが、皇都から来られた方には特に面白味のある街では、ありませんよ。」

「ここは近場で鉱石が取れると聞いたが。」

「近場と言っても、それなりに距離があります。」


彩華の案内で、街を見てまわるも、賭博や酒場には、荒くれ者や不成者が集い、妖魔退治や護衛業を営む者達の溜まり場となっている。荒んではいないが、あまり居心地の良い街では無い。


「この街の住人らしき者を、あまり見かけないな。」


見る限り、ごろつきの様な者達以外を見かけない。


「この時間は、皆、働いているので、昼時まで出てきません。」

「子供はどうした。」

「子供でも、ある一定の年齢で働けます。幼い子供は、一箇所に集められ、面倒を見る者がいた筈です。」


それでだろうか、店らしい店舗は、中から物音は聞こえるものの、全て閉まっており、街中は閑散としていた。


「食事を外で済ませる者が多いので、屋台や食堂が開く昼になれば、賑やかですよ。冬近くになれば、街を行き交う者も増え、宿場町らしくなるので、この静けさは、この時期特有とも言えます。」

「……鉱山には、妖魔は出ないのか?」

「多少は出ますよ。そちらは、兄達や、郭家に仕える者が担当しているので、良く知りませんが。」


祝融は、その言葉で足を止めた。


「賢雄様?」

「彩華、他にも妖魔を相手取れる者が居ると言っていたのは、その者達の事か?」

「そうですが、採掘場の方が優先度は高いので、殆どがそちらで採掘場の警護をしています。」

「だから、燼と二人だけだったのか。」

「ええ、本当は、この時期は鉱山など人の手が入った場所よりも、生命みなぎる地の方が余程妖魔が出るので、そちらを優先したいのですが……まあ、この街の食い扶持の一つでも有りますし。」


だからと言って、放っておけば、妖魔が湧く。数が増えれば、人里を襲うなど容易に想像出来るだろう。

沈む彩華の顔に、如何に事態が重いかが、よく分かる。当主の統治管理が如何に杜撰な事だろうか。


「……街とて、妖魔が現れたのなら、大損であろう。」

「……そう、でしょうね。」


彩華は目を逸らし、歩を進め始めた。


「山は、獣人族の領分もあります。何も、私一人に負担が掛かっているわけでじゃ無いので。」


祝融は隣を歩くも、俯き暗い表情を見せる。

これ以上は、聞く意味など無かった。


その後も街を回っていると、昼時が近くなり段々と店が開き始め、通りが賑わってきた。

屋台で買った串焼きを手に、適当な家の壁に背を預けながら、祝融は街の様子を眺めるだけだった。


「(何が目的なんだろう。)」


祝融の横顔を除くも、街を眺めるというよりは、人を観察している様にも見える。真剣な目に、一体何を写しているのかが気になったが、彩華にとっては、いつもと何ら変わらない景色でしか無かった。


人々が行き交い、短い昼休憩に慌ただしい。ある意味では、いつも通りで平和そのもの。


そして、それも四半刻も経てば、また静かになった。

人通りが無くなり、店が次々に閉まると、祝融が動き出した。


「一度、屋敷に戻られますか?」

「そうするとしよう。」


何が目的か解らぬ今は、彩華は前を歩く男の背を見つめる事しか出来なかった。

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