4 神は社を留守にする
「犬っ
バシャバシャと音を立てて
宿舎の風呂は、配給された湯を一般的な
満は大喜びでプールに飛び込み、寒がりの僕は風呂桶で湯に
昨夜、朔が寝入ったところで宴会はお開きになり、片付けるという村長を『ミチルにお
「朝は冷蔵庫にある物を適当に食べてね。十時ころには来るよ」
と、村長は宿舎を出て行った。
満が洗い物なんかするはずもなく、僕が片付け終えて部屋に戻るころには、朔と二人、抱き合うように眠っていた。満が敷いたのか、朔を無理やり起こして敷かせたのか、ちゃんと布団にくるまっている。僕の分の布団も敷かれていたから、きっと用意したのは朔だろう。横になろうとしたら、朔が掛け布団を開けてきたので、自分の掛け布団を引っ張って、朔の隣に潜り込んだ。やっぱり、ワンころは暖かい。三人で団子になって眠った。
僕たちの眠りは浅い。最初に目を覚ましたのは満だった。それに気が付いて、朔と僕が同時に目覚める。三時間ほど眠っただろうか。
「さて、どうする?」
朔が言うには昨日、一足先に村に着いた二人は一通り村を見て回ったらしい。
連なる山の一つの7合目位に位置し、村の中に傾斜はほぼない。唯一、大きく高低差があるのは村のはずれの石段で、随分上まで続いているようだが雪に埋もれていて、ここしばらく登った人がいるようには見えなかった。石段から離れて道を外れて登ったところ、上のほうに
そのあと、村の外に通じる道を探したが、昨日、二人を拾った道以外は見つけられなかった。
歩いて山林を下っていくことも不可能じゃないが、今の時期、人間には死ぬ覚悟が必要だろうね、と朔が笑った。
「ってことは、警察の言っている集団家出はあり得ない?」
「あり得なくはないんじゃ? 開通するまでどこかに
「歩いて?」
「死にたきゃ歩けば? ―― 普通の判断力のある人間なら、車を使うさ」
「朔の言う通り、歩いていくのは集団自殺 」
満が嬉しそうに笑う。何が嬉しいんだろう……まぁ、満は何でも面白がる。
その満、いつの間にかポーションチーズを出してきて、もぐもぐ食べている。好物のチーズでご機嫌だ。
「石段の上の
「多分ね、他にそれらしいのは無かったから。でも、人を5人も隠せるような
「社と言うか、立派な
満が朔の補足をする。
「地下でも掘らなきゃ、せいぜい一人、隠せればいいって感じ」
「神の気配は?」
と、僕が聞くと、朔と満が顔を見交わした。
「神域に入り込まないように気を付けたから、下のほうから
朔が言う。そして、
「かなり近づいたんだよ。これ以上近づけば、ヤバいってくらい。相手がどんな神か判らないのに、不用意に近づいて怒らせちゃまずいよね」
と、満が言い
「まぁ、神域は感じなかったんだけどね。普通、『ここからは神域』ってエネルギーを感じるものなんだけど……本当に神を
朔が首を傾げる。
「無血神なんて、聞いた事ある?」
僕が尋ねると
「うんにゃ、ないね」
と満が言い、朔がそれに頷き、更に情報を追加する。
「それと、もう一つ、この村には我が
「飼い犬のいない村か。確かに今時、誰も犬を飼ってないって珍しい」
「クマやシカを狩る時、犬がいると便利なのにね」
ここで満の腹がグゥと鳴る。満はきっと、チャンスがあればシカを襲いたいんだ。生きたシカが食べたいんだ。
隼人と知り合う前は、山の中で狼の姿で暮らしていたと言っていた。小動物 ―― ウサギやムササビなんかも食べたけど、シカが一番旨かった、いつか朔が言っていた。今じゃ、隼人に慣らされて、
時刻を見ると五時になるところだ。食事にするかと訊くと、朝ご飯は七時と決めてる、と満が言う。
冷たい肉は嫌だと、冷蔵庫の肉を風呂で温めよう、と言い出した。生で食べる気、満々だ。牛肉の
「ひゃっほー」
肉は朔に任せっきり、満はさっそくプールに飛び込む。
宿舎の周囲には、見える範囲に建物はなかった。朝っぱらから風呂で騒いだって、きっと誰も気が付かない。
「不思議だね。大抵の怪我はすぐ治るのにバンちゃんの首の傷、いつまでたっても消えないんだね」
ひとしきり泳ぐと疲れたのか、プールサイドで満が僕に言う。
「人間だったころの傷は治らないって
「へぇ……オオモリだっけ? ヤマモリだったっけ?」
「アツモリだ」
と、向こうで朔が笑った。それが僕が人間だったころの名前らしい。
「伝承では、首と体、別々に埋葬されたことになっている。だけど事実は、首を落とした男が、首と体を繋げて
補足するようにそう言った朔は、相変わらず降る雪を眺めていて、視線を上下に揺らしている。チラチラ動くものに飛び掛かりたそうな子猫に似た表情だ。
人間だったころの記憶は、死のショックで僕の中からは消えている。蘇りの儀式の直後に起こったことは、僕の心が思い出すのを拒んでいる、と隼人が言った。
『 蘇ったキミの目の前に、瀕死のキミの恋人がいた。蘇りの魔術を行った男は、キミに恋人の血を啜るよう言った。そうすれば魔術は完成だった 』
僕には恋人の血を飲むなんてできなかったらしい。魔術は未完成のまま、僕は永い眠りについた。僕を殺したことを後悔していた男は、それでも諦めず、僕を石棺に入れ、山奥の洞窟に隠した。
長い時間が過ぎて、隼人が僕を起こす。人間の僕が命を絶たれ、蘇らされ、眠りにつく、一部始終を隼人は上空から見ていて、いつになったら起きるのだろうと思っていたそうだ。
『 吸血を拒んだくせに、ボクを見るなり首筋に噛みついた。あぁ、可哀想に、そんなに腹が減っていたかと、ボクは思った 』
本来ならば人として蘇るはずだったものが、血液の補給が遅れたことにより人ではなく、吸血鬼になったんじゃないかなぁ、と隼人は言っていた。
「なるほどね。だからバンちゃんの首の傷って、ネックレスみたいにグルリとあるんだね。……ところで
僕の首の傷なんて、どうでもいいって感じで満が言う。隼人と聞いて恋しくなったのかもしれない。
すると朔が
「この辺りはイヌワシの縄張りだって言ってたぞ」
と言う。
「隼人ならイヌワシくらいどぉってことないでしょ?」
「無駄なトラブルは避けるに越したことはない。でも、隼人が来れば、あの
そう言う朔に僕が尋ねる。
「隼人もそうだけど、朔と満も神格があるんじゃなかった?」
「
「そそ、隼人みたいに完全な神格があるわけじゃないんだよ。バンちゃんみたいに『ただのお化け』ってわけじゃないけどね」
ケラケラと満が笑う。ただの『お化け』で悪かったね ――
探偵事務所『ハヤブサの目』所長の
全てを焼き尽くす『ラーの目』を右に、全てを見通す『ウジャトの目』を左に持っている。右は太陽、左は月だ。
『昔は賑やかだったんだ。父も母も妻も子もいた。それがいつの間にか、気が付けばボク一人だ』
隼人は自分の事をあまり話したがらない。時々、思い出したようにポツリと言う。神は忘れ去られ、人に化身して暮らすしかなかった。
『神の必要性を感じられなくなって、ボクの家族は消滅したのかもしれない』
でも、ボクは探していたい。諦めなければ、いつでもそこには希望がある。
『だからバンちゃん、キミも諦めるな』
出会った時、隼人は僕にそう言った。
僕も同類がいない。なぜ僕が今の僕になったのかも判らない。隼人の話を聞いて、そうだったのかとは思うけれど、記憶がないからかピンと来ない。覚えているのは僕が僕自身を呪っていることだけだった。
初めて隼人に会った時、気が付くと僕は隼人の首筋に牙を立てていた。口の中に液体が溢れる。温かい、生きた血だ。飲み込むと胃が熱くなり、空腹だったと僕は知る。堪らず、僕は無心に隼人の甘い血を飲んだ。
「!」
ハッと我に返り、隼人の首から口を離した。二つの傷口から一筋ずつ血が流れ、すぐに止まる。見る見るうちに傷が修復され
「大丈夫だよ ―― どうやらキミは吸血鬼になってしまったようだけど、ボクと一緒なら大丈夫」
隼人の
「ボクは人間じゃないし、修復も早い。だから、いくらキミがボクの血を奪っても、ボクは死なないし、吸血鬼にもならない」
泣き崩れる僕の頭を撫でながら隼人は言った。
「他人を自分と同じ運命に引きずり込みたくなくて、ずっと眠っていたんだろう? キミからは人間の血の匂いがしない。チェリーなんだね ――ボクと一緒においでよ。ボクの血があれば、キミは人間を襲わないで済む」
あれから何年が経っただろう。隼人は僕に『バン』という、どこの国でも通用しそうな名をくれた。
隼人は僕を連れ、正体が人間に知られないよう、数年ごとに住処を変えた。いろんな国を渡っていった。いろんな職業にも就いた。
そして今は日本にいる。日本で探偵をしている。
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