第123話 ステファンとゴブリン
多様な種族が入り乱れる地下帝国の第一、第二階層と違って、第三階層から下は様々な理由によって区画が分けられている。また第五階層のように、その階層が丸ごと鍛冶場になっていたりする場合もある。
例えば、人型に近い形態のスライムメイドやリザードマンたちは、水場の多い第七階層に住んでいる。それは彼らが湿気を好む性質を持っているからだろう。
また暗殺者や盗賊といった日陰の生業についていた者たちは、深い階層に住もうとする傾向がある。その職業柄、身を潜める場所を求めてしまう一種の職業病みたいなことが原因なのかもしれない。
こうした棲み分けが、将来、階級になって地下帝国住人の分断に繋がるのではないかと、不安に思わないではない。だが、棲み分け出来ているからこそ、衝突が避けられているということもあるはずだ。
今のところは棲み分けは上手くいっているようだが、いつか大きな問題になるのかもしれない。だが、俺個人でどうこうできる問題ではないので、とりあえずは見守る方向で行くつもりだ。
だが見過ごせないものもある。
それが地下四階層にあるゴブリン区画だ。
そして今、俺とライラはゴブリン区画の入り口に立っていた。
「こ、これはシンイチさま、ライラさま、ゴブリン区画へ、よ、ようこそ」
年老いたゴブリンが出て来て、俺たちを自宅に招待してくれた。
~ ゴブリン族 ~
フォブという名の年老いたゴブリンは、この区画の責任者だった。ルカの眷属たるゴブリン族の長老でもあるらしい。
いくらルカの眷属であるとはいえ、ゴブリン族の受け入れは、俺にとっては青天の霹靂といった出来事だ。
俺はともかく、ステファンがゴブリンのグレイべア村入りを受け入れたことについては、今でも信じられない。
例えば、もしネフューがいまここにやって来て、このゴブリンたちを見たら、彼の全力を持って殲滅を図るだろう。彼はゴブリンに家族を殺されているし、そもそもエルフ族とゴブリン族自体が、神話時代の昔から敵対関係にある。
大切な仲間を残虐な方法で殺されたステファンも、ネフューと同じようにゴブリンを殲滅しようと考えるはずだ。
そして、実際にそうしようとした。
ここにいるゴブリンたちが、グレイベア村の中に入ってくるのを見たステファンは、義手に仕込んでいるレイピアを抜き放って、凄まじい速さで駆け寄ってきたらしい。
ゴブリンに放たれたステファンの渾身の一撃を弾いたのは、彼らを先導していたフワデラさんだった。激昂したステファンとフワデラさんとの間で、何度も何度も剣戟が交わされたらしい。
「あのときステファン殿の覚悟の座った顔を見て、我々は死を覚悟しました」
その時のことを思い出したのか、フォブの声は震えていた。
「なにしろ我々の中の誰一人として、戦う技も力も、そもそも戦う覚悟なども、持っている者はおりませんでしたから」
俺は彼の後ろに立っているゴブリンたちを見た。
小さな体、緑の皮膚、長い耳、尖った鼻と細い目。彼らは、明らかにゴブリン族の特徴を持ってはいるものの、どこか弱々しく、ゴブリン特有の邪悪さも見えなかった。
ゴブリン特有の邪悪さ……か。
それってなんだろう。
人や家畜を襲うこと、女性を犯すこと、財宝を盗み隠すこと、邪な神に仕えること……。
うーん。それって全部人間もやってることだしなぁ。
フォブが話しの続きを語り始める。
「ステファン殿が剣を収められたのは、フワデラ様がこうおっしゃった後のことでした」
「フワデラさんは何て言ったの?」
「激しい怒りを込めて『ゴブリンは邪悪だ』と叫ばれたステファン様に、『ゴブリンが邪悪なのではない。邪悪こそが邪悪なのだ』と」
「そりゃそうだよね!」
俺は思わず声を上げてしまった。
これはツッコミを入れたわけではなく、激しく納得したことから出た大声だ。
人間にだって聖人もいれば極悪人だっている。ゴブリンとてそれは変わらない。
もちろん異なる種族であれば、お互い永遠に相容れないことや、互いの生存を賭して争うこともあるだろう。
だがそれは邪悪さとは関係ない。また別の話だ。
かつてゴブリン洞窟で、ステファンたちを襲ったのは邪悪なゴブリンではない。
邪悪が邪悪を行なった。
それだけの話だったのだ。
「ちょうど今のシンイチさまと同じような顔を、その時のステファンさまもされておりました」
なるほど。
ステファンが、このゴブリンたちを受け入れられた理由が分かった。
さすが魔王候補たる鬼人のフワデラさん、ここぞというタイミングで、よく相手の心を打ち抜く言葉が吐けるもんだ。
「あの……」
それまで黙って話を聞いていたライラが、そっと手を上げた。
そういえばライラだってゴブリンにはステファン以上の怨みがあるはずだ。
本当なら、ライラをここに連れてくるつもりはなかった。彼女にとってゴブリンなど見たくもないはずで、ましてゴブリンの集団区画など足を向けるのさえ嫌なはずだ。
だが俺がゴブリン区画に行くことを知ったライラは、何としても同行すると言って聞かなかった。
今、ライラは少し顔を伏せつつ、上目遣いで俺を見つめている。
彼女は今、どんな思いを抱いているのだろうか。
「どうしたのライラ?」
俺は自分で出来る精一杯の優しい声で問いかけた。
今の俺にライラの苦しみを和らげることができるのだろうか。
そのために俺には何ができるというのだろう。
ライラの苦しみが少しでも軽くなるというのなら、俺は何だってやる。
やってやる!
「それ、私がフワデラさんに言った言葉なんです」
「は?」
「以前、フワデラさんに『今でもゴブリンを怨んでいるか』と聞かれたとき、先ほどのように答えました」
「ほへ?」
身体から一気に力が抜けた。
そ、そうだったのか……。フワデラさんのこと、ちょっとカッコイイとか思っちゃったけど、こりゃキャンセルかな。いや……大事なタイミングで適切な言葉を吐けるのは、やはり凄いことだよな。
そんなことを考えていると、ライラの明るい声が耳に入ってきた。
「邪悪であることに、人間とか魔族とか関係ないですから!」
それは、明るくて軽い感じで放たれた言葉だった。
だが、俺は、ライラが人間からもゴブリンからも、筆舌にし難い苦痛を与えられてきたことを知っている。
彼女の目にある傷の理由も、右目に賢者の石が埋め込まれている理由も、俺は知っている。
そんな俺にとってライラの口から吐き出された今の言葉は、とてつもなく重く、ふと気を抜いたところに強烈なボディーブローを叩き込まれたような衝撃を受けた。
明るい調子で語られたライラの言葉が、どれだけの困難と苦悩を踏み越えたうえで吐き出されたものか……。
誰よりもライラを知っているつもりの俺でさえ、彼女の苦悩の一端しか知らないのだろう。それだけは分かる。
たまらなくなった俺は、ライラの手を強く握って引き寄せ、彼女の頭を胸の中に抱き入れる。
こうでもしないと俺は泣いてしまう。
既に嗚咽が喉元にまで込み上げてきてる。
……。
……。
……。
俺がじっとライラを抱きしめていると、
腕の中からすすり泣く声が聞こえてきて――
その音が消えるまで、
俺はライラを抱きしめたまま、何度も何度もずっと、彼女の頭を撫で続けた。
その間――
ゴブリンたちは沈黙したまま、ただ静かに俺たちを見守っていた。
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