第117話 執着 Side:シャトラン

~ シャトラン・ヴァルキリー本部 ~


 今日は、シャトラン・ハーネスにとって人生最大の幸運と不運が同時に訪れた日だった。


 人生最大の幸運というのは、彼にとって運命となる女性との出会いがあったことだ。


 そして人生最大の不運は、その女性が既に他の男性と婚姻の儀を済ませていたことだ。


 若い女性冒険者を集め、彼女たちを戦乙女などと呼ばせているシャトランは、女性に対して処女性を求める性癖があった。


 未だ男を知らぬ乙女が、自分の腕の中で破瓜するその瞬間こそが、彼にとっての至福である。乙女を散らした後は、その女性に対する興味は半減してしまう。


 彼の傍で長く仕えている女性たちは、既に彼によって処女を失ってはいるものの、それでもなおシャトランが近くに置いておきたいと考える何かしら優れたものを持っている者ばかりである。


 ただ処女であることは、彼にとって大きな性的興味のひとつであって、それが全てというわけではない。そして、それが既に失われているのだとしてもなお、絶対に手に入れたい、手に入れるべき運命の女性に彼は出会ったのだ。

 

 その女性と出会う前までは、顔に刀傷があるような女は、彼は見向きもしなかっただろう。ましてや人妻となれば、彼の方から積極的に相手を求めるということはない。


 だがそうしたことを差し引いてもなお、あの女性は彼の心臓を鷲掴みにしてしまった。輝くようなブラウンの髪、宝石のような瞳、名匠による女神の彫像がごとき肢体、全てが美しかった。あの目の傷さえ、シャトランにとっては好ましいものに思われた。


 だが、彼の運命の女性の隣には、ありえないほどみすぼらしい男が立っていた。その男は、運命の女性のことを自分の妻であると言っていた


「あの美しい女性が、あのようなチンケな男の妻だと!」


 ガシャンッ!


 シャトランは手にしていた銀のコップを力一杯に床へ叩きつけた。


「どうせ金か権力か暴力を使って、無理やり手籠めにしたんだろう! 卑劣な奴め! そうでもしない限り、あのひとがサルみたいな男に嫁ぐはずがない! そうだ間違いない! 無理やり妻にさせられているはずだ!」


 それはまさにシャトランが、己の欲望を満たすために使っている手法そのものだった。だが、シャトランがそれに気づくことはない。他人を批判する者は、それが自分自身にも向けられるということに、得てして考えが及ばないものだが、シャトランはその極端な例である。


 シャトランは、自分が女神から選ばれた特別な存在であるということを、完全に信じ切っている。自分の行動が間違っているなどということは、彼にとってはあり得ないことであり、今ではそのようなことを考えることさえ出来なくなっていた。


 そして、その傲慢さから生まれた自信と言動は、貴族の身分と権力によって支えられ、結果、彼に歪んだカリスマ性を与えることとなる。


 結果、処女ばかりを集めた彼の冒険者集団は、高貴な貴族出身のシャトラン・ハーネスが、その深い信仰心の発露として生み出された、女神ラーナリアに仕える乙女の戦士たちというイメージを定着させることに成功した。


 その実態は、シャトランの欲望を満たすための道具に過ぎない。だが、憧れによって真実から目を背ける人間や、その金と権力に擦り寄ってくる者たちの手によって、彼のクランは神聖さという虚飾で厚く塗り固められていった。


 今やシャトランは、王国の誰からも尊敬される存在であり、誰もが彼に畏怖を抱くようになっていた。格上の貴族でさえ、彼に対しては相当の敬意を持って接するようになっている。


 なので、彼に乱暴な口の聞き方をする者など、ましてや、彼の手を乱暴に振り払うような者など、そいつが猿でもなければあり得ないことだった。


 その猿の腕に運命の女性がしがみ付いてる姿を思い出しただけで、シャトランは怒りで身を焼かれる感覚に襲われる。


 ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ!


 シャトランは無意識のうちにその拳をテーブルに叩きつけていた。


「あのサルめ……あのサルめ……あのサルめ! あのサルめ! あのサルめぇぇぇ!」


 ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ!


 ガシャン! ガシャン!


 テーブルに置かれていた全ての燭台が倒れ、食器が床に散らばった。


 美しい金髪と青い瞳、女神に愛された貴公子とまで称えられたシャトランの顔は、今や醜く歪み切っていた。元々が美しい顔立ちだけに、その落差が激しく、地獄的な恐ろしさを醸し出していた。


「あのサルめ……どうしてくれよう」


「殺してしまえば良いのでは?」

 

 シャトランの背後から声が掛かった。彼が振り返ると、そこには灰色のローブを纏った男の姿があった。


「あぁ、お前か……」


「話はお伺いしました。簡単な話です。男を殺して、その女性を貴方の妻にすれば良い。夫を失ったのであれば、貴方のクランへの入団も問題ありますまい。もちろん妻として迎えることも……」


 灰色ローブの男の話を聞いたシャトランの口角が歪む。


「確かにその通りだな。またいつものように頼めるか?」


「勿論です。シャトラン様には、いつも贄を用意して頂いております故。私どもも協力は惜しみません」


「では頼むとしよう。男を殺して、あの女を我が妻に」


「御意」


 その言葉を最後に、灰色ローブの男は暗闇の中へと消えて行った。



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