Phyllobates terribilis-そして魔王は今日も空腹-
玉椿 沢
第1章「魔王ベクターフィールドの日常」
第1話「魔王は今日もアポなし」
「ヨッド・ハー・ヴァル・ハー」
口にしたのは召喚の呪文。
似たような言葉であるが、神仏ならば降臨と呼ぶ。
召喚されるのは、人間よりも下位の存在――悪魔である。
広がった光が収束し、その中心にいるのは契約を司る悪魔であり、魔王の称号を持つ男ベクターフィールド。
その肩書きとは裏腹に、角も
モヒカンラインを若干、立たせた短髪の美丈夫。
そのベクターフィールドは――、生ワッフルにかぶり付いて口元をクリームで白くしているところだった。
「お前……何回、いったらわかってくれるんだ?」
召喚にアポイントメントなど取りようがないのだ。
「寧ろ、いつならものを食べてないの?」
亜紀はメモ帳を示していた。
「7時に起床して朝ご飯、10時にお茶、12時お昼、6時に夕食、10時就寝。これに3時のおやつもいるの?」
肩を落とした亜紀は思う。
――魔王なんて呼ばれているのに、何でそんな健康的な生活をしているの?
浮かんだ言葉は亜紀の顔にも出ていたのだろう。
ベクターフィールドはティッシュで口を拭いなから、
「健康的でいいじゃねェか」
自分の生活にとやかくいわれる覚えはない、と唇を尖らせた。
「今回は、金払った後だったからよかったけどな」
アポイントメントなしの召喚であるから、会計前に呼び出されている率が高い事への愚痴は際限なく出て来そうだったが、口を拭ったティッシュと共に握りつぶす。
「で――」
ベクターフィールドの言葉と共に、口を拭ったティッシュに火が点く。
その灯りに照らされたベクターフィールドの顔に、とぼけた表情などはない。
「俺との依頼を行使しなきゃならない事件ってのは、何だ?」
ベクターフィールドは契約を司る魔王だ。
「契約に従おう」
ベクターフィールドに笑みはない。元より似合わないと自覚している。
「お前が必要だと思った事件に対し、全力で協力するぜ」
日加ハーフを自称する男の目は剣呑さこそ伴うが、無表情に近くなった。
***
甘粕亜紀の仕事は警察官。
とはいっても本庁の刑事部に所属しているという事はなく、また所轄の刑事課というわけでもない、防犯課少年班の巡査だ。
――18で奉職した切っ掛けは、ガキの頃に見た刑事ドラマの影響……だったか?
亜紀の経歴を思い出しているのだから、今、ベクターフィールドは話を聞く体勢ではない。
――高級スーツ、スポーツカーでカーチェイス、銃撃戦。
亜紀が憧れたという刑事ドラマは。些か古い父親の趣味だった。
そんなものに影響を受けて警察官になった亜紀は、悪癖を持っている。
管轄外の事件に平気で首を突っ込んでしまう程、正義感を暴走させてしまう事だ。
煙たがられる彼女についたあだ名は、小柄である事とショートカットである事から毒キノコ。
――まぁ、無用だぜ、その正義感。実際の警察にはな。
無表情だったベクターフィールドの口元に苦笑いが浮かんだ所で、亜紀は一度、ポンとテーブルを叩いた。
「聞いてる?」
上の空としかいいようのないベクターフィールドへの不満を口にする亜紀だったが、当のベクターフィールドは苦笑いしていた口を開き、
「聞いてるぜ」
要点だけを覚えれば十分だろうというのは、やはり亜紀にとっては不満のタネだ。
「防犯教室で知り合った小学生が、何日か前から行方不明。公営住宅の敷地内にある公園から忽然と消えた。場所が場所だけに事件性が疑われ、警察犬まで出動する騒ぎになった」
ベクターフィールドは、一度、フンと強く鼻を鳴らすと、
「これだけで済むぜ」
要点だけならば、本当にこれだけだった。
だが納得していない亜紀の顔を見ていると、ベクターフィールドの中に生まれる言葉もある。
――警察犬を出しても見つからなかったから俺……じゃないな?
亜紀が納得できない顔を見せているのは、迷宮入りしそうだからというような理由ではない。
「あのね」
亜紀の言葉は、一言一言を噛み砕くようにゆっくりだった。
だからベクターフィールドは
「わかるぜ。防犯教室でも、ふざけたり騒いだりしないタイプだったんだろ? ついでにいうと、交通安全指導とかも真面目に聞くタイプだろうぜ」
亜紀がいいたい事は、解決しなければならないと思う理由だと察していた。
「そういう小学生は、大事だな」
素直に、そして茶化さずに大人の話が聞ける小学生は、真っ直ぐに育っている。
そういうインテリジェンスをベクターフィールドは持ち合わせていた。魔王という肩書きは称号に過ぎず、角も異形もなく、豪奢な衣装とも無縁のベクターフィールドは、悪徳の王ではない。
「手伝うぜ」
指示を出せと、ベクターフィールドはジェスチャーで示した。
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